1968年
巨人がドラフト会議で第二位に指名したノンプロ・日通浦和・田中章投手(24)=1㍍70、64㌔、右投右打、千葉経済高出=の入団が十六日きまった。武宮スカウトは同日午後五時半すぎ、千葉県木更津市富士見通りの木更津温泉ホテルで父親七平さん(56)=行政書士=、母親ふじ子さん(52)実兄勲さん(27)=川崎製鉄千葉=、本人をまじえ第二回目の入団交渉をした結果、田中は巨人入りの意思表示をした。契約金は規定最高の一千万円、年棒は百八十万円(推定)。巨人ではドラフト会議の第一号選手であるため正式契約は九州へいっている正力オーナーの帰りを持ち、十九日、東京・銀座西の球団本部で行う。同選手は同日午前、東京・秋葉原の日通本社で渡辺野球部長に退社届けを提出、了解をとった。二十五日に合宿入りして、ファームの練習に参加する。この日武宮スカウトは田中とともに午後三時すぎ、千葉県木更津の実家をたずね、午後五時半すぎから市内の木更津温泉ホテルで両親をまじえ交渉した。武宮スカウトは条件面で規定最高額を提示するとともに、約二時間にわたってチームの事情を説明、両親も納得して入団を内定した。すでに十四日、武宮、沢田両スカウトは、銀座西の久保田に田中をまねき、入団を要請。田中が「一昨年近鉄に指名されたときは自信がなく断ったが、いまはプロでやってみたい。それに巨人ファンです」と答え、話し合いはスムーズにはこんでいた。田中は昭和三十八年千葉経済高を卒業、日通浦和・初岡コーチ(現助監督)の紹介で入社した。その年は佐藤の陰にかくれて目立たなかったが、翌年からメキメキ頭角をあらわし三十九年夏の都市対抗野球ではチームを初優勝に導き、橋戸賞を受けた。それからことしまで五年間エースとして働き、昨年、ことしと秋の産業対抗野球では準優勝に貢献して敢闘賞を獲得。また、昨年は春の足利大会で東京鉄道管理局相手にノーヒット・ノーランをマーク、アジア大会では全日本チームの一員として活躍するとともに、社会人野球のベストナインに選ばれている。小柄ながら上手投げの本格派で、外角低めに決まるスライダーが武器。ことしはシュートをおぼえ、ピッチングの幅をひろげ、今シーズンはオープン戦を含み18勝2敗の成績を残している。同投手は十七日後楽園球場で行われる教育リーグ巨人対東京戦を武宮コーチとともに観戦することになっている。
田中投手「正直いってまだプロでやれる自信はない。しかし年から考えてプロ入りするには最後のチャンスだと思う。武宮さんはぼくが想像していた以上に買ってくれたので力づけられた」
父親・七平さん「できるだけノンプロで一生を送っていてくれたらと思っていた。だが、本人が巨人でやりたいというなら、それもしかたがない。私も師範として仕事の片手間に警察で柔道、剣道を教えているので、勝負のきびしさはよくわかっている。やる以上はノンプロ時代の甘い考えは捨てなければと強くいってきかせた」
田中は、ひと口に言えば平凡な投手だ。プロで20勝を期待するようなことは無理だが堅実に10勝はできると思う。一番の長所はコントロールが非常にいいことだ。調子の悪いときにときたま高めに浮くだけで、ほとんどのボールを低めに集めている。カーブ、シュート、スライダーの切れもいいし、からだは大きくないが土性っ骨があり、逃げずに向かっていく。どんどんストライクをとって打者を追い込んでいくタイプだ。反面それが欠点となることもあるだろう。ノンプロでは力で押しても打たれないが、プロではねらわれやすい。ボールもさほど重くないので、一発を食わないようにこれからはコンビネーションの研究をすべきだ。もちろんスタミナの配分も考えなくてはいけない。九イニングを通して神経を抜かずに投げることは不可能だが、三イニング、五イニングと与えられたチャンスに全力をそそげばそう打ち込まれることはないと思う。強力なバックを背にして投げるのだし、新人では一番早く戦力になるのではないか。
巨人がドラフト会議で第二位に指名したノンプロ・日通浦和・田中章投手(24)=1㍍70、64㌔、右投右打、千葉経済高出=の入団が十六日きまった。武宮スカウトは同日午後五時半すぎ、千葉県木更津市富士見通りの木更津温泉ホテルで父親七平さん(56)=行政書士=、母親ふじ子さん(52)実兄勲さん(27)=川崎製鉄千葉=、本人をまじえ第二回目の入団交渉をした結果、田中は巨人入りの意思表示をした。契約金は規定最高の一千万円、年棒は百八十万円(推定)。巨人ではドラフト会議の第一号選手であるため正式契約は九州へいっている正力オーナーの帰りを持ち、十九日、東京・銀座西の球団本部で行う。同選手は同日午前、東京・秋葉原の日通本社で渡辺野球部長に退社届けを提出、了解をとった。二十五日に合宿入りして、ファームの練習に参加する。この日武宮スカウトは田中とともに午後三時すぎ、千葉県木更津の実家をたずね、午後五時半すぎから市内の木更津温泉ホテルで両親をまじえ交渉した。武宮スカウトは条件面で規定最高額を提示するとともに、約二時間にわたってチームの事情を説明、両親も納得して入団を内定した。すでに十四日、武宮、沢田両スカウトは、銀座西の久保田に田中をまねき、入団を要請。田中が「一昨年近鉄に指名されたときは自信がなく断ったが、いまはプロでやってみたい。それに巨人ファンです」と答え、話し合いはスムーズにはこんでいた。田中は昭和三十八年千葉経済高を卒業、日通浦和・初岡コーチ(現助監督)の紹介で入社した。その年は佐藤の陰にかくれて目立たなかったが、翌年からメキメキ頭角をあらわし三十九年夏の都市対抗野球ではチームを初優勝に導き、橋戸賞を受けた。それからことしまで五年間エースとして働き、昨年、ことしと秋の産業対抗野球では準優勝に貢献して敢闘賞を獲得。また、昨年は春の足利大会で東京鉄道管理局相手にノーヒット・ノーランをマーク、アジア大会では全日本チームの一員として活躍するとともに、社会人野球のベストナインに選ばれている。小柄ながら上手投げの本格派で、外角低めに決まるスライダーが武器。ことしはシュートをおぼえ、ピッチングの幅をひろげ、今シーズンはオープン戦を含み18勝2敗の成績を残している。同投手は十七日後楽園球場で行われる教育リーグ巨人対東京戦を武宮コーチとともに観戦することになっている。
田中投手「正直いってまだプロでやれる自信はない。しかし年から考えてプロ入りするには最後のチャンスだと思う。武宮さんはぼくが想像していた以上に買ってくれたので力づけられた」
父親・七平さん「できるだけノンプロで一生を送っていてくれたらと思っていた。だが、本人が巨人でやりたいというなら、それもしかたがない。私も師範として仕事の片手間に警察で柔道、剣道を教えているので、勝負のきびしさはよくわかっている。やる以上はノンプロ時代の甘い考えは捨てなければと強くいってきかせた」
田中は、ひと口に言えば平凡な投手だ。プロで20勝を期待するようなことは無理だが堅実に10勝はできると思う。一番の長所はコントロールが非常にいいことだ。調子の悪いときにときたま高めに浮くだけで、ほとんどのボールを低めに集めている。カーブ、シュート、スライダーの切れもいいし、からだは大きくないが土性っ骨があり、逃げずに向かっていく。どんどんストライクをとって打者を追い込んでいくタイプだ。反面それが欠点となることもあるだろう。ノンプロでは力で押しても打たれないが、プロではねらわれやすい。ボールもさほど重くないので、一発を食わないようにこれからはコンビネーションの研究をすべきだ。もちろんスタミナの配分も考えなくてはいけない。九イニングを通して神経を抜かずに投げることは不可能だが、三イニング、五イニングと与えられたチャンスに全力をそそげばそう打ち込まれることはないと思う。強力なバックを背にして投げるのだし、新人では一番早く戦力になるのではないか。