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静岡市は静岡鉄道清水市内線のジオラマ(2021年 フェルケール博物館 少し静岡鉄道の歴史)

2021-07-17 14:27:43 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年7月17日の土曜日です。

静岡市は清水区、当ブログに出てくる「波止場」付近にあるフェルケール博物館内に

展示されている静岡鉄道清水市内線の路面電車のジオラマ

今日からは清水市内線の廃線跡の風景を少々おとどけ。

1961年 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より 

 

清水市内線は昭和3年(1928)に一部区間開業し、その後 港橋~横砂間を結んでいましたが

昭和49年(1974)「七夕豪雨」による被災(庵原川橋梁流失)で全線運転休止、復旧することなく

全線廃止されました。

(フェルケール博物館展示)

静岡~清水の鉄道  ここで少々まとめ  

明治41(1908)年(前述の) 辻村(現新清水)~清水町(波止場)開業 762mm軌間、蒸気

同年     鷹匠町(現新静岡)~辻村が開業  静岡から清水港までが鉄路で繋がった。

大正7(1918)年  江尻新道(辻村から改名)~波止場間廃止、(後に再開業と記されているが、詳細は・)

大正9(1920)年  1067mmに改軌 600V

 

昭和3年(1928)12月 江尻新道(現新清水 東海道線の南側)~港橋間開業

昭和4年(1929)4月 静岡市は安西~港橋 直通運行開始

静岡市内線、静岡清水線、清水市内線の三線を総じて「静岡線」と称していた (今年知りとても驚き)

1961年 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より 

 

昭和4年(1929)7月 江尻新道(北)~横砂間開業

東海道線で分断されており、踏切による連絡を余儀なくされていた。

昭和8年(1933)東海道線を跨ぐ跨線橋架設に伴い港橋~横砂直通運転開始、清水市内線と改称

江尻新道駅は清水相生町と改称

 

昭和20年(1945)静岡清水線が地方鉄道法による地方鉄道に変更され法規上分離

空襲により清水相生町~波止場間を休止、昭和24年(1949)年廃線

昭和21年(1946) 前述の安西~鷹匠町を静岡市内線 鷹匠町~清水相生町を静岡清水線として分離

 

現新清水駅は何回も名前が変わったのですね・駅北側、晩年は引込線として使われていたのかな?

清水市内線とつながっていたようです。

港橋停車場  右は次郎長の船宿「末廣」

清水駅へ北進   万世町、市役所前を通り

新清水駅前   昔は静岡清水線との連絡線があり、駅舎脇に留置されていたこともあったようです。

いよいよ東海道本線を跨ぐ  イイ音させてただろうな

昭和30年代の写真を見ましたが、人も通れたようです。

東海道本線の線路が見えた  遮断機が下りていたが列車は来ず。

仲浜町、清水駅前を横砂まで北上していくのであった。  つづく。

「いいね!」ありがとうございます。

 

 

 

 


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