プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

水谷孝

2016-06-12 18:52:27 | 日記
1966年

三重県の中央部伊勢湾の西海岸近くの商業都市松阪。三重高はここにある。梅村清明学長は「どちらを応援していいやら・・・」といまから気をもんでいる。野球部長は学長の二男光弘氏で、中京商時代、三十一年の選抜で優勝したときの主将。また監督は中京商ー慶大(阪急の衆樹、中田と同期)-全鐘紡と名門コースを歩いた榊原敬一氏と中京商OBでかためている。松阪の二月は鈴鹿山から吹きおろす風が冷たく、とてもピッチングをやれる状態ではない。学校の近くにある久保山の林のなかにピッチング練習場を作った。中京中ー久保中(中学三年のときに転向)-三重高とずっとバッテリーを組む菊田捕手のミットのひびきがあたりにこだまする。ダイナミックなフォームからくりだすストレートはすばらしく速い。榊原監督は「木村(早大ー南海コーチ)の全盛期のようだ」という。防御率0・41は出場二十四校中の№1だ。姉三人の末っ子で性格的におとなしかったが、主将をやらされるようになってからやる気がでてきた。中学から高校一年の秋まで横手投げだったのを一昨年、ノンプロ日本通運浦和・稲葉監督(榊原監督が慶大時代の監督)から上背があるのだから上からたたきつけるようなフォームを・・」とアドバイスされオーバースローに変えた。「からだが柔かく、ストレートだけでも内角で勝負できるほど。カーブは大きく鋭いので効果がある。まだまだ伸びる」と榊原監督は目を細める。目が大きいのでナインからキューピーというニックネームをつけられた水谷は「いま、ちょうどへばっているところです。昨秋の東海大会で打力のある東邦高をシャットアウトして自信をつけました。あとは故障しないように気をつけるだけ。将来ですか?六大学でやってみたいですね」といっているが、プロのスカウトもがっちりマークしている。

「投手成績」17試合、13完投、12無得点勝ち、投球回数132回、被安打59、奪三振138、与四死球11、失点12、自責点6、防御率0・41。
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リック

2016-06-12 18:28:44 | 日記
1962年

阪急ではこのほどノースウエスト・リーグ(B級)のトリ・シティーズのフレデリック・リック投手(23)=1㍍70、75㌔、右投右打=の入団をきめた。正契約は来日(五月十一日予定)してから行われる。リック投手は1960年トリ・シティーズに入団。20勝8敗。昨年は13勝16敗の成績をあげている。

阪急・岡野代表「アメリカで実績があるので安心している。聞くところによれば速球投手らしい。二十三歳というから若さも魅力だ」

阪急に入団するフレッド・リック投手(23)=1㍍80、75㌔=は十四日午後四時半伊丹着の日航機で大阪についた。正式入団発表は十五日午後二時半から梅田のレストラン・シルバーで行われる。同投手はB級のノースウエスト・リーグのトリ・シティーズに在籍し、1960年度は20勝8敗。61年度は13勝16敗。ことしは3Aのアイランダースに昇格することになっていた。

リック投手「スピードボールが得意だ。日本にくる寸前までトレーニングをしていたから準備はできている。投げろといわれればあすでもOK。ぼくはまだ若い。力のピッチングをみせられると思う」

岡野代表「リック投手は顔を合わせたとき、これはいけると思った。若さが魅力だし、実力があるので信用できる。阪急の選手はいま大阪にいないので大下技術顧問が西宮で十五日からめんどうをみて練習相手になる。なるべく早く試合に出したい」
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若生和也

