プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

奥田直也

2016-06-04 23:46:45 | 日記
1974年

昨年のシーズン前半まではロッテのファームでくすぶっていた男。無口で色白、インテリ風な容ぼうが、陽気にハデ好みの金田監督に敬遠されていたフシもある。「ウチは下手投げに弱い。その対策としてのバッティング投手でけっこう」と中日も軽い気持ちでトレードだった。「どうせロッテにいても日の目をみないのなら、どこへでもいきますよ」と中日へ移ったのが昨年の八月だった。それからわずか半年。近藤コーチは考え直した。バッティング投手とは、もったいない。オープン戦に登板させるたびに、ますます考えてしまう。三試合で無失点。「球の伸びがいい。こりゃあ掘り出しものだ。中継ぎ役にはもってこいかもしれない」もとをただせば、大鉄高のエースで三年前の選抜大会準優勝投手。みがけばキラリと光ってもおかしくない。「ことし、意外にやるかもしれんぞ。浜松キャンプのブルペンで三沢と並んで投げているのをみて、オヤッと思ったんだ。遠かったからなあ」と中山コーチ。もし本番で再びクローズアップされたら、そのときロッテの金田監督はどんな顔をするだろう。
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バール・スノー

2016-06-04 22:57:24 | 日記
1974年

開幕へ秒読みにはいった二十六日、日本ハムが弱体投手陣の救世主と銘打って外人投手の入団を発表した。本名はローレンス・バレット・スノー、通称バール投手(29)=1㍍83、85・5㌔、右投右打、米国ユタ州立大出=で米国生まれの白人選手。バールの球歴はいささか魅力に欠け1966年からメッツ、インディアンスのファーム(1A)に在籍、通算成績は十九試合2勝5敗。昨年はユタ州テクニクス大学でコーチ業に専念し、一年間はまったくのブランク。この日午後四時から東京・六本木の球団事務所で行われた入団発表では、三原球団社長が「体づくりからはじめなければならないが、今シーズンは最低10勝できる実力者」とバールを紹介。純白色の髪、同長のバールは終始ニコニコと愛想よく「得意は速球。二十九歳といっても体は鍛えてあるから二十歳ほどの力は出せるつもり。日本の野球界は全然知らないけれど、まあ15勝もすれば球団は文句がないだろう」とやけに鼻息が荒い。背番号はエースナンバー18。「同じテスト生だったバッキー(元阪神)よりスピードがあるし、それ以上は活躍してくれるだろう。指はオレより関節一つ分も長い。本格派投手として投手陣にシンが入った」という中西監督。十年前大リーグのレッズに抜てきされたが、契約直前の新婚旅行中に自動車事故。妻を即死させ、バール自身も左足に大ケガをして大リーグの夢を棒にふったという。薄幸のバールに、投手陣のシンになる活躍を期待する日本ハムはオープン戦5勝7敗1分け。一試合平均4・3失点と極端な投手ひでりに泣いている。二十七日から練習をはじめるバールの右腕が、はたしてチームを引っぱれるだろうか。
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バール・スノー

2016-06-04 22:33:11 | 日記
1974年

まだ入団がきまっていないのに、二十三日からチームの遠征に同行してただいま調整中のヘンな外人投手が、日本ハムに出現した。アメリカ1Aで投げていたことのあるバル・スノー投手(29)=1㍍84、86㌔、右投左打=ですでに「テスト」には合格、現在、アメリカ側に身分を照会中だ。日本ハムではバッキー二世と大変なほれこみようだが・・・。「カッコいいぞ。コントロールも悪くない」ベンチにいた日本ハムのナインが体を乗り出した。二十三日、大宮市営球場でのヤクルト戦の試合前、スノー投手がバッティング投手で登板だ。いかにも重そうな球質、低めにコントロールされた球に打者は押され気味。「手元でグッと伸びる。コントロールもまずまずです」と村井捕手。見守っていた山根ピッチングコーチが「OK」と弾んだ声を出した。看板の打線は順調に仕上がってきたが、投手陣がもたつきづつけて「戦力になる投手を一枚でもほしい」という中西監督の前にとび込んできたテスト生だ。アメリカ・ユタ州の出身で、八年前にはマイナーの1Aで投げたことがある。1966年、メッツのファーム、アウバーンで六試合に登板、1勝2敗。67年はインディアンスのファーム、レノで十三試合1勝3敗。プロ野球には67年で見切りをつけると、大学に進んで英文学を専攻。このほど輸出入を手がける日本のプロモーションのスタッフに採用されて来日したという。「アメリカではユタ工大のピッチングコーチをやっている。体づくりを兼ねて日本ハムで練習させてもらっている」とスノー投手はいうが、投手力にはワラをもつかみたい心境の日本ハム首脳陣としては、ほうっておけない。二十一日には三原球団社長が立ち会ってテストをさせた。今年二月、多摩川の自主トレでも1Aに在籍していた英語教師がとび入り参加して不採用になっているが、今度は首脳陣の力の入れ方も本物。「速球がいい。下半身もしっかりしているし、多分採用することになるだろう」と中西監督。もう一つ球団の態度がはっきりしないのは、同投手がプロモーションに所属していることと、1Aを任意引退したのか自由契約だったかを照会しているため。かつてテスト生で阪神のエースにのし上がったバッキーの例もあるだけに、採用となれば、手薄の日本ハム投手陣にとって注目される存在になりそう。「日本のプロ野球は面白そうだ。投打ともレベルが高い。でも日本でプレーできるかどうかは、いろいろ問題が残っているので・・・」とスノー投手は口ごもるが、本人とは対照的に球団側は大乗り気。果たして第二のバッキー出現するか。
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バウアー

2016-06-04 22:15:55 | 日記
1961年

東映では三十日午後二時東京銀座西の東映会議八階でリチャード・メイバウアー投手(27)の入団発表を行った。同投手は1952年インディアンスのファーム・チームに入団以来、ジャイアンツのファーム、テキサス・リーグのクリスト・コーバス(A級)アメリカン・アソシエーションのダラスなど3A級球団で活躍した。最高成績をあげたのは1955年ジャイアンツのファーム・チームであげた20勝6敗、昨シーズンはダラスでリリーフ専門に投げ3勝6敗の成績だった。同投手は入団発表すぐ駒沢球場へ行き、二軍選手とともに午後三時半から約1時間軽いピッチング練習をやった。1㍍93、87㌔、右投右打、オハイオ州出身、クリーブランド・ハイスクール卒。背番号は未定。

メイバウアー投手の話 「日本の野球については3Aぐらいの力があるということ以外ほとんど知らない。昨年はリリーフ専門だったが、先発でも働きたい。先発のときはなか三日休んでの登板が自分にとってベストだ。練習はグラスでやっていたから開幕日までには間に合う。アメリカン・アソシエーション時代一緒にプレーしていたミケンズ(近鉄)が活躍しているそうだから、ぼくもかなりやれるのではないかと思う」

東映入りしたリチャード・メイバウアー投手は契約をすませたあと「二日ばかり旅行でからだを動かしていないので筋肉をほぐしたい」と駒沢球場で初練習した。からだつきのにている丸山捕手のユニホームを借りた同投手は「少しきついが・・・」といいながらグラウンドへ飛び出し外野で軽くランニング、柔軟体操。そのあと桜井二軍監督に指名された清水捕手がミットを持ってピッチング練習の相手をつとめた。西村ヘッド・コーチ、多田ピッチング・コーチが目を光らせる。スナップをきかせて重い球を投げ、ときどきまじえるフォーク・ボール、スライダーは清水が落球するほど大きく変化する。20球ほど投げるとこんどは「打者を立てろ」と要求。宮原、田中、松岡らをボックスにおいて軽く30球ほど投げた。多田コーチは「まだ六、七分の出来だろう。ちょっと見ただけではわからないが、フォーク・ボールがよかった。からだもやわらかいから前のアレキサンダーのようなことはないだろう」といっていた。同投手は「ここのグラウンドの土はやわらかい。こういうグラウンドはボクには最適だ。風はいつもこんなふうに右翼から左翼へ吹くのか。そうするとシュートは流れてしまうな」と研究熱心なところをみせていた。
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鈴村充男

