「海賊と呼ばれた男」を引き続き読んでいます。
それで、他の方がどんなことを書いているのかとブログなどを検索してみたら、
なんと8月22日、今日が出光佐三氏の誕生日であることがわかりました。
それでは、日付の変わらぬうちに何か書かなくてはと、今焦っているところです。
生まれたのは1885年なので、今から128年も前になるようです。
この方は95歳まで長生きされたようです。
自分の死後にこんな小説が売り出され、日本の多くの人がその生き方に感動しているなんて、天国でさぞかし驚いていらっしゃることでしょう。
小説によれば、国岡鐵造(出光佐三)は明治18年に、現在の福岡県宗像市に生まれたそうです。
始めて日本に内閣ができて伊藤博文が総理大臣に就任した年です。
鐵造の父は染物業を営んでいて、瀬戸内海を船で渡り、阿波徳島から藍玉を仕入れ、商売を広げており、鐵造が子どものころは、かなり裕福な家だったとのことです。
ところが、そののち、鐵造が神戸高商に行っていたころから商売が傾き始め、ついに没落してしまいました。商売が傾いても、鐵造の学費だけは無理をして送ってくれていたことが後になってわかりました。藍染がダメになったのは、化学染料が出てきて時代が変わったからです。
その後は、鐵造が独立してから父と弟と叔父で会社を立ち上げます。まずは、機械油を売ろうとしますが、なかなか軌道に乗らず、資金も底をついてきて、落ち込んでしまいます。
アメリカ製の油は品質が良いが価格が高い。なんとか、品質がよくて安い油がないものかと悩みます。
その時、父が「油のことはわからないが、染物の場合、藍を複数混ぜるとよいものができる」とつぶやきました。それが大きなヒントとなり、鐵造は油を混ぜることを思いつきました。
当時はどの工場も同じ機械油を使っていましたが、機械によってその機械の特質に合った(粘り気や温度が適合する)油になるよう調合することで、他の業者の油とは違うものとなり、顧客を開拓することができました。
父が船に強かったことも、後に船の上で軽油を売るのにも一役買ったようです。
鐵造は逸材ですが、やはりこの家に生まれ、この親の子だったという要素も大きいでしょう。
まずは家族から始めた会社であり、鐵造はどんなに会社が大きくなっても、社員はすべて家族であると考え大切にします。
私がすごいと思ったのは、鐵造が単に油を仕入れて売るだけの商人ではなく、油を調合したり、機械にさして実験したりなどの試行錯誤を惜しまなかったことです。このあたりは理系人間だなと思います。だから、石油の精製などもし、石油化学やいろんな分野に発展できたのでしょう。藍染をしていた父にもきっとそういう特質があったのだと思います。
ということで、出光佐三さんが生まれた日と育った環境を想像してみました。
それで、他の方がどんなことを書いているのかとブログなどを検索してみたら、
なんと8月22日、今日が出光佐三氏の誕生日であることがわかりました。
それでは、日付の変わらぬうちに何か書かなくてはと、今焦っているところです。
生まれたのは1885年なので、今から128年も前になるようです。
この方は95歳まで長生きされたようです。
自分の死後にこんな小説が売り出され、日本の多くの人がその生き方に感動しているなんて、天国でさぞかし驚いていらっしゃることでしょう。
小説によれば、国岡鐵造(出光佐三)は明治18年に、現在の福岡県宗像市に生まれたそうです。
始めて日本に内閣ができて伊藤博文が総理大臣に就任した年です。
鐵造の父は染物業を営んでいて、瀬戸内海を船で渡り、阿波徳島から藍玉を仕入れ、商売を広げており、鐵造が子どものころは、かなり裕福な家だったとのことです。
ところが、そののち、鐵造が神戸高商に行っていたころから商売が傾き始め、ついに没落してしまいました。商売が傾いても、鐵造の学費だけは無理をして送ってくれていたことが後になってわかりました。藍染がダメになったのは、化学染料が出てきて時代が変わったからです。
その後は、鐵造が独立してから父と弟と叔父で会社を立ち上げます。まずは、機械油を売ろうとしますが、なかなか軌道に乗らず、資金も底をついてきて、落ち込んでしまいます。
アメリカ製の油は品質が良いが価格が高い。なんとか、品質がよくて安い油がないものかと悩みます。
その時、父が「油のことはわからないが、染物の場合、藍を複数混ぜるとよいものができる」とつぶやきました。それが大きなヒントとなり、鐵造は油を混ぜることを思いつきました。
当時はどの工場も同じ機械油を使っていましたが、機械によってその機械の特質に合った(粘り気や温度が適合する)油になるよう調合することで、他の業者の油とは違うものとなり、顧客を開拓することができました。
父が船に強かったことも、後に船の上で軽油を売るのにも一役買ったようです。
鐵造は逸材ですが、やはりこの家に生まれ、この親の子だったという要素も大きいでしょう。
まずは家族から始めた会社であり、鐵造はどんなに会社が大きくなっても、社員はすべて家族であると考え大切にします。
私がすごいと思ったのは、鐵造が単に油を仕入れて売るだけの商人ではなく、油を調合したり、機械にさして実験したりなどの試行錯誤を惜しまなかったことです。このあたりは理系人間だなと思います。だから、石油の精製などもし、石油化学やいろんな分野に発展できたのでしょう。藍染をしていた父にもきっとそういう特質があったのだと思います。
ということで、出光佐三さんが生まれた日と育った環境を想像してみました。