プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

七森由康

2016-06-28 23:41:26 | 日記
1965年

金田の見返り選手を巨人に注文するとき、国鉄首脳陣が集まってリストをつくった。すぐ戦力になる若手投手がいい。そこまではすぐ意見が一致しても、名前はたくさんあがった。七森、渡辺、大熊・・・。渡辺と大熊は国鉄から勝ち星をあげているのに七森は逆に1敗。「大橋か渡辺にしよう」という意見の中で、林監督は強く七森にひかれた。手首のかえしがスムーズなうえに、下半身のバネがある。絶対に七森をとるべきだ」電話で国鉄移籍を知らされた七森は、たった一人の肉親、父親の一郎さんのことが頭に浮かんだという。「脳軟化症で大阪病院に入院しているオヤジにクビになったわけではない。期待されていくんだから心配しないでくださいとすぐ電話したんです」その一郎さんも湯之元キャンプに出かける二月に退院。七森はなじみのない選手の中で練習に取り組んだ。「巨人よりきつい。宿へ帰るとグッタリしてしまいますよ。金田さんのかわりはとうていつとめられないけど、ぼくを選んでくれた人たちのためにも働きます」七森ってどんなヤツだといっていたナインも、すぐ覚えた。ピッチングもストレート中心に勇ましいが、イビキもナイン一。眠れないという文句が出たくらいだ。この日のピッチングは七イニングを投げて五安打。いうことも威勢がよかった。「ぼくのピッチングはこんなもんじゃないですよ。スピードがなかったし、コントロールも最低。あんな球で3点におさえられたなんで不思議なくらいです。六十点くらいのできじゃないですか」巨人での三年間の勝ち星がたったの2勝。それが353勝の金田のアナを埋めるのだから気合がはいっている。「巨人に比べたら登板のチャンスはあるし、若手選手も多いから住みごこちは快適です。これからはスピードをつけることが先決。カーブだけではいつかボロが出てしまいますからね」七森の力にほれこんでいる林監督の採点はからかった。「この程度のピッチングしかできない投手じゃない。もっとスピードはあるし、変化球の切れもいい。貴重な左投手だし、巨人戦用投手としてたくさん使わせてもらう」近鉄ナインも「かなりやるだろう」という。山本八も高木もどこへくるかわからない荒れ球に手をやいたそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北村正司

2016-06-28 23:18:32 | 日記
1952年

毎日オリオンズに入団したハワイ生まれ二世リチャード・北村正司選手は廿二日午後一時すぎ空路羽田に到着、若林二軍監督につれられて訪れたパ・リーグ事務所でつぎのように語った。「東京は立派な街ですね、住む所がきまったらすぐ家内をよぶつもりです、米大リーグからも話があったが日本が好きなのできました、体の調子は上々です」同選手は廿四歳、遊撃手、セントルイスHS卒後ウェバー、コロラド州立大学に学び六月卒業、この間ホノルルの朝日に入団1949年ハワイオール・スターに加わって米本土に遠征した。セントルイスブラウンズ(ア・リーグ)から招かれていた。同選手は廿五日から出場する、このため島田内野手は準登録となった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホイタック

2016-06-28 23:04:59 | 日記
1965年

中日は五日午後五時から市内中区南外堀町の球団事務所で、二日から中日球場でテストしていた元米大リーグ、ロサンゼルス・エンゼルスのポール・フォイタック投手(34)=1㍍80、82㌔、右投右打=の入団を発表した。背番号18。同選手は二十八年大リーグ、タイガースに入団、一度マイナーに落ちたが、三十七年までタイガースの中軸投手として活躍。三十八年のシーズン途中エンゼルスに移った。三十七年にはタ軍の一員として来日、四試合に登板して2勝1敗、防御率2・14の成績を残している。三十八年までの大リーグ通算成績は86勝86敗。同投手の武器は落差の大きいナックル。西沢監督もこのナックルにほれこんで採用にふみきった。七日からのオープン戦は参加しない予定。

ー日本の食べ物はどうか。
「生のサカナは食べられないが、お米は食べられる。テンプラなんかとてもおいしいね」
ーチームのふんい気はどうか。
「アスプロに聞いていたので大体知っていた。親切な選手ばかりで、とてもいいチームだと思う」
ー中日は昨シーズン投手力が弱くて最下位になったが、投手陣をどう思うか。
「権藤、柿本、山中などいい投手がたくさんいる。ことしはきっといい成績をおさめるだろう」
ー日本の野球の予備知識は。
「タイガースの一員としてきたときのことしか知らない。個々の選手をあげれば長島、王、吉田、桑田、近藤和などを知っている。あのとき下関で大洋との試合で投げて無得点におさえているよ。大洋のことはわかっているだけに投げやすいと思う。巨人は王、長島というすばらしい打者がいるが、ぼくはあくまでストレートで外へ外へと攻め、こんどはスピードを殺して変化球で勝負するよ」
ー武器は。
「中日の捕手がよくからだにぶつけていたのを見ていたろう。ナックル、パームボールが得意の球だ」
ーいまの調子はどうか。
「ちょっと寒いので本調子ではないが、コンディションはいい方だ。練習をやりすぎてちょっと足が痛いだけだ。ぼくは二日ピッチングをし、一日休む。休みの日にはペッパー・ゲームとランニングをやるようなシステムをとっている。毎日あくせくして投げると肩の調子によくないからね」
ー肩をこわしているという話があるが・・。
「そんなことは絶対にない。とんでもないデマだ。これからも暖かくなればもっとビュンビュン投げられる」
ー今シーズンはどのくらい勝てると思うか。
「最低15勝しなくてはだめだと思う。もちろん、それ以上をねらうさ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

守田政人

2016-06-28 22:47:31 | 日記
1952年

毎日の投手陣で希望を持ったのはハワイから来た守田投手である、態度がどこか悠々としており、球筋の豊かなこともシュートの特に大きなことも珍しかった。またドロップも鋭い、惜しいことには、まだプロの空気に慣れていないことと、多少上がり気味にあったため、去る十三日の対阪急戦では球が従らに高きに流れ、カウントを整えようとして真中に投げ込んだところを打たれたが、この投手が一度調子をつけて立ち直ったらちょっとやそっっとで打てる球ではない第一手元にえぐるように入り込んでくるスピードあるシュートボールは打者泣かせの球となることだろう、その上に本格的なナックルボールを身につけているので、コンビネーションさえよければ非常な武器となるに相違ない、面白いことには、この守田投手、名は政人というのであるが、政人の政は書くのが面倒だから正でもいいではないかといったそうである、そういえば名前などは符牒のようなものである、横文字の流行する現在アチラ言葉が得意ならなおさらである、それよりもこうした話の中にも人の性格が滲み出るものでさしずめ姓名判断からゆけば守田投手などは大投手の俤ありといえそうである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島田軍治

2016-06-28 20:10:27 | 日記
1965年

南海はこのほど法大・島田軍治投手(22)=神戸高出、1㍍80、73㌔、右投右打=の入団をきめた。近日中に発表する。背番号は41。同投手は近鉄入りした木原と同期だが、リーグ戦には一度も出ていない。長身からの速球が武器。呉のキャンプに参加、テストをうけた結果、採用がきまったもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする