二月の夕暮れ
自然農田にて
孫の一作(いっさ)と
過ごす時間・・。
小さなからだで
畝を歩き 立ち止まり
溝を見て真剣に思う。
これはなんだろう。
そのうち
降りても大丈夫って
わかる。
そうすると
溝が安心できる道になって
歩くのも楽しめるようになる。
ばぁば、見てごらん、
飛行機が飛んでるよ、
飛行機雲が並んでるね
きれいだね。
音も聞こえないほど
上空の飛行機を見つけて
教えてくれる。
飛行機か宇宙船か
わからないほど小さく光ってる。
太陽がかたむき、ほっぺに風がびゅんと吹いてきたので、『そろそろ帰ろう、ばぁばが抱っこしようか?』と尋ねると『見てるの』と静かにつぶやいて動かない。
見てるの、そのシンプルな一言にハッとする。見ることをしているんだね。大人になると知っている風景や事柄が増えるので、実はほとんど見ていないことが多く、毎瞬、変化変化のこの世界をわかったような気になっているのだ。
存在から見る、視る、観る、これができている人は、どれほど味わい深い人生を送っていることでしょう。二歳児のようにいかないのは、あれこれと思考が先立つから。ゾーンに入る、没入体験、こういった体験は大人になってもできるものだから、大切にしたいとあらためて思った夕暮れでした。
いっちゃん(孫の一作)は、その願い(見尽くす)を叶えてくれる父さんと過ごす時間が大好き。働く車や電車が好きで、パトカーを堪能したい場合は、パトロール中のパトカーの後をさり気なく追跡したり(笑)、プラットフォームで新幹線(こだまが停まる駅)を見尽くしたり、『すっかり見たね』と本人が感じるまで一緒に見るという、忙しい現代の大人にはなかなかできないことを、『ぼくにとってのマジックアワーなのです』、と喜びながら楽しむ父、すごいなぁって思います。
先日、『ばぁば あのパトカーについて行って』と運転中に言われて、苦笑いしてしまう一コマもありましたが、なかなかできないわぁ・・。
幼い頃にいのちの世界に純粋に深くふれて、すべてのいのちのことがわかるようになる・・・。その手助けができるようなあり方でいたいなと思います。それには余計な事をしない、沿い応じ任せる、自然農の栽培における基本と同じですね。
それには、大人が成熟していることが大切なんだなぁと、つくづく思う今です。 フォトbyまりな