プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

黒川豊久

2016-06-26 20:47:12 | 日記
1961年

八月の香椎球場(国鉄二軍の練習場)は焼けつくように暑い。グラウンドはかたく、練習といってもイレギュラーする打球からからだを守るのが精いっぱいのありさまだ。こんな悪条件のなかで、ノッカーの河野コーチに「お前まだへばらんのか。いいかげんに解放してくれよ」といわせたのが二年生の黒川(東北高出)だ。「とにかく内に秘めた闘志というか、ファイトはすごいね。背広に着がえると内向性で無口な性格になるが、いったんグラウンドへ出るとその性格を一気にプレーではきだしてしまうんだ」河野コーチの言葉を裏付けるように、報道陣にかこまれたこの夜のヒーロー黒川はまったくおとなしい。「打ったのは内角球でした。実はヤマをはっていたんです」自分からスラスラと答えたのはこれだけ。質問されなければあとは石のように口をとじている。「最初はあがりましたが、このごろそうでもありません。ヒザがガクガクしなくなりました」これだけの話をはいいいえの連発で表現した。二十七日のウエスタン・リーグ対広島七回戦に2満塁ホーマーを含む5打数4安打、10打点、12塁打を記録。さっそくこの夜一軍に起用された黒川は、このゲームまで3試合連続安打で5打数3安打、2打点をあげた。技術的には「右手の押しが強くそれを生かしたのがよかった。右肩をボールにぶっつけるようにして打たせたら左翼方面へいい当たりが出るようになった」そうだ。趣味は映画。なかでもギャング映画が好きだという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滝良彦

2016-06-26 20:30:50 | 日記
1954年

野村、スタルヒン、江藤、武末、服部とそろえたユニオンズのピッチング・スタッフ、誰が一番先に「10勝ライン」に到達するか・・・とみていたのに野村以外はさっぱり振るわず、十二日現在で野村九勝、スタルヒン二勝、江藤、武末各一勝これが高橋低調の因とみられるが・・・滝良彦が四月五日に対南海戦の勝利投手になり・・多くの人を驚かせたのもつかの間、それから東映、大映、南海、毎日、東映、阪急と六連敗「使える投手は野村一人か・・・」と噂されるようになったとき、五月十二日「猛打西鉄」をおさえて勝利投手となって調子を上げその後は重要時期に再三登板、十二日までの成績は10勝13敗、真っ先に10勝ラインに到達したのだから・・・投手は使ってみねばわからない・・と監督達がなげくのもむりはない。滝は豊橋生まれで名古屋育ち、名古屋商業を出て南山大学に進み二十五年春卒業して名古屋のトヨタに就職、二十七年毎日オリオンズに加入して二軍で鍛えられ二十八年一軍のユニホームを着たが芽が出ず今春ユニオンズにトレードされ登板するようになったのがその球歴。名商では一年は内野手、二年間投手、南山大学では三年間投手(トヨタでは軟式)オリオンズで二年間、そこで今年が投手として八年目、二十四歳、十六貫五百、右投げの投手である。新人ではあるが二十四歳、長身ではあるが少し軽量というのが特徴これに対し本人は「もう一貫あまり肥りたい」といっているし「年など忘れ十八、九歳の若い人と同じ気持ちでスタートした」と告白しているが・・・一、二貫肥ったらもっと楽に球速がつくであろうと年を忘れての精進ぶりは買っていい。投法は横手投げ五に対しスリー・クォーター二ぐらいの割合、足をよくひねっているから棒球は少ない。内角をつくシュートは・・・くいこむ球と落ちる球の二種類、これで攻めておいてカーブで勝負をしているが・・落ちる角度より曲がる度合いの方が大きい。曲り方の小さいときは横手投げのスライダーとして効果をあげている。見ていると・・・割合に少ないウォーミング・アップで登板ができるのはいい習慣である・・が今後の課題は・・・スピードをつけること、コントロールの万全を計ること、そして投法と体力からいってチェンジ・オブ・ペースの会得、この三つであると思う。そのためにまず走って腰と足の力を強くすることに努めているようであるが・・・これは大いに励行することをすすめたい。そしてムダ球をへらすため「凡打率の多いコース」をさらに探究すると・・・勝星がふえると思う。