2016-06-12 13:18:09 | 日記
1967年

中日からドラフトで指名されていた若生和也投手(22)=ノンプロ立正佼成会、1㍍75、77㌔、右投げ右打ち=の中日入団が確定的となった。若生は二十八日正午から東京・内幸町の東京中日新聞二階秘書課で中日の柴田渉外課長、田村スカウトと二度目の話し合いで、中日入りの意思表示をした。若生は就職が内定している日本楽器及び郷里塩釜の家族と話し合うため、正式発表は来月六日ごろ名古屋市中区の中日球団事務所で行われる。若生は二十九日、就職の内定している日本楽器の森口野球部監督、松山野球部常務を訪ね中日入団の了解を得、翌三十日、郷里の宮城県塩釜に帰り父正次郎氏(53)と最終的な話合いをする。しかし本人の気持ちは中日入りに傾いており、関係者も強く中日をすすめている。塩釜高校時代には鉄砲肩を誇る捕手だった。ところが三十九年にノンプロ仙台鉄道管理局に入社し、同年夏自衛隊東北と試合ではじめてマウンドをふみ、しかも完封勝ちした。それ以降は投手にコンバートされ速球投手としてならした。立正佼成会のエースとして活躍した今シーズンの全成績は20勝10敗。今秋の東京都支部大会決勝の対リッカ―ミシン戦では決勝ホームランを打っている。昭和十九年十一月十六日生まれ、23歳。宮城県塩釜市出身。三十八年塩釜高校卒業。仙台鉄道管理局入社、三十九年十月岩崎電機に移り、四十三年三月立正佼成会に入社。今シーズン夏の都市対抗野球で活躍し、プロから入団を勧められていた。速球とスライダーが武器の本格派投手。

柴田渉外部長の話 うちにはこれで小川、相川に次いで三人目の立正佼成会出身者がそろった。若生君も先輩に負けないようがんばってもらいたい。

若生投手の話 いままでは速球、スライダー、シュートの三種類だけ。これからはスピードをつけることが先決だと思っている。
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田中達彦

2016-06-12 12:07:22 | 日記
1963年

愛称デカ。もちろん1㍍79の長身からついたものだ。体重も79㌔でチーム一だ。予選の打率三割八厘、ホームラン1本と、巨漢には珍しく動作は機敏だ。「本塁打は風にのったんス。真ん中です。第一打席だったので足がふるえました。父の商売はサカナの行商です。家は豊かな方じゃないス」聞かれたことにはてきぱきと答え、興奮はしていない。県下では千葉商・江田(阪神入り決定)と比較される大型三塁手だが、一塁には先に名の売れた江田に対抗させるため、一塁手だったのを今シーズン、コンバートしたといわれている。千葉は野球の盛んな土地、学校同士の対抗意識も強い。「ほんとうは三塁なんか大きらいです。監督がやれというからやってるんス」監督が聞いたらしかられそうなことを平気でいう。そんな田中だが、一つだけあいまいな返事をした。「卒業後はどうする?」と聞かれたときだ。「わからんス・・・」小さな声だった。すでにプロのスカウトたちは目をつけている。この日も甲子園で大会随一といわれる中京商・三輪田投手が出ているのに、西宮のスタンドはスカウトの花ざかり。スカウトの間では大洋本命説が流れている。昨年銚子でキャンプを張った大洋はそのときから目をつけ、湊谷スカウトがつきっきり、保井スカウト部長もはっきりいう。「ウチは一番のりですよ。投手の経験もあるから鉄砲肩です。それに主将の関根はウチの関根(今季日本ビールから入団)の弟ですしね・・・」と自信ありそう。このほか東映も動いている。関西地区ではそれほど知られていなかったが、近鉄・江田スカウトはひと目ぼれ。「どうや、千五百万も積めばとれるかいな」といっていた。斎藤監督の話はチーム一の俊足だそうだ。長姉の久仁枝さん(25)が編みもの、次姉の三佐子さん(20)が洋裁をやって生計を立てている田中一家。プロ入りは必要だ。
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坂井勝二

