プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

植木一智

2016-06-19 21:45:52 | 日記
1968年

阪神は十日午後四時から大阪・北区梅田の阪神電鉄本社六階会議室でドラフト会議で第二位に指名した竜大・植木一智投手(22)=1㍍77、74㌔、左投左打=の入団を発表した。発表には戸沢代表、後藤監督、父親良三さん(54)、義兄春彦さん(27)、竜大・西村監督が出席した。同投手は平安高校から竜谷大学にはいり、エースとして活躍、四年間の通算防御率は1・47。通算成績は26勝16敗、また四十一年には対近大戦でノーヒット・ノーランを達成するなど関西六大学のナンバー・ワン投手だった。契約金八百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)で契約した。植木は阪神で新入団第一号となった。

植木投手「巨人・阪神戦はたいていテレビで見ているが、テレビではスピード感がよくわからないので、やれそうな気がするし、不安と半々です。目標にする投手は村山さんのように思い切ってからだごとぶつかっていく投手になりたいし、同じ左投手だということもあり、江夏君に負けないようにやるつもりです。目標は第一線に早く出ることと、もし小島君(近大)が入団してくるなら彼には絶対負けないつもりです」

後藤監督「村山コーチもあと一人左投手がほしいといっていたが、これで解消できた。コントロールがいいと聞いているので期待している。若い力をすべてぶつけて第一線でどんどん投げてほしい」

竜大・西村監督「ドロップを武器にコントロールもいいのできっとやってくれると思う。真上から投げるときはそれほどでもないがスリークォーターから出る球にはかなりのスピードがある。難といえば少々気の弱いのと、ウオーミングアップにすごく時間がかかることだ。長いときは試合の一時間ぐらい前からやっているときもあるほどで、これは練習によって直すしかありません」
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西岡三四郎

2016-06-19 18:50:41 | 日記
1977年

球界の三四郎といわれた西岡三四郎投手=元中日=が、ヤクルトから再デビューする。四十二年のドラフトで南海が一位指名、南海へ入団後は五年連続10勝以上をマーク。昨年中日へ移籍したが、自由契約となり、ヤクルトでテスト生として、いま合同自主トレに参加している。広岡監督、コーチ陣は「採用する」ということでほぼ意見が一致している。プロ入り十年目を迎えたことし、ヤクルトで三四郎の右腕がよみがえるかもしれない。プロ野球生活十年目の男が、まるでルーキーのような顔で、必死に走り回る。そんな西岡を見て「いまの気持ちでがんばっている限り大丈夫だろう」と広岡監督は、西岡の採用をほのめかした。中日のスコアラーのイスをけって、ヤクルトの練習に参加したのは昨年十二月七日だった。「もうやめたら」という京子夫人の井謙に一度は足ぶみしかけたが、名古屋市瑞穂区のマンションに、京子夫人と五か月の長女麻衣ちゃんを残して上京した。再デビューへのトレーニングは、大みそかと正月四日間を休んだだけだった。中野にあるヤクルトの合宿に泊まり、ヤクルト若手の教育の場といわれる「新田教室」で三年目の永川らと連日汗を流してきた。そんな西岡のひたむきな努力を広岡監督は見逃さなかった。「テスト生というと軽く見がちだが、彼の場合は過去に実績があり、戦力になるかどうかを見定めないといけない。湯之元キャンプで実践的な練習をやるので、はっきりした答えはそのときになる」正式決定は湯之元キャンプ終了後ということになりそうだ。コーチ陣も「もう一度チャンスがありそうだ」(堀内投手コーチ)と西岡の右腕に期待している。「新田先生(技術顧問)のいわれることが、初めのうちはよく飲み込めなかったが、やっと出来るようになった。正式に決るまで、女房を実家の熊本に帰そうと思っています」親子水入らずの生活はまだお預けだが、ヤクルトがキャンプを打ち上げる三月三日には、西岡家にも春がやって来るはずだ。
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バウアー

