プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

柚木秀夫

2014-11-09 15:25:57 | 日記
1975年

「この中から4、5勝できる投手が出てくれば・・・」と首脳陣が注目していた巨人の若手投手陣。阪神、太平洋との秋のオープン戦では、6投手のうち田村、定岡が各1勝をマークするなど、「いいものを少しずつ見せてくれた」(杉下コーチ)というわけで、かなりの成果を上げたが、その中で注目を集めたのが左腕柚木(前橋工)の登板。太平洋戦で通算5イニング投げて自責点4。竹之内と白に本塁打を浴びたが、「来年はなんとかいけそう。カーブに自信が持てた」と本人もニッコリ。この柚木、プロ入り五年目だが、今春南海からバッティング投手として入団した変わり種。もちろん、一軍相手の登板はプロ入り初めてだけに感激もひとしおといったところ。左腕投手が少ない巨人だけに「死んだ気でがんばる」という柚木の飛躍を期待したい。
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森山正義

2014-11-09 14:54:18 | 日記
1974年

プロ入りすでに二年、首都リーグのスラッガーが、プロの厚い壁に悩んでいる。阪神・森山外野手。明治学院大学時代は神宮の森に22ホーマーを打ち込み、ドラフト2位で入団。第二の田淵を目指し胸をはずませていたものだ。昨シーズンは前半戦から早くもベンチ入り。代打ながらしばしばチャンスに起用されていた。しかしプロの世界は大学時代に考えていたほど甘いものではなかった。スピードが違う上に、変化球の鋭さも比べものにならない。鳴り物入りで入団。注目を集めていたルーキーにもこの環境の違いは大きかった。いつの間にか使われる機会も少なくなり、あげくの果ては二軍行きを命じられた。「寂しいものですね。初めのうちこそファンレターも、たくさんもらっていたのに、今ではほとんどありません。ときたましっかりしろ!というお叱りの手紙をいただくくらいで・・・。今年こそはと思っていたのですが、とうとう一軍入りのチャンスさえつかめなかった・・・」球団首脳陣の期待は大きかった。いくら学生野球といっても、22ホーマーは田淵の学生時代(法大)の記録と同じ。「並の力ではない」とやっきになって売り出そうとしたのもムリはないだろう。今春の安芸キャンプ。第一号ホーマーを打ち金田監督(退団)でさえ、「今年はモノになりそうや」と首脳陣にPRしてまわるほどだった。小柄なわりにはパンチのきいたバッティング。薄い外野陣の一角に食い込むのは間違いないと思われていた。だがオープン戦が始まり、公式戦が近づくにつれ快音が聞かれなくなり、ついには一度も一軍ベンチ入りを果たせず。スピードにはどうにかついていけるようになったが、カーブめくらは解消されないまま。「何とか学生時代のバッティングフォームを取り戻そうと思っているんですが・・・。考えれば考えるほど迷って」とさえない表情で悩みを打ち明ける森山。それでも毎晩、素振りだけは欠かしたことがないという。「あいつの努力には頭が下がる」と合宿の同僚さえ一目置くガンバリ屋。この努力が新生タイガースでどう実るか、来シーズンが勝負の年でもある。
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鈴木照雄

2014-11-09 13:47:55 | 日記
1973年

いまひとり鈴木照は無名の選手だが、ウエスタンに出ている他チームの選手たちは一目も二目も置いている。1㍍68、68㌔の小柄な選手だが、吉田―安藤の系譜を受け継ぐ山椒は小粒でもピリリと辛いを地でいく人材だ。「小さいがファイトがあるし、グッと身をのり出してきたとき気迫がある。バッティングがシャープだ」と対戦した投手たちは異口同音に警戒している口ぶり。大東文化大から河合楽器を経てプロ入りしただけに実戦タイプだ。「去年はケガがあって15試合ばかりしか出ていませんが、ことしは調子もいいしやります」とやる気満々。
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清水透

2014-11-09 10:32:50 | 日記
1973年

「こいつは掘り出し物や」と中々の評判なのが大洋のルーキー清水透遊撃手。長崎(法大)の蔭にかくれて入団当時は騒がれなかったが、中日とのオープン戦第一戦(二十五日、島田)では「二番、遊撃手」で早くも先発メンバー。「清水なんていたのかナ」とがぜん注目を集めた。東京・佼成学園から河合楽器で四年間のノンプロ生活。この間、甲子園の選抜、都市対抗(四度)にも出場しており、中々の実力派。特に足が速く、ベース一周14秒台の№1野口とチーム一を競う程でフットワークの軽い守備の評価も急上昇中だ。「ええ走りっぷりだ。もっと伸びるで」(青田監督)「キビキビして気持ちのいいプレーをしよる」(江藤)と周囲の声も段々と大きくなっている。「高校、ノンプロでは一年ほどでレギュラーになれました。自分でも何となくいい星を持っているような気がします。代走でも何でもいい。試合に出てチャンスをものにしたい」と清水。色白の甘いマスクも有望ルーキーらしくフレッシュ。楽しみなホープの登場である。
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飯田敏光

2014-11-09 10:31:59 | 日記
1973年

自主トレが始まって約二週間。大洋・多摩川でジャンボ投手が注目を集めている。仲根(近鉄)を約1㌢上回る1㍍92、92㌔という飯田敏光投手がそれ。「大物や、モノになったら面白いぞ、フォームがいいんや」と青田監督も期待の目を向けている。この飯田、静岡・三島の中学時代に軟式野球を始め、キャッチャーから投手へ転向。その後は専ら草野球のエースとして活躍、昨年は1安打試合が八つとあわやパーフェクトというノーヒット・ノーランを一試合記録している。早くからプロ志望で、四十五年に西鉄(現太平洋)東映(日拓)、翌四十六年には巨人のテストを受け、最終審査で落ちている。四度目の正直という訳で昨年十一月の大洋のテストに合格。待望のプロ入りを果たした異色のルーキーというところ。ただ西のジャンボ仲根は契約金数千万円だが、こちらは支度金二十万円の月給六万円。しかし、多摩川のジャンボはそんな事は意に介せず一軍目ざして体づくりに懸命。
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大橋康延

2014-11-09 06:49:11 | 日記
1974年

「うまく行けば江川(法大)よりひと足先に一軍戦に登板できるかも・・・」と株の上ってきたのが大洋のルーキー大橋(作新)。教育リーグ戦では三回途中まででボークを三つやるなど、散々のデビューぶりだったが、そのあとの対巨人一軍オープン戦(前橋)では、ONら主力を相手に四回を6安打の無失点。「チャンスがあれば出してやろうと思っていたが、あの度胸のよさなら十分いける」(宮崎監督)と首脳陣からも、合格点を貰ってごきげん。「巨人の怖さも分かったけど、タイミングを外すカーブとシュートで、結構やっていけるような気がします」と大橋は自信に燃えている。平松、山下、坂井、高橋、竹内・・・と一軍投手陣の壁が厚いため、序盤戦は、イースタンで腕を磨くことになりそうだが、若手に混じって何処までやるか。故郷の小山市には「大橋後援会」がすでに発足。激励の電話もひっきりなしということで大橋も「登板した試合は、全部完投勝ちするつもりで」と意気盛ん。
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