2016-06-12 11:18:45 | 日記
1964年

プロ入り六年目で初の20勝を飾った坂井には今秋結婚を約束したフィアンセ藤田好美さん(19)がいる。東京・文京区原町にある藤田さんの家に坂井が下宿したのが知り合ったきっかけ。昨年秋には福岡にいた両親を呼んですぐ近くへ新居を構えた。だがいまでも東京で試合があるときは好美さんが愛車のコロナを運転して坂井を迎えにくる。登板するときは好美さんは必ずスタンドから応援する。チームメイトのだれもがうらやむような仲のよいカップル。「彼女がみていたからといって別にどうということはないね」と笑うが、坂井の20勝のあとを球場別にみてみると東京は12、日生3、大阪2、神宮、後楽園、平和台1と圧倒的に東京地区で多い。坂井は「家から出てくる方がからだの調子でも、気分的にもずっと落ち着けますからね。それで東京の方が勝てるんでしょう」とテレながら弁解した。ニックネームはミーコ。長いマツゲと柔和な顔立ちからついた。マウンドでの往復のときもションボリと肩を落として歩く。女性的な坂井のどこに20勝の力が秘められているのかと首をかしげたくなる。「ぼくはよけいな力は使わないようにしている。だからみんなにファイトがないなどとおこられるんですよ。きょうも初回に大量点してくれたからリキまずに投げました。19勝あたりでウロウロするのではないかと思ったらあっさり勝たしてもらっちゃった。自分でもよく20勝できたと驚いている。もちろん初めてですからうれしいですね」とそれがクセの長いマユゲをパチパチさせた。昨年の14勝が最高。ことし20勝できた理由は「小山さんが入団したことによるライバル意識」と「いままで夏場に勝てなかったが、ことしはオールスター後5勝2敗とシーズンでも一番調子がいい。小山さんに夏バテの調整法をいろいろと聞いてそのとおりにやっているのがいいのかもしれない」のだそうだ。こんなところにも小山の東京移籍のプラスはあった。大阪・天満橋の宿舎満寿美に帰った坂井はさっそく好美さんに電話をかけ、20勝の報告をした。
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グルンワルド

2016-06-12 10:25:33 | 日記
1962年

いつもは試合後球場正面入り口の前は阪神選手の帰りを待つファンでいっぱいだが、この日は半分くらいが大洋のマックとグルンをとりまいてゾロゾロ歩きだした。日本の選手はサイン紙を出されても黙っていってしまうことが多いが、ふたりはすごくあいそがいい。「コンニチハ」「どうですか」などといっては、女学生がさし出す手帳をまるで握りつぶすような感じでバカでかい手にのせてサインした。陽気だな。じいさんみたいな顔をしているが、気持は十代だ。美声をみんなにほめられると得意になって歌をうたう。気がいいんだね」と入谷コーチ。気のいい、陽気な男はみんなが電車のくるのを待っているのにひとりで球場の横でサインをつづけている。「変化球がよかった。カーブとチェンジアップがほとんど。阪神の打者がきれいにチェンジアップにひかかってくれたので助かった。速い球?日本の選手には少しくらいのスピードだけでは通用しない。暖かくなってきたからもうぼくらの天下だ」ヒゲだらけの顔に目だけがキューピーの目玉みたいにまんまるで若い。日本の打者の話になるとその目玉がクルクルと動く。「まだ顔と名前が一致しないので、どれがいい打者だかわからない。しかしアメリカで聞いていたよりはるかにうまい。だから変化球中心で目先を変えなければダメだと思った」グローブのような左手を見せ、手首をグリグリと動かして、通訳のスタンレー橋本をつっついた。「これがオレの宝といえといってる。カーブを投げるとき手首が変な曲がり方をするでしょう。彼は左手をすごく大切にするよ」そのためグルンはグラウンド外の事は全部右手でぎこちなくすませている。「日本の生活?グッド。日本の野球?ベリー・グッド。オール・ベリーグッド」だれにきかれても録音してあるような返事だが、ゆううつなことが一つある。かも居に顔をぶつけてばかりいることだ。「頭がこわれちゃうね」と大声で笑った。