滝投手の話 僕はいま十六貫八百もう少し肥りたいと思っている。球質も重くなるだろうから・・・。しかし肥えない体質なのでこれ以上やせないように心がけています。中沢さんは僕がよく走っているといわれていますが、実際のピッチングの練習より走っているときの方が多いくらいです。登板する予定のない日はグラウンドを四周、投げる日は三周位です。だが走っているときに足が重く感じるときはすぐやめて体操を十分やっています。やはりこういう日は調子が悪いです。ウイニング・ショットはカーブシュートを投げておいてこのカーブで勝負する。しかしカーブだけだとやはりねらわれるのでいま外角へスライドして落ちる球を研究中、握り方をいろいろ変えてやっていますが、段々気に入ったのを投げられるようになった。これを早くマスターしてカーブと混用してみたい。最後に採点ですが大体これぐらいですが、球速はもう少しあると思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋輝

2016-06-26 18:19:50 | 日記
1954年

二十五年の春、国鉄スワローズが創設されたとき第一線投手とうたわれて加入したのが高橋輝投手。チームの打力の低さ、守備力の弱さを考えると十勝十五敗(出場五十二試合、完投四試合)は相当なもの。翌二十六年は十勝二十一敗(出場三十六試合で完投七試合)と順調な成績をみせたのに二十七年は三十四試合に出て完投一試合、二勝六敗、二十八年はさらに下がって勝星なしの二敗、高橋ついに芽を出し得ないか、と噂されたのも当然、しかるに今シーズンは十月五日現在で六勝(巨人に二勝、中日に一勝の金星をふくむ)十一敗、二十五ゲームに出場して完投六試合という成績。この分ではうまくいくと十勝ラインに到達するかもしれないし完投八、九試合の線にとどく見こみがある。今年になって急にスピードがのったわけでなくカーブの角度が鋭くなったこともない。それであるのに二十七、八年の両二シーズンの不振をふきとばしていいピッチングをしているたねは?その球歴と身体から検討するのが順序、大宮一高(旧片倉中学)では大した練習も試合もせず中大に入ってからも一年間はいずこも同じ新人の球拾いに励み、その後二年間投手をしてスワローズ入り。五尺五寸五分という体格で左投げ、球も相当速いし落ちるカーブも大きいから勢いにのってぶんぶん投げる。打つ方からいえば初対面で球筋もわからない。小さい身体でどこから出るのかわからないようなモーションで速い球や大きいドロップが投げられる。コントロールもよくないらしいとあってはちょっとあつかいにくい投手である。しかし三年目になると各球団の打者も高橋の単調な投法をのみこんだし、高橋本人も「これではいけない」と反省したり、プロ野球のこわさもわかって来る。最初の一、二年間のようにいかない。そして勉強したのが上手投げ専門であった投法にスリー・クォーターを加えること、外角(右打者に対し)を攻めるシュートを身につけることスリー・クォーターで投げるカーブでストライクをとること・・この三つ。高橋も二十三歳になりプロ野球の生活も五年目、体重も十六貫五百となり、勉強した三条件をひっさげての今シーズン、成績も上がってよいはずである。現在は上手投げ3、スリー・クォーター2の割合。多投するのは内、外角をつく速球(のびがいい)上から落ちるカーブで凡打させ、スリー・クォーターのカーブで勝負をしているがその間に外角シュートをうまく使っているのが目につく、四球を出すと気にするらしいがこれからみてもコントロールをよりよくすることが十五勝投手への道であると思う。

