山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

今年の夏も

2013-08-19 22:38:02 | 日記
腑抜け
近頃、朝晩は少し涼しくなったが、昼間は相変わらず暑く、今日も午後になると耐えかねて冷房を入れた。天気情報によると33℃とのことだ。この気温は、日陰での測定だから、実際にはもっと暑い...


今年の夏もまた昨年と同じようなことをしている。
暑いからどこにも行かない。特に、実家にも行くのを中止した。
実家の母も暑くてめんどうくさいから来るなという。
行くのも大変だけど、来られるほうも大変なのだそうだ。
それもそうだということで、お盆にも帰省しなかった。

冷房をかけて家の中にこもっていると、本当に何をしたらよいのかわからない。
本を読んでいてもテレビを見ていていても、眠くなって寝てしまう。
事件物のドラマは、いつも犯人が解明されるまえに寝てしまうので結末がわからない。
ちょうど1時間半くらい経過したあたりで夢の中。
目を覚ますと、すでに次の番組が放送されているのだ。1時間半の視聴が無駄。

さて、昨年の記事を読むと、買ったばかりの冷蔵庫が不調というのがかいてある。
そういえば、昨年、結露でべちょべちょになってしまう冷蔵庫を返品交換した。
その時、不調の新品冷蔵庫を運び出した運送屋さんが見つけたのは、冷蔵庫の裏面のへこみだった。最初に買ったものを運びこんだときに、運送屋さんがどこかにぶつけてつけたものらしい。
玄関などを通るのがぎりぎりだったのだが、ドアノブなどにぶつけたのかもしれない。
その傷と結露との関係は定かではない。
でも、もしかしたら、そのせいで冷却機能が壊れたのかもしれない、という可能性がないわけではないことがわかった。

冷蔵庫の真裏だったので、全然見えなかった。

新しい物と取り換えたら、結露は全くつかずちゃんと動いている。

運送屋さんというのも、プロの技術が必要だ。運んだ運送会社はそれぞれ違う会社だった。
傷をつけて、知ってか知らずか黙って設置して行った会社。傷を発見してこれはプロの仕事じゃないなあと感想をもらす会社。ちょっとした不注意で10万以上の電化製品が壊れることも。

あの冷蔵庫どうなっちゃったんだろう・・・。かわいそう。
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少年H

2013-08-19 22:11:22 | テレビドラマ・映画
昨日の記事の続きになります。
映画「少年H」を見て思ったことなど。

少年Hの父は洋服の仕立て屋さんで、日本に住む外国人お客さんも多い。映画の中では、父役の水谷豊も、自分が洋服屋さんだけあっていいスーツを着ている。その子どもである少年HやHの妹や妻もさすがに良い服を着ていた。
住まいはこじんまりした2階建ての長屋だが、きちんとしていて、暮らしぶりは悪くはない。少年Hの家はクリスチャンだ。特に母親が熱心だが、日曜日は家族そろって礼拝に行き、讃美歌を歌ったりしている。
母親と子どもたちは、外国人からプレゼントされたナイフとフォークで毎日料理を食べ、みそ汁も洋皿とスプーンを使って飲んだりしている。父親は本人の希望なのか和風の食器と箸を使っている。

こういう様子は、その当時でもかなりの西洋かぶれというか、今の時代でさえもそこまで洋風な家はなかろうと思える。外国人との付き合いもあったため、アメリカから送られてきた絵ハガキが家にあるだけで、開戦後はスパイの容疑をかけられてしまった。
Hの家は、外国文化に染まっているというか、あの時代には、確かに日本の警察や軍隊から見たら、かなり目障りな家族だったんだろうなと感じた。Hがマネの裸婦の絵を模写したりしているのにも、理解ができない人間がいる。

戦争映画やドラマをいろいろと見てきた者にとっては、あの時代に何が許されなかったかは、いやというほど知らされているため、どうしてもっと無難に立ち回れないのかとさえ思えてくる。何もフォークで食べなくてもいいだろう、見つかったら非国民とされてしまいそうで、ひやひやしてしまった。

さて、映画の中で違和感を持った部分がある。それは、疎開から戻ってきた妹が、田舎から米をもらってきたのだが、その米を炊いて食べている場面だ。
家を失った人々にあてがわれた住宅で、隣の部屋とは隙間だらけの壁で仕切られているので、米のご飯を食べているのが隣に知れて、隣の子供が食べたいと騒ぐのも聴こえてくるため、クリスチャンの母がご飯をにぎって隣に持っていく。それに対して、一度あげたらきりがないといってHが反対する。
そのとき、Hの家族が食べているおにぎりがかなり大きく、家族4人では食べきれないほどの量を卓袱台に載せている。そして、さらに釜の中からご飯をよそっておにぎりにして、隣に持っていく母。
元々家族だけで食べるつもりなのに、どうしてあんなにたくさんご飯を炊いておにぎりにしているのか、私にとってはかなり不自然に感じた。米がない生活を送っていたところに、疎開していた娘が貴重な米をもらってきた。貴重な米が手に入った時、あんなにたくさん一度に炊いて、おにぎりをたらふく食べようとするのだろうか?この豊かな平成の時代でさえ、あんなに大きなおにぎりを大量に食べたりはしない。どう考えても多すぎるのだ。毎日飢えているのだったら、胃袋も小さくなっているだろうし、今後米を長持ちさせるために少しずつ大切に使うのが普通ではないだろうか?それとも久しぶりに豪勢に炊いてみたのか?とも思うが、この場面はかなり不自然に感じた。
少ない米なのに他人のために分けてあげたということを示したいのではなく、いっぱいあるのにHがあげたくないと反対したことを示したかったのだろうか?
原作を読んでみないとわからないところ。