阪神を三安打に押えたが、グルンのピッチングはまだほめられない。左腕特有の外角へのシュートがないし直球にもスピードがない。せっかくの大きなからだ(1㍍94、80㌔)が全然生かされていない。ステップが小さく、右腕もないのと同じ。阪神が打てなかったのは全投球数の70㌫くらいをしめる変化球にごまかされていたからだ。ナックルとチェンジアップにとまどって、からだをのり出し、泳いで打っていた。グルンを打ちくずすにはまずよび込んで打つこと、そしてタイミングをはずされないことだ。
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ジェンキンス

2016-06-12 10:00:13 | 日記
1962年

近鉄は二十八日、元3A級のロバート・ジェンキンス外野手(27)=1㍍86、87・5㌔、右投右打=の入団を発表した。同選手は三十二年ロサンゼルスのエンゼルス(3A)で九十六試合に出場、三割一分、13本塁打、三十三年スポーケン(3A)に移り三十四年にはモービル(2A)に落ち、三十五年かぎりでモービルを退団、現在はフロリダに住んでいる。近鉄では先に入団を予定していたマンコビッチ投手(リトルロック=2A)が軍轄いあり、来日がむずかしくなったため「ブルームにおとらない強打者」というミケンズの紹介でジェンキンスの入団をきめたもの。来日は五月中旬の予定。

近鉄・永江代表「投手陣が弱いのでマンコビッチの入団交渉をつづけていたが、いつこられるのか要領を得ないので打ち切り、二十五日にそのむね連絡した。ジェンキンスは昨年夏ミケンズが手首を折って帰国したときから手紙でなんども推薦してきていたし、本人からも日本にきたいという手紙をもらった。アメリカで商売をしているそうで、完全にフリーだから渡航手続きさえうまくいけば五月下旬には日本にこられると思う」

近鉄は十八日午後四時からロバート・ジェンキンス一塁手兼外野手(27)=1㍍90、90㌔、右投右打、サウザン、アソシエーション、モービル(2A級)=の入団を発表した。背番号24、略称ジェンク。同選手は午後六時半から日生球場で行われた練習に参加。別当監督とのキャッチボール、ペッパー・ゲームのあと、武智投手の球をおよそ三十本打った。一年間バットを持っていたなかったことやアメリカには少ない下手投げ投手の球だったこともあって、いい当たりは少なかったが、それでも球足の速いライナーが、五、六本あった。守備はファースト・ミットを持ってノックを少し受けただけ。別当監督は「二百八十ー九十(1・05㌔ー1.00㌔)のバットを持っているから力は相当ありそうだ。まだからだがガタガタだから、きょうの練習からはジェンクの実力はわからない。十日間くらいは練習させなければならないだろう。ポジションはその結果できめる」といっていた。

ジェンク選手「三週間前からトレーニングをはじめた。あと二、三日練習すれば試合に出られる。目標は一試合でも多く出場して、力の打撃をお見せすることだ。カーブ打ちが得意だ。できれば外野を守りたい。昨年日本のオールスター戦をテレビで見たが、守備のうまい選手が多いと思った」

1934年カリフォルニア州メリーランド生まれ。マイアミ・ハイスクール出身。1957年PCLのロサンゼルスに入団。96試合で13ホーマー、三割一分をマーク、58年は同リーグのスポーケンに移り、二割六分八厘、10ホーマー。この年にマック(大洋)ブルーム(近鉄)と同じリーグでプレーしている。59年からはサウザン・アソシエーションのモービルに移籍。59、60年とも2割8分だった。61年は野球をやめ、建築関係の仕事をしていた。ことし本人の希望とミケンズの推薦で入団がきまったもの。
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グリヒン