高橋投手の話 ウイニング・ショットBの上はちょっとカラい。ドロップはコントロールもいいし、あまり打たれない。Aの下ぐらいにしてもらいたいです。投手守備と試合度胸のAの下は甘いです。接近した試合で一点でもリードされると、がたつくとくずれてしまう悪いクセがある。精神的にこれで負けると思っていますので打たれている。これなどまだまだ試合度胸のたりない証拠でしょう。去年より成績が上がったのはアウトシュートのコントロールがよくなったためです。去年までのはナチュラル・シュートで、意識して投げられるようになったのは今年から。指が弱いのでいろいろの種類の球は投げられない、投法はほとんど上手投げで、横から投げるのは右打者のインコースに食いこむ直球だけ、横からのカーブは打たれやすいので投げません。中沢さんはスリー・クォーターから投げるカーブで勝負しているといわれていますが、おそらく自分では上から投げているつもりが少し下の方へ落ちているのでしょうね。自分では意識していないのですが。いま体格もあまりないし、これ以上スピードが出ることも考えれないので、これからはチェンジ・オブ・ベースの研究ともっと思うところに投げられるようなコントロールを身につけるよう努力していきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉川喜久雄

2016-06-26 14:39:26 | 日記
1954年

松竹が予想外の不振でテール・エンドが確定したばかりか勝率二割五分を割っていることは、四年前に優勝した強豪ロビンスの後身だけにいたましいかぎりである。低調の原因はいろいろあるが大きく分けて三つ。その一は投手力の手薄、頼みにした高野、小林、江田、林がさっぱり勝てず、四人の勝星、しめて七つ(三日現在)その二は打力の弱体・・・チーム打率二割二分三厘(もちろん六位で五位の広島が二割五分とうけたはずれの貧攻)これでは権藤をもってしても十一勝しかかせげないわけである。その三は活気のないこと、もちろん闘志をわかしてぶつかっているには違いないが負けがこむせいか、どうも活気がたりない。打力と活気についてはここでふれるゆとりがないが、投手力の方は権藤、大石、杉川(5勝8敗)がぐんぐんのしているし、小林も復調してきたし、ヒジを痛めて新日本リーグにった萩原が防御率1・20で最優秀投手になり、やがて登録されるに違いないから前途は明るい。わけても杉川は残る今シーズン、さらにシーズン・オフの投手生活と鍛錬、そして明春のトレーニング・キャンプにおける練習法とオープン・ゲームの仕上げなどに適切な考案がなされるならば明年のホープたる素質を持っていると思う。杉川喜久雄は二十二歳、六尺一寸、二十貫、若さと体格に恵まれた男。尾道西高時代は一塁手(広島の太田垣、大映の薮本など同僚)二十六年卒業して三原車輌に入社、初めて投手に転向、大いに興味をおぼえ二十八年松竹入りしたのがその球歴。今年が投手としての経験も浅いし処理もうまくない。長身六尺一寸の大器であるから世間なみにいけば「晩成型」であるはずが、実はなかなか器用でピッチングにも相当細かく気をつかい、いろいろと工夫しているのが目につく。投法は主として上手投げ、時にスリークォーターをまぜている上手投げの外角速球をよく投げているがもうひと息の球速がほしい。ときどきそれる球になっているがこれはナチュラル・スライダーらしい。コントロールのいいスライダーを身につけたら勝星がふえると思う。いまのところ上手、或いはスリークォーターで投げる内角へのシュート、球速もいいし相当の威力があり、これがウィニング・ショットとなっている。カーブは大きく落ちるものが多くコントロールがいいのでストライクをとるときに使って効果をあげている。ときどき球をにぎりかえて投げているのがシンカー、数は少ないがナックルにも手をつけているらしい。あれこれ数えてみるとかなり多彩な投法であるが、そのいずれもが未完成で工夫が先行している形それだけに期待していい新鋭であるが、すすめたいことはスピードとコントロールをつけること、体格を活用すること、この二つである。

