プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

高森義宣

2016-06-11 23:43:59 | 日記
1962年

大毎では三十一日、立命大の高森義宣三塁手(21)=1㍍73、70㌔、右投右打=の入団をきめた。同選手は現在三年生だが「プロ入りしたい」という本人の意思でこのほど退部届けを出し、岡山県岩井三岡の自宅に帰っている。関西高の四番打者として活躍、三十四年立命大に入学。好打者として大毎のほか阪急、広島からも勧誘されていた。入団発表は四月上旬になる。

大毎・倉橋スカウト「まだ契約はしていないが、うちにきてくれることになった。ファイトもあるし期待している」
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金田義倫

2016-06-11 23:20:40 | 日記
1963年

京都府の峰山高・金田義倫(よしのり)投手(18)=1㍍81、73㌔、右投右打=はこのほど阪急入りが決定した。南海も誘っていたが、すでに七日、京都府中郡峰山町丹波の自宅で阪急・藤井スカウト、父親匡助氏立ち会いのもとに、契約書にサインしている。峰山高はことしの府予選は、三回戦で朱雀高に敗れたが、昨年は決勝進出。同投手はそのときのエースで一躍プロの注目をあびた。長身を利した速球が武器。勧誘した球団は、阪急をはじめ大毎、大洋、阪神、南海などで、野村の関係もあって一時は南海有力の線もあった。だがことし大補強をめざす阪急は藤井スカウトが通いつめて南海をうわ回る条件を提示していた。匡助氏は峰山高・中西監督を含めた家族会議を六日開いた末、阪急入りに決めた。

岡野代表「まだスカウトからははっきり報告を受けていない」

父親・金田匡助氏「南海入りなどと新聞に書かれ迷惑している。プロ入りについては考えている段階だ。二、三話はあることはある」
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竹之下五十三

2016-06-11 22:52:44 | 日記
1963年

鹿児島高の竹之下五十三(いそみ)投手(18)=1㍍76、70㌔、右投右打=は九日西鉄に入団することになった。同日の甲子園大会で鹿児島高が新潟商に敗れたあと。同選手が西宮市甲子園の宿舎春日で「プロ入りするなら西鉄にしたい」と明らかにしたもの。正式契約は甲子園大会の終了後に行う予定。同投手は昨年九月に外野手から投手に転向。めぐまれた上背から投げおろす本格派で、ことしの県予選では五試合に被安打十五、奪三振二十五の好成績をあげた。武器は速球とシュート。広島、大洋もさそっていたが「なるべく郷里に近い球団」を希望する父親助熊氏=鹿児島県谷山市=の意向で西鉄にきまったもの。

竹之下投手「プロの話は全然知りません。鹿児島に帰り父からどんなふうになっているか聞きます。ただプロでは地元の西鉄が好きです」
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土屋紘

2016-06-11 22:42:22 | 日記
1968年

1㍍77、72㌔と均整がとれ、筋肉質で投手として理想的なからだつきをしている。はなやかなキャリアはないが即戦力になる実戦向きの好投手、というのがスカウト陣の一致した土屋評である。電電東京の大神田監督も「波のあるタイプだが、好調時ならプロでも十分通用する球威」と太鼓判を押しているほどだ。生まれは長野県佐久市平賀、信州人特有のねばっこい性格をのぞかせながら実感こめた話しぶり。重厚なピッチングをあらわすように態度も落ち着いている。ノンプロ球界でも地味な存在だが、小保方マネジャー(電電東京)の話によると、向こうっ気の強さには定評があり、平松(日本石油-大洋)への激しい対抗意識はナイン間でも有名。あまり知られていないが、ことしの都市対抗野球準決勝で平松と投げ合い、2-1で敗れたことをいつまでもくやしがっている。投球内容は平松と互角(日通初岡コーチ)という人もあるほどだ。今シーズンの成績は20勝10敗で11完投、防御率1・73の成績は社会人一年生としては抜群。手首の強さを最高度に生かし独特のスリークォーター投法。シュートとスライダーのゆさぶりが主武器。臼田高から駒大に進み、今春電電東京入りした。新宅捕手の一年後輩で、伊藤久投手とは同期。新宅との呼吸のあったバッテリーが売り物になるだろうという。
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池田正憲