2016-06-19 17:02:50 | 日記
1961年

近鉄ー東映三回戦に東映のバウアー投手が初登板した。外人だけにフォームは近鉄ミケンズ、からだつきはボトラに似ている。六回から3イニングだけだったが、落ち着いたピッチングで十人の打者に一本打たれただけ。試合後バウアーは「調子はあまりよくなかった。ほんとうならもっとスピードがあるんだ。得意なのはシュートとコントロール」と近鉄を1安打におさえてもまだ不服そうだったが、水原監督は「これくらいの出来ならかなり期待できる。先発、完投いずれもOKといっているから、これからどんどん使うよ。でも欲をいえばもう少しスピードがほしいね」と大喜び、安藤捕手も「落ちるシュートがいい。コントロールだって悪くないから、日本の野球になれてくれば相当いけると思う」といっている。本紙評論家の土井垣武氏の話では「フォームはミケンズに似ているが、スピード、コントロールともミケンズの方が上だ。長所は右足のケリが強いこと。欠点はスピードがないことで、腰のひねりが悪く徹底した変化球攻めなので、強引に引っ張る打者はカモだが、うまくねらって打たれるとくずれそうだ」ということだった。
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バウアー

2016-06-19 16:27:32 | 日記
1961年

東映の外人投手メイバウアーが初登板を飾った。八日イースタン・リーグの対巨人三回戦(駒沢)に出場、5イニング投げて散発3安打の好投をした。ユニホームが間に合わず武井の背番6を借用、大きなからだをもてあますように腕だけで投げるメイバウアーは無表情。東映ベンチには英語を話せる選手がいないのでベンチでもなにもいわない。まるで一人で野球をやってるようだ。それでも五回無死一、二塁に岩本が捕前にバントしたときは、プレートをかけおり丸山捕手に大きなゼスチャアで「ヘーイ!サードー」と指示を与えた。1㍍83の大男だが、からだが非常に柔らかい。三回八幡の打った投手右のゴロといい、河野の足元を抜きかけた当たりをあっさりさばいたプレーなど、あざやかなフィールディングだった。予定の五回を投げ終えるとブルペンで簡単な体操をやっただけで引き揚げた。試合後東映・桜井コーチは「はじめて日本で投げたにしては落ち着いていたし、マナーも立派だった。本人も巨人の打者相手だけに、日本の野球を理解出来たと思う。フォームはともかく完投出来るスタミナもありそうだ。シュート、スライダーがいい。時にコントロールのよさは目を見はらせる。スピードの点でものたりなかったが、試合前の練習で巨人の各打者を観察し自分でその長所、短所をつかもうとしているところなどは立派だ。風を計算にいれたピッチングなどもさすがだと思う。「一軍行きはいずれもOK」といっていた。

巨人・武宮コーチの話「きょうのようなピッチングでは一軍では打ち込まれる。スライダー、カーブ、シュートと変化球を多投していたが、あれくらいの変化球ではダメだ。スピードもないし、大した投手ではない」

巨人・河野選手の話「三振した時はスライダーだったが、実にみごとだった。プレートの前で鋭く曲がった」
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生田裕之

2016-06-19 11:35:22 | 日記
1976年

中日に今季ドラフト指名選手の入団第一号が誕生したー。二位指名の未完の本格派生田裕之投手(20)=1㍍84、77㌔、あけぼの通商=で、三十日午後三時、山崎善平スカウトと福岡県粕屋郡志免町のレストランこばやしで二回目の交渉を行い、球団からの提示条件(契約金一千三百万円、年棒百八十万円=推定)を一発でのんた。十二球団では今季三人目。正式契約および入団発表は九日、名古屋市中区栄・中日ビル内の球団事務所で行われる予定。なお、ドラフト六位指名の東筑高中原勇一捕手との第二回交渉は、都合により来週に延期した。あけぼの通商の合宿に近いステーキハウスで始まった第二回交渉は短時間で終わった。実家の両親政一氏、初子さんからすべてを任せられた生田投手が、初提示条件をあっさり承諾、山崎スカウトと固い握手をかわした。

