最近は、出光に関係する記事ばかり書いているのですが、ちょうど一週間前の土曜日、出光美術館の企画展「文字の力・書の力」を見に行ってきました。例によって新聞屋からもらった無料の招待券があったからです。この展覧会は翌日18日までだったので、ここで行かないわけには行きません。それにちょうど「海賊と呼ばれた男」を読み始めたところでした。
出光美術館のある通りです。この街路樹はなんでしょう?花のような実のようなものがいっぱいついていますね。(7~8月に白い花を咲かせる街路樹・・・エンジュ(槐)という木かも?秋に黄色い実がなるとか。)
出光美術館はいつも東洋の美術(絵画や陶器など)の展示をします。実を言うと、私にはあんまりよくわからないのです。でも、まあ、目の肥やしかな?というところです。そのうちに分かるようになるもんだか・・・。
今回の展覧会は、実は5年前の「西行の仮名」の第二弾だったようです。
そういえば・・・そういえば、それも見に行ったではないか!と思い出しました。
あれも、新聞屋に2枚もらって、1人で見に行きました。
2008年3月17日に記事があるので、ちょうど5年5カ月前のことでした。
あのときは、なんだか書に詳しそうな人ばかりが、熱心に鑑賞していたようでした。今回も年輩の人が多かったです。書道をたしなんでいるのか、空中で筆を持つしぐさをして文字をなぞるようにしているオジサンなどもいました。あと、中高生のような若い子たちもいて、何かメモしながら熱心に見ています。夏休みの宿題に美術館見学かなんかが出ているのでしょう。
今回は純粋に「仮名ってきれいだな~」と思いながら作品を見ることができました。
文字と絵の組み合わせ。文字も1つのデザインであり、模様のようにも見えます。
いい感じです。何が書いてあるのかあんまり意味はわからなくても気にしません。
仮名はやっぱり縦書きに限ります。風流です。
日本人は、自然が好きです。花鳥風月、虫も印象に残りました。
そのなかで、面白いな~と思ったのが、これ。
これ食ふて茶のめ。 丸いのは饅頭かなんかでしょうか?
なんとも心がなごみます。
仙厓の「一円相画賛」
「海賊と呼ばれた男」では、終戦後すぐの時にまだ仕事がなく、社員すべてが苦しい状況にあって、店主(国岡鐵造)が部下の甲賀に、「茶でも一服どうだ」と言って、古唐津という高級な茶椀で茶を飲ませてくれる場面がありました。
「こんないいもので、よばれてもよろしいのでしょうか」という甲賀に、
「もちろんだとも。茶碗は飲むためにある」と答え、「ただし、これで茶をたてるのも、今日が最後だ」と言います。
店主は、これまで大切にしてきたその高級な茶碗を売って、社員に給料を払うことに決めていました。
そんな場面を思い出して、仙厓のこの絵を見ていると、泣けてしまいました。
辛い時や窮地においても、「これ食うて茶のめ」と言える人になりたいものです。
出光美術館に行ったときは、まだ最初の方しか読んでいなかったのですが、その後、本を読み進むと、出光佐三氏は、仙厓が子どものころから好きだったことがわかりました。
「海賊と呼ばれた男」によると、鐵造が子どものころに、骨董屋で仙厓の掛け軸をみつけ、気に入って父親に買ってもらったそうです。仙厓は当時は無名でしたが、後に有名になり、この絵は仙の代表作として知られるようになった「指月布袋画賛」というものだそうです。仙厓は臨済宗の禅僧で、月は「悟り」を意味し、それを示す指は「経典」を意味しているそうです。鐵造は晩年になっても仙厓を愛し続けたそうです。
それで、出光美術館には仙厓の絵がたくさんあるようです。
そして、秋にはなんと仙厓の企画展があります。
「海賊と呼ばれた男」によると、鐵造が茶や骨董をたしなむようになったのは、学生時代に「日田重太郎」という資産家と知り合い、その人が茶や骨董を楽しむ風流人だったからのようです。鐵造はこの人から会社を始めるための多額の資金を貰っています。鐵造の人間を見込んで資産をなげうったこの人もすごいなあと思います。