2016-06-11 22:26:41 | 日記
1964年

神奈川高校球界で有名な関東学院高・池田正憲投手(18)=1㍍79、78㌔、左投左打=が大洋入りする。正式契約は夏の甲子園大会終了後になる。大洋のほかにも巨人がねらっていたが、最近になっておりた。同投手は速球が武器で、予選一回戦では慶応高を相手にノーヒット・ノーランをマークしたが、二回戦で桜ヶ丘高に6点をとられて敗れている。
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脇坂隆志

2016-06-11 22:15:30 | 日記
1963年

近鉄は二十八日午後、福岡市呉服町の博多帝国ホテルで、熊本鎮西学園高、脇坂隆志外野手(18)=1㍍83、80㌔、右投右打=の入団を永江代表、別当監督から発表した。背番号未定。同選手は一年生から中堅手でレギュラー。昨年は四番を打ち岡田(阪急)菱川(近鉄)とクリーンアップ・トリオを組んでいた。三年間の通算打率三割九分四厘。今シーズンは四割六分三厘、ホームラン十二本と九州地区ナンバー・ワンの強打の外野手といわれ、足も百㍍11秒3(ベース一周14秒)と速い。近鉄では昨年菊川を獲得したとき、別当監督が練習をみており、九州駐在の瓜生スカウトが勧誘にあたっていた。中日・柴田スカウトも強く誘い、ことし夏の大会予選決勝戦で九州学院に敗れたころには中日入りがほぼ決定していた。しかし柴田スカウトが三池工・苑田(広島入り内定)を勧誘、甲子園大会を見にいっている間に、近鉄が逆転したもの。

脇坂選手「別当監督の大ファンというのが近鉄にきめた第一の理由です。打ちまくるチーム・カラーも大好きです。プロ野球はことし春、近鉄・東映のオープン戦を熊本で一度見ただけだから、どれだけやれるかわからないが、先輩の菊川さんもいることだし負けないようにがんばります」

永江代表「チーム力が上昇しているこの機会に一段の飛躍を考えた補充だ。脇坂君は高校生としては超大型の選手。すぐ戦力になってほしい」

別当監督「足の速いロング・ヒッターというのはぼくのチーム作りにピッタリの選手だ。昨年からマークしていた。きっと大型の外野手になると思う」
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迫田七郎