山崎善平スカウトの話 中日への入団を気持ちよく受けてもらってうれしい。生田君は球速には不足がないから、制球力をつけて早く第一線に出て欲しい。

ー現在の心境は?
生田 やっぱり、あこがれの中日に入団したいという実感がわいてうれしい。
ー中日のユニホームを着てからの抱負は?
生田 まだ未熟だからコーチ、先輩たちに教えていただき、ピッチングだけでなく、フォーメーション・プレーなどもあらゆるものをマスター。早くプロの水に慣れて、できればオールスター戦後には一軍に上がりたい。尊敬し目標にするのは星野仙一さんです。
ーライバルは?
生田 九州の高校球界で同期だった巨人の定岡(鹿児島実)広島の堂園(鹿児島商)には投げ負けたくない。「追いつき、追い越せ」をモットーにがんばります。
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生田裕之

2016-06-19 11:11:36 | 日記
1976年

福岡空港にほど近い新興の桜丘団地。あけぼの通称野球部の合宿所では、生田を中心にして池田和隆監督、父親義定さん(元中日スカウト)高松コーチら関係者の明るい笑い声が弾んだ。「中日さんには私が七年半もお世話になった義理がある。お前の球はプロで通用する威力がある。ファームで下積み一年間は覚悟しなければならないが、努力しだいでは後半戦に一軍入りできるかもしれない。せっかく光栄なら2位で指名してもらったのだからしっかりやるんだぞ」こう生田を激励する義定さんは九州球界でも無名の島原中央高二年生のときそのかくれた素質を見抜き、息子の和隆さんが監督していた丹羽鉦電機(愛知県尾張旭市)に四十九年三月の卒業と同時に就職させた。当時の生田はまったく山だしの荒削り。ピッチングのイロハも知らなかったらしい。現在、日本ハムにいる川原、福島、中村の三投手を育成した和隆監督は、生田を本格派の大投手に育て上げるため速球一点張りのピッチングを仕込んだ。恵まれた体から投げ下ろす速球が魅力で、ことしのドラフト前、中日だけでなく巨人、ロッテ、近鉄、日本ハム、クラウンなどからも「上位で指名したいからよろしく」とあいさつがあったという。中央大会には出ていないが、ノンプロでの通算成績は18勝5敗。今春、丹羽鉦電機野球部が解散したのでチームメイトと池田監督親子をしたって福岡に移住。義定さんが新設、来春から九州社会人野球連盟へ加盟予定のあけぼの通商の野球部に入った。「中日の山崎スカウトから、ジャンボ堂上級の素材だと目をつけていたから、中日の指名は当然でしょう。大柄な割に体が柔軟だし、性格は素直。プロのコーチについて大きく伸びてほしい。うちにはほかにもいい投手がたくさんいる」と和隆監督。生田は「高校時代からプロでやってみたいと思っていた。卒業のとき巨人のテストを受けたが、ものの見事に振られた。だから一日でも早く巨人戦に投げさせてもらえるようになり、そのお返しをしたい。中日では星野仙投手の強気のピッチングが好き。一球入魂のあの真剣な態度を見習いたい」といってさっそく合宿前の公園で軽いピッチング。その豪快なフォームを披露した。
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上野克二

2016-06-19 10:04:07 | 日記
1976年

南海がドラフト六位で指名した市神港、上野克二外野手(18)=1㍍76、72㌔、右投げ右打ち=の入団が二日内定した。担当の中谷スカウトが同日、神戸市長田区大丸町の自宅を訪れ、父親実さん(47)らと最終的な話し合いをした結果、契約金五百万円、年棒百八十万円=推定=でまとまり入団が内定した。同選手は市神港で三番、中堅手として活躍し将来性十分。なお、南海はこれで五、六位の二新人の獲得に成功した。
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仲野重勝

2016-06-19 09:04:47 | 日記
1961年

近鉄では二十一日大分県津久見高中退の仲野重勝投手(19)=1㍍82、72㌔、右投右打=の入団をきめた。同投手は昨年秋の県大会準決勝で小倉工に敗れたが、その速球は九州高校球界で定評があり、大毎、阪急、大洋、西鉄などからもさそわれていた。年令超過のため高校では野球ができないので思いきって学業を中止、プロ入りにふみ切ったもの。二十一日午後大阪阿倍野の近鉄球団事務所で父親晃氏(47)と共に根本スカウトと約一時間話し合い、契約は二十二日午前十一時同球団事務所で行われる。