杉川投手の話

いまの目標はただひとつ、コントロールされ、しかものびのある速球を投げることです。このためにはほかのことを多少犠牲にしてもかまわないと思っています。中沢さんが指摘されたように、僕は細かいところまで気を配ってピッチングを研究してきました。しかしこれではいけないと最近気がつき、だれからいわれたのでもないのですが、速球をマスターすることにしたのです。僕の身体で力のピッチングを知らないのはおかしいはなしです。チェンジ・オブ・ペースも投手守備もたえず気にかけていますがそれも速球が思うところにびしびし投げられるようになってからです。コントロールもしばらくの間は速球のコントロールだけに力をいれたいと思います。そして今シーズン残り試合にちょっとぐらい打たれてもいいから速球でどんどん勝負していこうと思っています。ウイニング・ショットはたしかに内角へのシュートですが、これは走者の有無、カウントの状況などで落ちるものと浮き上がるものとを投げ分けています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒岩弘

2016-06-26 10:02:10 | 日記
1954年

今年出てくると見た一人が黒岩弘。それが二十六日現在で4勝4敗でちょっと足ぶみ状態になっているがその理由はウィニング・ショットの使い方がうまくない(2ストライクをとってから打たれている)打者とのかけひきにずるさがない、いってみればひとり相撲をとって損をしているかたちである。ブルペンで投げているといい球をもっている。コントロールは国鉄投手中二、三位の正確さをみせているのに、マウンドに立つと打ちこまれるのはどうしたことだろう?黒岩は長野市の近く織ものの町須坂の商業高校で鳴らした投手二十七年の春から国鉄の長野工場に入って投手。よく働いたのが認められて二十八年の五月東鉄に転出、都市対抗の予選で好投、今年スワローズ入りした新進投手。二十一歳で五尺六寸五分、小柄であるががっしりした身体で十九貫に近い。須坂商で三年、長野工場と東鉄で各一年、今年で投手歴六年目になるが大きな舞台に出たのが去年からでなんといっても試合の処理、打者とのかけひき、試合中のコンディション調整などに欠けている。球質はなかなか多彩で、速直球、シュート、カーブ、シンカー、それにスライダーなど、外角へつく速球はのびたり、沈んだりスライドしたりするが、最近スライダーの操作をおぼえこみ、この速直球を併用している。内角にきれこむシュートはホップするのと、くいこむのと、落ちるのと三種類になっているが、ホップする日は調子がいい。これにカーブをまぜているが小さくまがる球質で有効、ときどきシンカーを操作しているが、シュートとの区別がむずかしい。見ているとこのうちシュート、カーブ、シンカーなどがウイニング・ショットに使われている。黒岩の長所をあげると、性格が沈着であること、同じモーションでいろいろの球を投げることコントロールがいいことである高低はよく活かし、とくに低めの球を上手に使っているがストライクの幅が小さい(きれいなストライクが多い)からねらわれることが多い。そして威力のあるシュートなどで2ストライクをとってしまうから、どれがウイニング・ショットかわからなくなる。ここ一番という球をもっていなければならない。大友投手を見ならうのが連策とにかく打者が「まどうストライク」と「くさい球」を使いわけるのが黒岩を大成さす道であると思う。

黒岩投手の話

ぼくのピッチングはノンプロ時代と本質的には変わっていないのですが、プロで打たれるのは一言でいうならズルさがないからだと思います。たとえばコントロールにしてもストライクを取る自信はあってもプロではそのまま通用しない。いいかえるとクサい球とギリギリ球のストライクが投げわけられないことです。中沢さんのいわれるようにきれいなストライクは投げられますが、これでは打たれますズルさ、つまり「打者を惑わせる巧さ」を身につけなければだめだと思っています。2ストライクをとってよく打たれるのも結局このズルさがないからで、はっきりしたストライクを投げこんでは打たれたこと再三です。しかしこのズルさも小細工という意味ではなく、ちゃんとしたウイニング・ショットをもったうえでのかけひきと思います。たしかにぼくはスライダー、カーブ、シュート、速球、シンカーなど多くの球を投げますが、このうちシンカーかスライダーの切れ味をよくして極め球にしたいと思っています。そうすれば大きらいな左打者にももっと自信をもって向かえると思います。採点は投手守備とウイニング・ショットをいれかえてくれればあとはそのものズバリです。いま宇佐美コーチから体格、フォームのややにた大友投手をよく見習うようにいわれていますので、近い将来もっと点数をあげてみせます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海野尚武

