プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

井上重信

2016-06-14 23:08:12 | 日記
1968年

自衛隊西部・井上重信投手(20)=1㍍74、72㌔、右投右打、竜谷高出=の近鉄入りが二十六日決まった。中島スカウトは二十五日、九州の佐賀駐とん地に同投手をたずねて入団を要請、契約金四百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)で話がまとまった。井上は上手投げで速球が得意。思い切り伸び上って投げおろすフォームは「全盛期の稲尾(西鉄)によく似ている」と中島スカウトはいっている。なお正式契約と入団発表は三十日、大阪・森の宮の近鉄球団事務所で行われる予定。
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金城晃世

2016-06-14 22:40:54 | 日記
1968年

近鉄・金城晃世投手(23)=建国高=は二十日午後、大阪・東区森の宮の球団事務所に芥田代表をたずね「去年痛めた左ヒジが直らないので退団したい」と申し入れた。球団はこれを認めて、任意引退選手とした。
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パーム

2016-06-14 22:33:20 | 日記
1963年

大毎のパームキスト投手が十三日島原球場で初練習をした。植村コーチに「きょうはランニングだけ」と指示され、外野で走っていたが、そのうち首脳陣の目を盗んで?球場外のブルペンへ出て約六十球ほどピッチング。直球が半分、カーブ、シュート、シンカー、ナックルなど変化球をひととおり投げた。球にそれほど威力はなさそうで、佐々木信也氏は「ローテーションにははいれない」と見ている。パームキストは一昨年ドジャーズの一員としてベロビーチのキャンプに参加していた。巨人の取材でベロビーチにいっていた私は見おぼえがある。スピードもそれほどないし、これといった得意の球もない。正直のところ大リーガーにしてはお粗末だという記憶がある。その年の前半はドジャーズで0勝1敗。後半ツインズにトレードされてから1勝1敗。ロサンゼルスのウインター・リーグで毎日曜日ゲームをやり、ことしはむ五度投げ、この七日まで投げていたというから、あるていど肩はできているのだろう。フォームはスリークォーター。ときどき真上からも投げる。初日でもあるので力をセーブして投げていたが、大リーグにいたときも先発は一回もなくリリーフ専門だったというから、コントロールはいいが、技巧派だ。本堂監督も植村コーチもみないうちにピッチングをやめてしまったが、本堂監督は「去年大洋にいたグルンワルドみたいな投手じゃないかな」と首をかしげていた。本人は「これから十ポンド(4・54㌔)やせる。監督にいわれたらどんなことでもやる」となかなか意欲的だが、腰のあたりをさわってみたら、脂肪やぜい肉がついているのか、ダブダブしていた。明らかにトレーニング不足。本人の努力次第でかわってくるが、ベロビーチでみた感じからいってもローテーションの中にくい込む実力はないと思うが・・・。
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松本正幸

2016-06-14 22:32:09 | 日記
1968年

熊本工・松本正幸投手(18)=1㍍84、70㌔、右投右打=の巨人入りが二十四日決定した。この日午後、熊本県天草郡五和町の自宅で巨人・内堀スカウトは本人、父親義喜さん(50)=郵便局勤務=に熊本工・馬場前監督をまじえ話し合った結果、松本側は契約金六百万円、年棒百万円(いずれも推定)で内諾した。正式契約は後日上京して行う。松本は長身の本格派投手。今夏の大会は右肩骨折が直りきらず、熊本県予選準決勝で敗退したが、二年春の選抜大会では富山商、三田学園を破ってベスト8に進出、準々決勝で高知に2-0で敗れている。のびのある速球とスピードの変わらないカーブが武器。巨人はドラフト会議で五番目に指名し、内堀スカウトが交渉にあたっていた。巨人では新浦、松原、島野にこの松本を加え、若手四四天王として売り出す方針である。
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