2016-06-12 09:09:07 | 日記
1963年

近鉄はグリヒン投手(元3Aポートランド)を採用するまでに一か月もテストした。のどから手の出るほどほしいサウスポーなのに、契約をちゅうちょしていたのは昨年のジェンクの例があるからだ。外野手不足に悩んでいた近鉄では、ミケンズの「ブルームにまさるとも劣らぬ強打者」という宣伝をウ飲みにしてジェンクをとったが、話とは大違い。カーブは打てない、守ってはバンザイといったぐあいで、シーズン終了と同時にクビにした。にがい経験がある。グリヒンの場合もはじめの採点は「スピードがない」(別当監督)「左投手のクセにサイドスローだ」(野口コーチ)と意外にからかった。本人は「右バッターならオーバーハンドで投げる。アメリカでもそれで成功してきた」と主張したが、球団で調べたところ、昨年の成績は2勝4敗、防御率4・80とかんばしくない。グリヒンを見つけてきたのはブルームだが、ブルームは意外に冷たい?紹介者だった。「球団から左投手を捜してこいといわれたからつれてきたが、採用するかどうかは球団がきめることだ。採用して働かないからって責任をとらされるのはごめんだよ」しかし採用になったのはテストをつづけているうちにグリヒンのまじめさがわかったからだ。ふつうの外人選手は「バス、トイレ付きのホテルに住ませてくれないとイヤだ」と注文をつけるのだが、グリ品はそんな要求を全然しなかった。テスト期間中の宿舎大阪市天王寺区のホテルの部屋は一泊二千円。バス、トイレは共同という質素なものだった。「ポートランドー東京の飛行機代(約十四万円)も近鉄が出してくれた。これ以上ぜいたくがいえるもんか。野球選手はいい成績を残して初めていい待遇を受けることができるのだ。オレはテストにうかるよう全力をあげる」テスト中のグリヒンは一生懸命だった。その上、野口コーチによると練習を重ねているうちにスピードも出てきたし、変化球のコントロールもよくなってきたそうだ。グリヒンの場合でもわかるように、最近では外人選手の獲得に各球団ともたいへん慎重だ。今年パーマ、ウィルソン、ロイの三人をとった西鉄は若林コーチを二か月近くもアメリカに派遣しているし、南海・鶴岡監督もハドリをとるために渡米している。若林コーチのように、外人選手の条件は「①元大リーガー②現在3A③日本での参加報酬や生活に文句をいわない」とはっきり最低線を引いている人もいる。「日米間の選手の移籍は両国コミッショナーを通じてしよう」という内村、フリック両コミッショナーのとりきめも今シーズンから実施されているし、外人ならなんでもありがたがっていた時代は完全にすぎ去った。ブラウン(阪神)テスタ、マニー(大毎)バウアー、アレキサンダー(東映)ジェンクのように役に立たなかった外人がユニホームを着られるほど日本のプロ野球はもうあまくないようだ。
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有田哲三

2016-06-12 07:54:58 | 日記
1969年

広島は九日、昨年のドラフトで四位に指名、交渉権を保有していたノンプロ松下電器の有田哲三投手(19)=宇部商出、1㍍80、84㌔、右投右打=を獲得した。同投手は同日、紀三井寺で行われた近畿社会人野球選手権大会に出場、試合終了後木庭スカウトが会い契約を完了した。契約金三百万円、年棒百万円(いずれも推定)。木庭スカウトはただちに公示のため上京した。同投手は高校時代から二、三のプロ球団から「将来性のある投手」と目をつけられていたが、早くから松下電器入社を決め、交渉権を得た広島の交渉も断った。しかし広島は投手の人員が他球団に比べて少ないことと、静岡商・新浦投手、鳥取西・松原投手がいずれも巨人入りしたため十月にはいって木庭スカウトが宇部市厚南互恵崎町の実家に父親豪三さんをたずねたりするなど、熱心な交渉をつづけていた。有田は松下電器ではエース岡田のかげにかくれ、リリーフに使われ、目立った活躍はなかったが、スリークォーターからの速球、シュートには威力がある。

