山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

世田谷美術館

2010-07-25 23:32:31 | 美術・美術館
肝心な世田谷美術館の展示についてです。

といっても、正直なところ、運転が目的なので、展示が目的だったわけではありませんでした。駐車場が空いているためには、むしろ展示内容は人気がないほうがいいのです。
私にとっては、展示はなんでもいいのでした。



でも、よかったですよ。
今日やっていたのは、「フェリックス・ティオリエ写真展」です。

写真展なんてめったにいったことはありません。19世紀末、ビクトリアリズムの写真家ということで、かなり古いものです。まるで、フランスの絵画のようでした。しかし、昔は今のカメラと違って、大型でセットや調整に時間がかかり、一口に写真を撮るといっても、現代の様にシャッターを押す以前に、いろんな手間をかけなくてはならなかったので、並大抵のことではなかったのでしょう。まだまだ機械の性能も未熟なものだったようです。しかし、そんな時代にもかかわらず、目を見張るような写真ばかりでした。

絵に見る肖像画と同じように、写真の肖像もすごいものですね。それに、当時存在した動物や人間の表情が、とても現実的と言うか、味があって存在感があって、「ああ、生きていたんだなあ」と、何か胸がいっぱいになるような写真が多かったです。
今はもう影も形もないけれど、確かにそこに存在したんだという証拠です。それは、絵ではなく写真ですから、現実ですね。
時とともに過ぎ去って消えてしまう生活や活動。そのはかなさがよけいにすばらしさとなって光るような気がします。炭鉱で働く労働者の姿とか、レースを編む夫人とか。

現代だったらどうなんだろう。パソコンの前で働く労働者の姿は光り輝いて写真や絵画となるのだろうか。スーパーやコンビニ、ファストフード店で働く人たちもきっと絵になるはずですよね、同じ人間なんだから。電車の中で携帯に向かう人々っていうのは、味のあるものなのかな?同じ人間なんだから、味が無くちゃ困るじゃないかと思うけど、どうなんだろうなあ。ゲームに夢中になる子供とか、そういうのって、奇異なものとしか描かれないような気がします。心温まったりはしないような・・・。
昔と今を比べると、ちょっと複雑な気分かな。今も世も、すばらしくありたいですよね。

このフェリックス・ティオリエと言う人は、14歳くらいで父親を亡くし、10代から働いており、20代になってから写真を学び、37歳くさいでリボン工場の仕事を辞めて、写真集の仕事に携わり、それから写真の道に進んで、53歳くらいで世に認められたようだ。(記憶が違ってたらすみません。)最初は、画家の画集を手掛けたりして、絵を写真に撮るということをしていたようだ。だから、写真も絵画のようだったりする。考古学にも貢献したらしい。
彼の孫たちの写真は、農村の子どもとは違って見るからに服装もきちんとしていて、育ちがよさそうな感じだった。生活に困ることはなかったようだ。

興味深いのは、写真機の会社(?)からの手紙であり、機材のガラス板について、取りあえず送るが、開発中であり、それは性能がまだよくできていないので、お代はいらない、等と言う内容のものがあった。ティオリエは、イギリス製ではなく、ドイツ製のガラス板に良いものを見つけたようであり、そのことについても手紙がある。ドイツは進んでいたのかな。
写真というものが、機械を使うものである以上、その性能が作品を左右することはいうまでもない。となると、新しい機械を開発することにかかってくるし、それをどう使いこなすか、という試行錯誤が、写真家と写真機を作る会社とによってなされていたというのがよくわかった。

今日展示されていた写真は、本人が発表したものではなく、子孫が発見して世に出したものなのだそうだ。
1900年のパリの万博で建築物を作っている最中に写真や、地下鉄工事の写真など、藝術作品というよりも、報道や記録としての意味のあるものもあり、非常に興味深かった。

この展覧会は、今日が最終日であり、たまたまこれが見れたのもよかったなと思った。

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世田谷美術館再挑戦

2010-07-25 18:33:28 | 運転・車・道路の事
以前、駐車場がわからず、迷った末にわけのわからない道を右往左往して、二子玉川まで行って、そのまま自宅にもどってきてしまったという、世田谷美術館への運転に再挑戦しました。(前回4月29日の記事

ところが、またまた迷走。

世田谷美術館の駐車場は、美術館通りにある砧公園の有料駐車場とは別に、美術館利用者のための無料の駐車場が、東名高速の高架下にあります。
環八を北から南に走ってきた場合、ここへ行くには、環八東名入口に沿って右折するということですが、もっと手前の北で砧公園側に入っておいて、大蔵通りを南下し、高速を越えたところで左折して、高速に沿って東に進むと、逆方向から同じところに到着するということです。