出光美術館は、皇居が見下ろせる場所で9階にあり、先週、お濠が濃い緑であるのを最初に発見したのもここでした。ここからの景色はすばらしいです。そして入館者がソファに座って景色を眺めながらお茶を無料で飲めるようになっています。そういうセンスの良さはさすがだと思います。
出光美術館のある通りです。この街路樹はなんでしょう?花のような実のようなものがいっぱいついていますね。(7~8月に白い花を咲かせる街路樹・・・エンジュ(槐)という木かも?秋に黄色い実がなるとか。)
出光美術館はいつも東洋の美術(絵画や陶器など)の展示をします。実を言うと、私にはあんまりよくわからないのです。でも、まあ、目の肥やしかな?というところです。そのうちに分かるようになるもんだか・・・。
今回の展覧会は、実は5年前の「西行の仮名」の第二弾だったようです。
そういえば・・・そういえば、それも見に行ったではないか!と思い出しました。
あれも、新聞屋に2枚もらって、1人で見に行きました。
2008年3月17日に記事があるので、ちょうど5年5カ月前のことでした。
あのときは、なんだか書に詳しそうな人ばかりが、熱心に鑑賞していたようでした。今回も年輩の人が多かったです。書道をたしなんでいるのか、空中で筆を持つしぐさをして文字をなぞるようにしているオジサンなどもいました。あと、中高生のような若い子たちもいて、何かメモしながら熱心に見ています。夏休みの宿題に美術館見学かなんかが出ているのでしょう。
今回は純粋に「仮名ってきれいだな~」と思いながら作品を見ることができました。
文字と絵の組み合わせ。文字も1つのデザインであり、模様のようにも見えます。
いい感じです。何が書いてあるのかあんまり意味はわからなくても気にしません。
仮名はやっぱり縦書きに限ります。風流です。
日本人は、自然が好きです。花鳥風月、虫も印象に残りました。
そのなかで、面白いな~と思ったのが、これ。
これ食ふて茶のめ。 丸いのは饅頭かなんかでしょうか?
なんとも心がなごみます。
仙厓の「一円相画賛」
「海賊と呼ばれた男」では、終戦後すぐの時にまだ仕事がなく、社員すべてが苦しい状況にあって、店主(国岡鐵造)が部下の甲賀に、「茶でも一服どうだ」と言って、古唐津という高級な茶椀で茶を飲ませてくれる場面がありました。
「こんないいもので、よばれてもよろしいのでしょうか」という甲賀に、
「もちろんだとも。茶碗は飲むためにある」と答え、「ただし、これで茶をたてるのも、今日が最後だ」と言います。
店主は、これまで大切にしてきたその高級な茶碗を売って、社員に給料を払うことに決めていました。
そんな場面を思い出して、仙厓のこの絵を見ていると、泣けてしまいました。
辛い時や窮地においても、「これ食うて茶のめ」と言える人になりたいものです。
出光美術館に行ったときは、まだ最初の方しか読んでいなかったのですが、その後、本を読み進むと、出光佐三氏は、仙厓が子どものころから好きだったことがわかりました。
「海賊と呼ばれた男」によると、鐵造が子どものころに、骨董屋で仙厓の掛け軸をみつけ、気に入って父親に買ってもらったそうです。仙厓は当時は無名でしたが、後に有名になり、この絵は仙の代表作として知られるようになった「指月布袋画賛」というものだそうです。仙厓は臨済宗の禅僧で、月は「悟り」を意味し、それを示す指は「経典」を意味しているそうです。鐵造は晩年になっても仙厓を愛し続けたそうです。
それで、出光美術館には仙厓の絵がたくさんあるようです。
そして、秋にはなんと仙厓の企画展があります。
「海賊と呼ばれた男」によると、鐵造が茶や骨董をたしなむようになったのは、学生時代に「日田重太郎」という資産家と知り合い、その人が茶や骨董を楽しむ風流人だったからのようです。鐵造はこの人から会社を始めるための多額の資金を貰っています。鐵造の人間を見込んで資産をなげうったこの人もすごいなあと思います。
出光美術館は、皇居が見下ろせる場所で9階にあり、先週、お濠が濃い緑であるのを最初に発見したのもここでした。ここからの景色はすばらしいです。そして入館者がソファに座って景色を眺めながらお茶を無料で飲めるようになっています。そういうセンスの良さはさすがだと思います。