水谷豊・伊東蘭夫妻の夫妻役は話題にもなっているが、本当の夫婦でもあり、なかなかよかった。子役も、これまで知らなかった子だが好演していた。

やっぱり、原作は読んでみたほうがよさそうだ。
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映画“少年H”を観て

2013-08-19 01:09:51 | テレビドラマ・映画


今日は映画「少年H」を見に行った。この作品は、誇張や虚飾などが全くなく、おそらく原作者の体験をそのまま描いたのだろうと思えるような印象を持った。
真面目に生きる普通の人たちがどのようにその時期を過ごしたのか、というのが等身大にきちんと伝わってくるドラマだった。
多くの戦争ドラマは、一番の不幸や困難を描いて、戦争の悲惨さを強調し、人を感動させようとするかもしれない。でも、このドラマは家族4人が誰も死ななかった。極端な物語の設定は1つもなかった。それでも、この時代がどんなものだったかがよく伝わってきた。

太平洋戦争は1941年12月8日に始まり、1945年8月15日に終わった。あらためて考えてみるとその期間は3年9カ月である。最初のうちは戦地はまだ国外だったが、昭和20年ころには本土の襲撃が激しくなり、一般住民も危険な状況になり、ついには焼け野原になってしまう。戦争は終わったものの、生き残った人々にとっては、敗戦後の時期を生きていくことがかなり辛かったようだ。そして、実際に疎開から戻ったり、戦地から戻ることができたのは、昭和21年以降だったようでもある。
国のために命をささげること一筋だった人々の価値観が崩れたときに、逆に無気力になったり、何をよりどころに生きたらいいのかわからなくなったりする、その恐ろしさも伝わってきた。

戦後、大人が、新しい社会のなかで折り合いをつけて適応していく中で、主人公の少年Hだけが、その不条理に納得できない。生きていけないと感じる。
父(水谷豊)は戦前戦中と、いつも変わらぬきちんとした判断力を持った人だったが、その人までもが確たる判断を息子に対して示さず無気力になっている。その姿に息子は苛立つ。

中学生というのはちょうどそういう年齢でもあるだろうが、大人と子供とどっちが順応性があるのだろうか?と思うと、意外と大人なのかもしれないと思った。大人にはさまざまな人生経験があり不条理に対する免疫があるからだ。
(東日本大震災のときにも、津波の直後の混乱した時期には、子どもの方が大人より元気だったそうだが、数か月以上経ったあとでは、子どものほうが精神的に不安定な状態に陥っているという話を聞く。)だから、大人が子どもを守らなくてはいけないし、子ども自らも乗り越えなくてはならない。

戦争について思ったこと。
あの戦争にかかわる数年間は、日本にとっての重傷・重病であり、未だその後遺症から解放されていない。表向きはみごとに復興を遂げたが、精神的後遺症は永遠に続くんだろう。
この夏の靖国参拝問題、近隣諸国の反応以前に、国内でも靖国神社の存在の有り方も全く解決はされていない。憲法もどうなるのか。
日本は敗戦したのだ。だから対米関係は、いつも日本にとっては不利なのだ。国土も占領されたままだ。にもかかわらず日本は中国や韓国などに対しては、永久に加害者であり、謝罪し続けなくてはならないのだ。

日本には石油がない。今度もし石油がなくなったらどうするのか?現在エネルギーをまかなっている火力発電は石油でなりたっているのだろう。だから政治家は「原発」を継続しようとする。どんなに危険であってもエネルギーは必要だからだ。
それは、無謀な戦争に走った時と同じではないのか?結局のところ戦前の問題も今の問題も、日本にはエネルギー源がないという問題で、同じではないのか。

少年Hでは、戦争の原因などにはほとんど触れられていなかった。しかし、なんで太平洋戦争が起こったのかと考えると、日本がアメリカに宣戦布告をした直接の原因は、アメリカが日本に対して石油や鉄などの輸出を止めたからであった。
アメリカのご機嫌を損ねてはいけないのだ。アメリカを敵にまわすとどういうことになるかは、いやというほど思い知らされているのだ。

つまり
・日本にはエネルギーがない。
・日本はアメリカを怒らせてはいけない。

これは戦後68年経とうと、それ以前から全く変わることがないのだ。

少年Hの内容からは少しそれてしまいましたが、この映画を見て、改めて太平洋戦争と日本について考えさせられました。



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