仲野投手の話「さかんに勧誘されたのでいいチャンスだと思いふみ切った。近鉄をえらんだのはやはりすぐ第一線に出られる可能性が大きいからです。学校は二月はじめに退学届を出しているし、問題はありません」

近鉄では二十二日大阪阿倍野の球団事務所で仲野重勝投手(19)=大分県津久見高中退、1㍍82、75㌔、右投右打=の入団を発表した。

千葉監督の話 「一度仲野君のピッチングをみたが、なかなか素直なフォームをしている。すぐとはいえないが、一、二年先が楽しみだ」

仲野投手の話「第一にスピードをつけること。技術的なことはそのあとです」
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ボトラ

2016-06-19 08:16:17 | 日記
1961年

近鉄は三回関根がストレートで歩くと小玉が遊撃右をゴロで抜いた。ヒットが出ない。「どうすればいいんだ」試合前ベンチで腰をかかえていた小玉は20打席目ではじめてヒットを打った。岩下が慎重に送ったあと竹下が中前に2点タイムリー。一回裏にも1安打と四球で一、三塁にしたあと、小玉の一ゴロ併殺くずれで1点とっているので、近鉄は三回で3点のリードだ。球が高目に浮く牧野は得意のシュートもさえない。四回から岡田にバトンを渡した。近鉄は前日から登板を買って出ていたボトラ。「ぼくはうまく投げるよ」と大はりきりのボトラは球を低目に集めて好調だ。スピードを殺したスライダーとチェンジアップも効果的。東映は四回左越二塁打の毒島を松岡の左前安打でかえしてやっと1点。左翼の失策もあってなお無死二塁のチャンスがつづいたが、西園寺、張本がボトラの慎重なピッチングにかかって1点どまり。初の開幕4連勝を意識する東映は堅くなっている。東映は六回からバウアーを出した。バウアーはイースタン・リーグで登板している。得意のシュートとスライダーをうまくミックスして落ち着いたピッチング。五回まで6安打、毎回走者を送っていた近鉄もバウアーが出てからはさっぱり。八回二死後岩下が左中間に二塁打しただけ。しかし東映も五回からまたヒットが出ない。六回2四球の二死一、二塁も吉田が一ゴロでダメ。九回吉田の中前安打も二死後からだ。ボトラは東映を3安打におさえゆうゆうと完投勝利。近鉄はやっと初日を出した。

千葉監督の話「ボトラが予想外によく投げた。チャンスに打ったバッティングもよかった。だんだんチームの調子もあがってきている。つぎの西鉄戦からはバリバリ勝つ」

ボトラ投手の話「きょうはコントロールがあった。後半は疲れてきたので考えるピッチングにかえた。これがよかったと思う。ラッキーだ」

水原監督の話「ボトラのピッチングにやられた。だが3安打とは情けない。打者を追い込んでから投げてくるボトラのスライダーを打つくふうがたりなかった。ウチの投手の出来はまずまずだ」
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醍醐俊光

2016-06-19 07:41:30 | 日記
1962年

国鉄は大毎・醍醐捕手の実弟醍醐俊光捕手(18)の入団を決めた。同選手は今春早実を卒業、早大の試験を受けたが失敗、国鉄の大倉山グラウンドでテスト生としてトレーニングしていた。早実では捕手と投手をやっていたが、国鉄では投手として採用、近日中に発表する。1㍍80、75㌔、高校時代の打率は3割5分の高率である。

国鉄・北原代表「からだにバネがあり、バッティングもいいので採用しようと思う。二軍をみている西垣君(球団重役)の話だと投手としてかなりやりそうだという。大毎の醍醐君よりよくなるかも知れない。当分は投手としてやってもらう」
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小泉恒美

2016-06-19 07:34:25 | 日記
1961年

岡谷工の小泉恒美一塁手(18)はこのほど南海入りがきまった。同選手は今春卒業とともに日大の練習に参加していたが、日大・香椎監督の推薦で入団がまとまったもの。岡谷工時代は一塁手で三番を打ち、10ホーマー、打率三割七分一厘をマークした強打者。1㍍79、68㌔、左投左打。
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