2016-06-04 21:45:31 | 日記
1962年

阪神ではこのほど中京大の鈴村充男投手(19)=商学部一年=の入団をきめた。同投手は多治見工出身、ことしの大学選手権(神宮)にも出場したことのある速球投手でカーブの切れはいいがコントロールに難がある。大洋、近鉄、大毎などからさそわれていたもので、同投手は二十三日退学届けを出した。右投げ右打ち、1㍍80、74㌔。

阪神・戸沢代表 「確定といっていいかどうかはわからないが、一生懸命勧誘していることはたしかだ。多分だいじょうぶだろう。まだ本人のピッチングはみていないが、かなり期待できる選手らしい」
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福浦健次

2016-06-04 21:38:22 | 日記
1961年

高知のキャンプは練習の能率をあげるために参加人員を制限した。新人は高知へくる前の練習(甲子園、川重)でふるいにかけられ、幡野(法政二)をはじめ五人。一月二十日からの自主トレーニングに参加した福浦をみて、藤本コーチは「これはいける。上半身の骨格がしっかりしている」とほれ込んだ。その後報道陣が「新人で名前の売れた人がいませんね」といおうものなら、藤本コーチは「冗談じゃない。野球は名前でやるものじゃないよ。ウチの新人投手をみてくれ」と福浦を指さした。その福浦は一回朝井、吉田に連安打されて無死二、三塁になったが、併殺で切り抜け、三併殺でかわして、打者十三人で四安打、無四球、速球はまだのびを欠いているが、外角低目へのコントロールがあり、カーブも低目をねらってコースがいい。「まさか投げさせられるとは思いませんでした。紅白戦といってもぼくにとってはプロ入り初試合ですからすっかり堅くなってしまって・・・。高校時代コントロールがないことで有名?でしたので、それだけ注意して投げました。投げた種類はストレートとカーブ、シュートですが、どんな配合だったか覚えていません。スピードですか、もう少し出ると思います」顔はいかめしいが、話しっぷりは子どもっぽい。福浦は二月一日に父親与七さんの不幸で東京の実家に帰った。そのため練習を休み、甲子園で軽い練習を四、五日やってから十九日にキャンプ・インしたのだから本格的な練習は丸一日しかしていない。若い選手にきびしい藤本コーチも福浦には「まあこんなものだろう。投げれば投げるほどよくなる。球が重いしフォームが安定している。なによりもスピードがあるのが魅力だ」と合格点を与えている。1㍍80、75㌔、背番号35。
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中沢信一・橋本勝磨

2016-06-04 07:40:54 | 日記
1958年

大洋ホエールズでは二十七日午後テスト生として甲府商高の中沢信一投手(18)橋本勝磨捕手(17)のバッテリーを採用した。二十三日多摩川同球団のグラウンドで行われた新人募集テストの結果、百二十余人のうちから選ばれた。二人とも今年の夏甲子園大会に出場、一回戦で宮崎大淀高との試合に八つの失策で敗れたが、中沢投手は長打力があり投手としてより打者として期待され、内野に転向する予定。橋本捕手も肩が良く、捕手としてまとまっている。中沢投手は左投右打、身長1㍍72、体重66㌔、橋本捕手は右投左打、身長1㍍72、体重68㌔。

森監督の話 よければすぐ使うが、まず一、二年みっちり鍛えるつもりだ。テストしたところではすぐ使えないが、二人とも打力に素質があるからたのしみにしている。
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