それで、美術館のホームページにあった駐車場への案内図を参考にし、「大蔵通りを南下して、高速道路を越えたらすぐに左に曲がるんだな」と覚えておきました。(ナビではこの駐車場はありません。)
それで、順調に大蔵通りを南に向かって走っていたところ、「あれっ?もしかして今のが高速だった???」という状況に出くわし、高速を渡ったことに気付くのが遅く、左にまがりそこなってしまいました。
というのも、私は東名高速は高架になっているものとばかり思いこんでいて、自分が高架をくぐったら左に曲がるのだと思っていたのです。ところが実際は、高速は意外にもはるか下を走っていて、自分の道が上でした。

確か、案内図では、大型車の場合はその後まっすぐ走って左に曲がると言う経路があったので、それでいけば行けそうでした。そこで、適当なところを左に曲がってみましたが、わけがわからなくなってしまいました。
ナビを美術館にセットし直し、ナビにしたがっていたところ、「一方通行につき進入禁止」という札が、道路の左側に立ち並ぶ道に突入。えっ、この道進んじゃいけないの?とおもいつつ、しかし、それは正式な標識ではないし、進んでいけないといいながら、左に曲がるとするともっと狭い道なのでした。いったい、どっちに侵入してはいけないのかわかりません。
もう違反になろうとしかたないと思ってそのまま進んでいくと、前方に信号。信号があるということは、その道は車が進んで良い道路ということです。進入禁止の立て札は、左への横道に進むことに関して書かれていたようです。非常に紛らわしいです。

そのあとも、本当に進入禁止があって、進めるほうにしか進めない道を進み、ナビが案内するところはナビに従って走ったところ、「大蔵通り」に出ることができました。
ナビは、あっちに曲がれこっちに曲がれと言っていたのをやめて、1キロ先左などとすっきりした案内に変りました。出たところは、以前も迷ってやっと脱出した信号のところで、それが多摩堤通りで、そのあと、玉川通り、環八へと戻ってきました。

同じ迷ったにしても、前回よりは落ち着いていたようです。
今回はそれではあきらめず、環八からもう一度美術館通りに入り、大蔵通りを走って、高速を渡ったところで今度こそ左に曲がり、高架下の駐車場にたどり着きました。
駐車場の入口もあわや見逃すところで、急に気がついてブレーキを踏んで入ったので、後ろの車にはちょっとめいわくだったかもしれません。

無料駐車場は空いていました。やっぱりわかりづらいんでしょう。
しかし、有料駐車場は2時間まで500円もするので、絶対に無料がいいです。

世田谷美術館は、公共の交通機関を利用すると、JRから私鉄にのりかえ、さらにバスを使わなければいけないようで、1時間以上かかって非常に不便です。
それゆえ、都内に住みながら、1度も行ったことがありませんでした。
一方、車では自宅から8キロくらいで、順調に行けば20分もかからないということがわかりました。
今日は迷って、余計な道を走ったので、28・5キロの走行でした。
次回からは簡単に行けそうです。



世田谷美術館のある砧公園から東名高速を見たところ。
左下に駐車場があります。
大蔵通りとの交差では下を通っていた東名が、ここでは上を走っているということですね。


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ウルトラバイオレット

2010-07-25 01:45:46 | 日記
このあいだ、仕事で読んでいた文書に「紫外線~~」という日本語が出てきたが、それにカッコ書きして「uitra violet~~」という英語が書かれており、その時初めて、よく化粧品などで使われている「UV」は「ウルトラバイオレット」の略であることを知った。
バイオレットはスミレであり、スミレは紫色である。ウルトラが「超」とか「ものすごい」って意味だとしたら、ものすごい紫の光線なの?と思ったのだが、「紫を超えた」という意味で、「紫の外」そのものであって、決して「ものすごい紫」の光ではないのだ。

「UV」というだけで、紫外線から守ってくれるものと私は思っていたのだが、「UV」こそが「紫外線」なのだから、日焼け止め化粧品などは「UV化粧品」ではなく、「UV対策」「UV対応」「UVケア」「UVカット」などと「UV」の後ろに何かをつけなくては、ちゃんとした意味にはならないようだ。

ところで、「ウルトラマン」というのはどういう意味なのだろうか。「超人」なんだろうか。スーパーマンは「すごい人」らしいけど、ウルトラマンは人の域を超えた人なのかな。

日差しの強い夏、ウルトラバイオレットに気をつけましょう。
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