こんにちは。
まずは6年前の静岡鉄道1000形 ステンレスボディに夕陽ギラリ。
静岡市駿河区高松、旧マッケンジー住宅訪問記 今日がラスト。
(フェルケール博物館展示)
1905年(明治38)に静岡に再生工場が誘致されると、これまで茶の集積所となっていた
北番町周辺には外国商会が並ぶようになりました。
マッケンジー夫妻は1918年(大正7)来日
貿易商社アーウィン・ハリソン・クロスフィールド商会の静岡支店長となり、静岡県特産の茶の輸出振興に力を尽くしました。
日本茶貿易発展のため、輸出業者協会を組織し自らが会長となり、米本国においても茶業界組合委員や日本茶委員会議長
などを務め、日本茶業界の発展、茶輸出貿易の拡大に大きな役割を果たしましたが
1951年持病の悪化のため静岡で亡くなりました。
書斎
奥の棚には輸出用茶箱に貼られていたラベルや、茶町から清水港への輸送の歴史も紹介されております。
私は今年の夏頃「お茶や清水港の歴史」を記事にしており、繋がりにとても驚きました。
エミリー・M・マッケンジー(右)は夫が亡くなったあとも静岡に留まり、私財を投じて乳児院経営や
保育園の開設など、特に恵まれない子供たちに限りない愛情を注ぎ、社会福祉事業に尽くしました。
その功績が讃えられ、1959年10月には静岡市の名誉市民第一号に選ばれました。
キッチン
ピカピカに保たれております。
1972年6月、高齢となった夫人は帰国することになり、その際、福祉に役立ててほしいと
屋敷の敷地の半分が静岡市に寄贈され、残り半分と建物は静岡市が買い取り、夫人の希望に沿って
敷地の一角に静岡市乳児院を建設しました。
帰国した婦人は翌年9月、86歳の天寿を全うしました。
見学を終え、海岸線をノンビリ走る レストランかな?オシャレな店が並びます。
左折し中心部へ向かうが、意外と距離があるんだよな・・ツインメッセ静岡が見えたときは
「やっとここまで来た」 どっと疲れが。
曲金まで足を延ばし電車撮影 緑線は旧東海道。
その線路の下をくぐると静岡鉄道柚木駅。なんてこと風景? よく見ると背景に富士山が! 静岡ってイイな。
ステキな週末を。 「いいね」ありがとうございます。