2016-06-11 20:14:22 | 日記
1965年

何千万円という契約金をもらいながら一勝どころか、存在価値さえ忘れられている投手が何人もいる、逆に契約金零で入団しながら一線級として活躍している投手も何人かいる。東京オリオンズの迫田七郎(20)がその一人だ。迫田は三十八年鹿児島・照国高から神奈川大に進学したが、すぐ退学して大阪の板谷商店に勤務。かたわら軟式野球をやっていた。そんなとき東京球団の巡回テストが大阪であり、迫田はそれに応募したわけ。そのことを青木スカウトに聞くと「わしらスカウトの目に狂いはなかった。もし迫田のテストに監督やコーチが立ち会っていたら、あんな変テコな投げ方をする投手だけに採用しなかったかもしれない」と胸を張っていた。昨年、一年目の月給は三万五千円。ところがイースタン・リーグで12勝をあげる最多勝投手。後半は二軍とのかけもちで一軍でも登場した。しかし一軍では、もっぱら敗戦処理で勝星はなかった。それでも契約更改では非凡さが認められて月給は大幅にアップ。といっても十万円には達していないということだ。それが小山、坂井を上回る防御率を記録し、打てないチームにおりながら、すでに六勝をマークしている。今のプロ野球選手で給料の度合いからいったら、もっとも活躍している選手だろう。「金ばかりかけるのが能じゃない」の見本のようでさえある。迫田が本堂監督ら首脳陣にタイコ伴を押されたのは、ことしのオープン戦。ほとんどのチームが彼のひねくれ球に手こずったからだ。迫田自身もオープン戦ですっかり自信をつけたが、とくに三月二十七日の対東映戦で左打線を相手に自責点0の完投勝ちが大きかったようで、「あれで自信がついた」と本人もいっている。極端にインステップした独特の投球フォームは、一見ぎこちないようにみえるが、これが迫田の持味でもある。変化球が武器で、それがほとんどいっていいほど、打者の手もとへきて落ちたり、変化する。そんなことから、たいていの打者が迫田の球は打ちにくいといっている。真田コーチは「プレート度胸がいいし、マナーもいい」とほめた後、今後の課題については「まだコントロールがよくないので、それを一日も早く完全なものにしないといけない。精神的には、人間がしっかりしているので大丈夫だと思うが、六勝くらいで、プロとはこんなものかという甘い考えをおこしたら大成しない」と手きびしい。また変則的な投球については「肩とヒジに比重がかかるので、あんまり使うと元も子もなくしてしまう危険がある。適当に休養を与えて使わなければ・・・」と心配をしている。いずれにしろ、この二年生、たいへんな掘出しもの。順調にいけば十二、三勝くらいの勝星が期待できそう。昨年は未成年で研修制度の出場制限を受けていたため新人王の資格も持っている。西鉄の池永正明(下関商)との新人王をかけた争い、高い契約金が勝つか、零が勝つか、みものだ。
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植田征作

2016-06-11 06:37:13 | 日記
1960年

西鉄ライオンズは二日、球団事務所で来シーズンの首脳陣を発表する前、ノンプロ東洋紡岩国の四番打者植田征作一塁手(21)=下関商高出=の入団を発表した。同選手は1㍍72、76㌔、左投げ左打ちでノンプロ時代後楽園に二度出場、ノンプロ三年間の通算打率は・290本年度の都市対抗予選では・450、産別大会予選では・420をマークしていた。高校生の入団は十一月中旬ごろの予定だが、まず今シーズン入団する選手のうちでは一軍の大物といわれ、すでに二十八日から香椎で練習をつづけている。同選手は、打てる左バッターと投手の補強を目ざしていた西鉄の注文にぴったりの入団第一号。三十三年下関商高を卒業するとき大洋から誘われたのをはじめ、広島からの勧誘を受けていたが、西鉄が城島スカウトの誠実な交渉がものをいって、さる九月に早くも内定の線が出ていた。そのご産別大会に出られないと決まると、会社側に退職届を出し十月二十八日から練習に参加している。三年間の通算打率のわりにホームランは一年目が2本、二年目と三年目が各4本で少ないが、練習ぶりからみると、すごいというより鋭いバッティングの持ち主。身のこなしも柔らかな、運動神経の行き届いた点をみせている。発表は12時半から球団事務所で行われるが、ノンプロの猛者もさすがにはにかんだ感じ。ユニホームを手にして川崎監督と向かい合い笑ってくださいとのカメラマンの注文に、やや表情をこわばらせていた。背番号は未定。

植田選手の話 同じ野球をやるなら、プロ野球で自分の力をためしてみたかった。これからはプロ野球でメシを食うにふさわしい選手になりたい。いまは1日でも早くプロのふんい気に慣れることにつとめている。ポジションは高校時代からずっと一塁手、昨年の夏ちょっとだけ外野をやった。

西社長の話 高校出とちがって3年間ノンプロのメシを食っているので期待している。ウチの技術陣もりっぱにやれると太鼓判を押している。わたしは、いきなり25人のメンバーのなかに入る人だと思っている。ウチに必要な左バッターというのも貴重だ。

川崎監督の話 3日ほどしか練習を見ていないが、なかなかバッティングがいい。一塁守備もヘタではない。ただスローイングがおかしいので、これから直さねばならない。こんごはプロの選手として、じゅうぶん練習してほしいと願っている。
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