山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

四度目の氷河期

2010-07-16 23:51:54 | 読書

病院で順番を待っている時に、荻原浩の「四度目の氷河期」を読んでいた。
この本は、確か5月に、埼玉県のとある書店で、電車の中で時間をつぶすために買ったものだ。その後、6月の初旬に、会社の指定施設で健康診断を受けるときに、やはり時間をつぶすために持って行って読んでいた。健康診断のときには、けっこう待たされるわけで、待合室には女性用の雑誌などが用意されているが、それよりも、自分の読みたい本を持って行った方がよいのだ。
それで、昨年の健康診断のときは、やはり同じく荻原浩の「あの日にドライブ」を持って行って読んでいたようだ。この1年間、荻原浩の本が気に入って続けて読んでいるといえるが、なにしろこの速度なので、なかなかはかどらない。
長距離の電車通勤でもしていれば、どんどん読めそうなんだけど・・・。

「四度目の氷河期」は実際、読むのが遅いと言うよりも、中断していたわけだ。このごろ、宅建や放送大学など、勉強しなくちゃならないことが出てきたのだが、それがすごく嫌だな~と思うので、代わりに読書を再開した。勉強に比べたら、どんだけ楽なことであろうか。
この作品は、青春小説みたいだね。自分の思春期の頃のこともよく思い出す。
まだ、3分の2くらいまで読んだところで、主人公のワタルは高校生だ。

この本を読んでいて思うことは、遺伝子は変えられないものだな~ということ。
ワタルは私生児として生まれ、父親は日本人ではないらしく、ワタルの容貌は、成長とともにどんどん日本人離れしていく。生物というものはそういうものなんだ。ごまかしがきかない。持って生まれたものは、そのものでしかない。

このごろ、ゴーヤを見ても思う。ウチのゴーヤは別々に買った苗が2本だったが、あきらかになる実が違う。1つは、細長くて白っぽい実であり、もう一つは緑色が濃く、太さもある。同じ土で同じように水をやっても、なる実は違うのである。人間も同じだ。
だから違うものに成ろうと努力したところで、限界というものがあるのだ。逆に、なろうとしなくても、なるべきものになってしまう場合もあるだろう。

この小説、まだ途中だから、何が言いたいのかよくわからないけど、今一番感じることはそんなことかな。

明日から3連休だから、連休中には読んでしまおう。

追伸:
荻原浩といえば「明日の記憶」も読んだばかりだけど、「“あすのきおく”を読んだ」と人に言うと「“あしたのきおく”ですか?」と訂正された。
あっ、そう、「あす」ではなく「あした」と読むのか・・・。

こういうところが、どうしようもない私の持って生まれたとろさだ。
人はなんで「あしたのきおく」と読むことがわかるのだろうか?
本の裏表紙をよく見ると「あした」と振り仮名がふってあったが、おそらく人は、映画の題名を知っていたのだろう。

生きることに不器用な人間。何かにつけてかっこ悪い人間。

でも、荻原浩はそういう人に温かく、作品の中には必ずそういう人が登場する。
だから、きっと「あした」を「あす」と読んだからといって、とがめたりはしないだろう。
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あり得ない

2010-07-16 18:47:31 | 運転・車・道路の事
昨夜、車で長女を迎えにいったとき、片側1車線のセンターラインのある道路を走っていて、交差点赤信号の列で停止するときに、対向車線に車が停まっているのが見えた。
自分が列の後ろまで詰めてしまうと、対向車がやってきたときに、その場所を通り過ぎることができなくなるな・・・とは思ったものの、急に機転を利かせることができず、そのまま列の後ろにつけてしまった。

私のクルマは、駐車車両の真横に停まることになり、あきらかに対向車は進めなくなる位置だった。しかし、そもそもこちらの車線は関係がないのだから、そこまで気を使わなければならないという決まりではないはずだけど・・・。などと不安に思いつつ、駐車車両を至近距離で見ると・・・。

えっ?なんで???

隣の駐車車両は自分と同じ方向を向いていたのだ。つまり、右側通行状態で駐車してあるのである。
なにこれ?ここは一方通行道路じゃないし・・・理解できない。
どっちにしても早く青にならないかな、と、落ちつかずに待っていると、運悪く対向車が来てしまった。つまり、対向車とは、前方交差道路から右折か左折でこっちに入って来たクルマである。

路上駐車車両には人の姿はなく、動く気配もないし、次々に対向車が来たら詰まってしまう。
ということは、私がバックしないと通過できないし・・・。
後ろは?・・・後はいないから・・・じゃ、バックしよう。

そう思ってシフトレバーをRに動かそうとしていると、近づいてきた対向車が“プア=====ッ”とものすごい大音量のクラクションをならした。
焦った。自分が悪いことをしている根源ではないのだが、・・・。

駐車車両は、やって来た対向車とはアタマとアタマを突き合わせている状態で、対向車がそれ以上進むと正面衝突となる。いや、それだから、対向車も驚いたんでしょう。クラクションを鳴らすのは当たり前です。私にどけと言っているクラクションではないはずです。

すると、駐車車両のそばのビルから、男の人が走り出てきて、その車に飛び乗り、車をバックさせて私の後ろにつけました。
それで、対向車は進んでいきました。

ほどなく、こちらの信号は青になり、私は大きな交差点を右折して進みましたが、しばらくは運転が上の空になりそうでした。

自分が何かしでかしたわけではないのですが、こういうことがあると、動揺しますね。
要注意です。冷静を保とう。

しかし、右側に駐車して対向車線を塞ぐなんて、どう考えても違反ですよね。

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びょういん

2010-07-16 17:48:22 | 日記
最近、2回ほど病院に検査に通った。定期健康診断の尿検査で微妙な潜血反応がでたので、念のためくわしく調べたわけだが、結局、それについては何か病気があるわけではなく、特に治療の必要もなかった。
しかし、泌尿器系の超音波検査を受けたときに、子宮に筋腫があることがわかり、ついでに子宮も調べることになり、ちょっとびっくりだったが、それも特に治療の必要があるわけではなく、数か月おきの経過観察となった。
もうだんだん女性ホルモンが低下していく年齢なので、そのうち筋腫は縮小するそうである。「老化すれば治る」んだって?、よかったというか、悲しいというか。

ま、結果はそういうことだったわけだが、
このたび、検査を受けるなら大きな病院がよいだろうと、久しぶりに総合病院にでかけたところ、その進化ぶりには驚きだった。

カルテは手書きではなくパソコンで記載され、それを目の前で読むこともできる。
昔は、先生がわけのわからないドイツ語かなんかで手書きで書いていたので、まるで意味がわからなかった。たとえ日本語で書いてあってもあまりの達筆で読みとることなどできない場合がほとんどだっただろう。それに、患者がカルテを覗き込むというのも躊躇された。しかし、今は、どうぞ見てくださいというふうに、パソコン画面が先生と患者の間に置かれている。

臨床検査の結果なども、データを記入した紙書類が行き来することはなく、電子データとして検査室から診察室へ一瞬にして飛んでいくらしい。

会計も早い。やはりコンピュータを介して診察や検査内容が送信されるらしく、計算も自動計算されるようだから、5分も待たずに支払額が計算され、現金を自動支払機に入れると、おつりと明細書がでてくるようになっている。

受付から診察・検査・会計まで無駄な時間がかからず、効率的に進んで行くし、
先生や看護師さんも、すごく感じがよくて親切で、患者にとっての快適さが増している。一種のサービス業のようでもある。

病院も変ったもんだね。


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