プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

辻野欣也

2016-06-23 22:04:40 | 日記
1965年

南海・東京十九回戦で東京・辻野欣也投手(洲本実・1㍍88、80㌔、右投右打)がプロ入り五年目で初勝利をあげた。「先発は球場にきてから聞いた。ブルペンで投げているときからもうへばったいたが、打たれてもともとと思って投げている間に五回を終わっていた。直球、カーブ、スライダーと持っている種類の球は全部投げたが、体力に自信がないから、あれが限度かもしれない。代えてもらってよかった」勝ち投手というのに辻野はげんなりした表情。それでも試合終了後ソロムコからウイニング・ボールを「持って帰れ」と渡されてやっと笑顔を見せ、20㌢も背の違う本堂監督と握手をしていた。この試合がプロ入り九試合目。先発は一昨年以来二度目。
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佐々木孝次

2016-06-23 21:51:04 | 日記
1965年

公式戦の舞台はまだ踏んだことがない。「いつの日にか、一軍で・・・」と、心に決めているが、まだ二軍生活を送っている。後楽園でプレーをしたのも、この日がはじめてだった。「りっぱな球場だと思っているうちに、もう試合がはじまっていた」ジュニア・オールスターに出たのは、昨年についで二度目。商品をもらって帰ろうという欲もちょっぴりあったそうだ。決勝ホーマーを含む四打数三安打。殊勲選手賞をはじめ敢闘賞を除く打者の全部の賞を一人じめにした。「どうしてこんなに打てたのか、自分でも不思議なんです」高校時代は中国地方で指折りのスラッガーだった。三十八年夏には、広陵高の五番打者として甲子園の土を踏んだ。このときは予選を通じて打率三割八分で、ホームランは八本。四番の山本(現巨人)にかくれて、目立たなかったが、広陵高の世良監督は山本より佐々木を買っていた。「リストが強いうえに、足がある。二、三年みっちりたたけば、おもしろい選手になるだろう」実家の広島県安芸郡海越町は目の前が海。半信半疑で生計を立てていた両親の手伝いで、海へ出る機会が多かった。「ろ(艪)をこぐうちにいつの間にか手首と足腰が強くなったんでしょう」中日の柴田スカウトが目をつけたのもここだった。「ホームランは内角高めのストレート。外角は手が出ないが、ぼくの一番好きなコースにきたので・・・。打ったとたんにはいったと思いましたね」ねえさん二人で、男の兄弟はいないせいか、あまりファイトをおもてに出さない。「ものをいわん方なので、すみません」ぐるりと取りまいた報道陣に低く頭を下げた。「江藤さんみたいにハッスルするプレーがぼくの目標なんです」広島からかけつけた両親に会ったのは本番のオールスターがそろそろはじまるころ。商品を両親の前にニッコリと出した。1㍍70、70㌔、右投右打、プロ二年目。
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