1965年
東映が交渉権を獲得していた明大・米沢武一塁手(22)=1㍍84、80㌔、右投右打、高松商出=はプロ入りせず、ノンプロ倉レ岡山に入社が決まった。倉レ岡山野球部は現在休部しているが、来シーズンから復活する。米沢は今春のリーグ戦で一シーズン3ホーマーをマーク、長打力はあるが、明大・島岡総監督は「性格的におとなしすぎる」とノンプロ入りをすすめていた。倉レ岡山は、来シーズン復活の主力選手として早くから米沢獲得を目ざす一方、高校時代から米沢の親がわりになっている高松商野球部後援会会長・水野蒸介氏を通して話を進めていた。水野氏は東映・水原監督(高松商OB)と親交があるので話がスムーズに運び、東映は一塁にラーカーが健在、米沢が、一塁以外のポジションをこなせないところから見送った。
東映が交渉権を獲得していた明大・米沢武一塁手(22)=1㍍84、80㌔、右投右打、高松商出=はプロ入りせず、ノンプロ倉レ岡山に入社が決まった。倉レ岡山野球部は現在休部しているが、来シーズンから復活する。米沢は今春のリーグ戦で一シーズン3ホーマーをマーク、長打力はあるが、明大・島岡総監督は「性格的におとなしすぎる」とノンプロ入りをすすめていた。倉レ岡山は、来シーズン復活の主力選手として早くから米沢獲得を目ざす一方、高校時代から米沢の親がわりになっている高松商野球部後援会会長・水野蒸介氏を通して話を進めていた。水野氏は東映・水原監督(高松商OB)と親交があるので話がスムーズに運び、東映は一塁にラーカーが健在、米沢が、一塁以外のポジションをこなせないところから見送った。