有田投手「プロでやってみたいと思っていますが、会社の方とまだなにも話し合いをしていないのでぼくの口からはなんともいえません」
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深代芳史

2016-06-12 07:36:49 | 日記
1964年

沼田高・深代芳史投手(18)=1㍍81、70㌔、右投右打=の阪急入りがこのほど決まった。同投手は、関東高校球界でも指折りの本格派投手としてはやくからプロのスカウトにマークされ、巨人、大洋、国鉄、東映などからも誘われていた。同投手は学業も優秀で東京オリンピックの聖火リレー走者にも推薦されていたが、これを辞退、プロ入りに踏み切った。
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鴇田忠夫

2016-06-12 07:22:37 | 日記
1963年

千葉商の三番打者、鴇田(ときた)忠夫遊撃手(17)=1㍍70、68㌔、右投左打=は、八日大毎入団が内定した。同選手の入団交渉を進めていた大毎・白川スカウトが同日午後、千葉県東金市滝の鴇田家をおとずれ、両親、実兄立ち会いで条件を提示、入団の内諾を得たもの。鴇田家では千葉商・辻本野球部長、鴇田監督(旅行中)の了解を得て入団したい意向なので、正式契約は十八日ごろになるもよう。同選手は先に阪神入りした江田三塁手とともに一年の春からレギュラーとして公式戦に出場、打率四割一分(本塁打5)の好打率をマーク。大毎、阪急、阪神の三球団が交渉していたが、阪神は江田獲得と同時に手をひき、大毎、阪急の争いとなっていた。学校を通じ、熱心に東金市に足を運んだ白川スカウトの熱意と、鴇田本人の希望で大毎入りが内定した。

鴇田選手「プロにいくことは前からきめていた。大毎と阪急が熱心に誘ってくれたが、大毎にいくこと以外考えていない」
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半沢士郎・大塚徹

2016-06-12 07:12:10 | 日記
1963年

国鉄は十六日午後三時から東京・有楽町の球団事務所で鎌倉学園・半沢士郎投手(18)=1㍍84、81㌔、右投右打=土浦三高・大塚徹捕手(18)=1㍍75、72㌔、右投右打=の入団発表を森球団常務、浜崎監督の立ちあいのもとで行った。半沢投手は神奈川県下有数の本格派投手。オーバーハンドからの速球に威力があり、夏の大会県予選では一試合平均10個の三振をうばって、準決勝まで進出、横浜高に敗れた。また大塚捕手は投手リード、脚力、打撃、肩にすべてにまとまり、高校では関東一の捕手といわれていた。両選手とも来シーズンからの契約なので、研修期間は来年ペナント・レース開幕から百試合となる。背番号は未定。
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岩切正男・阿佐美勝義

2016-06-12 00:19:51 | 日記
1963年

東映では、このほどノンプロ立正佼成会の岩切正男投手(20)=1㍍82、78㌔、右投右打、駒大中退=足利工・阿佐美勝義外野手(18)=1㍍75、76㌔、左投左打=を獲得した。岩切は長身右腕の本格派で、立正佼成会では将来のエースとして期待していた。大洋の保井スカウトが人を通じて入団交渉をすすめ、一時は大洋入り決定といわれるまでになったが、岩切が大阪在住の知人を通じて東映・荒井スカウトに「プロ入りの意思がある」ことを伝え、事態は急転した。阿佐美は関東高校野球界有数のスラッガーとして注目されていたが東映・塚本スカウトの熱心な勧誘が実った。今夏の栃木県予選では三番を打ち25打数、9安打、三割六分の好打率を記録している。

東映・荒井スカウト「岩切君は将来性のある右投手と期待している。本人も東映でやってみたいといってるし、問題はない」

東映・塚本スカウト「阿佐美君には中日、国鉄などが入団交渉を進めているようだが、まずうちに来てくれることは間違いない。素質のある選手だし、打力も高校生ばなれしていて、十分プロでやっていける」
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