2016-06-26 08:37:47 | 日記
1954年

今シーズンの東映は例年に似ずいささか前景気がよくどうやら五、六位に行くとかわれていたのは昨年度から今春にかけての補強工作が活発であるとみとめられたためだと思う。ちょっと数えてみても土井垣、伊藤、上野、宝山、今西、水上、英、毒島を始め全部で十五、六名が入っている。今年はやりそうだと多くの人が考えたのも当然であるのに六位を長い間新球団の高橋にとられつづけてという状態。そのためは補強の主眼を投手陣におかなかったためである。七日現在で二十二勝の米川をのぞき樽井、布施、宮沢が四勝、緒方、海野、寺川が三勝上野、加藤が各二勝という勝星分散状況。打力の低さもあるが、この投手成績では六位を確保するのもむずかしい。こうした状態からおして「ホープ海野」が八月初め盲腸をやられて欠場、休養したのはかなり大きな障害になったとみていい。四月十五日対西鉄戦に登板してから八月一日の対近鉄戦に出場する間、三勝(毎日に一勝、近鉄に二勝)七敗をあげこれからというときの盲腸、八月一日以後ひきつづいて休養、勝星一つも得ていないのは惜しいと思う。海野は静岡県の袋井高(旧袋井商業)出身、一、二年生のときは陸上競技部員で専門は投てきであったが、左腕強肩の腰のバネの強さなどから投手に引き立てられ三カ月間、マウンドに立ったのがその投手経歴。しかし投手として天ぷの素質をもっているのか、オール・ハワイ・ハイスクール・チームが来県したとき、静岡県選抜チームの投手に選出されて勝っている。そこを見こんで東映が迎えたに違いないが、どうやら見こみ通り将来性があると思うのは、在学中学業優秀であったという噂通りなかなか理解力がいいし、十九歳、五尺六寸、十八貫、全くがっちりした体格、とくに投てき競技で鍛えた腰が強いという条件からである。投法は上手投げ専門、多投する球は左投手特有のシュートで右打者の外角にきめる速球そして落ちるカーブで勝負をしているからカーブが武器のようでもあるが、効果的にはシュートがウイニング・ショットになっている。このほかに時々スライダーを使っているが数が少ないし、右打者のヒザにきれこむ速球(棒球でなくホップするか、それるとき)も少ない。五尺六寸という身長からみて上手投げだけでは不利。むしろスリー・クォーターで右打者には内角低目へ速球と外角へのシュートを混投とした方がいい。とにかく球歴からいっても経験をつむことが第一、スピードとコントロールをつけることが第二、投手守備と処理を身につけることが第三、研究、練習登板、この三段階で勉強、努力すれば東映投手陣の中堅選手になる素質十分である。

海野投手の話

僕の球歴は短く高校時代も二、三年のころは砲丸投げをやっていました。しかしもともと野球は非常に好きで小学校のころは野球だけ。高校の一年のときも野球部にいたのですから野球に対するセンスはすこしぐらいあったのだと思います。三年の六、七、八月に投げはじめたのが本格的な選手生活のはじまりですが、このときは夏の大会の県予選に投手がいないというので練習をはじめたのです。しかし県予選で一、二回戦をシャットアウトでかざり投手の自信らしいものができました。東映に入ってからいままでの横手投げを上手投げにかえたり、またシュート、スライダーを研究したり、やっとプロの投手としての初歩を勉強しています。だいたい速球、カーブで勝負していますが、シュートのきまるときは調子もよくそのときはむろんシュートを武器にしています。砲丸投げをやっていたためか腰が強いのであとは腰のスムーズな回転、軸足(左)の安定を覚えるつもりです。中沢さんのいわれるスリー・クォーターからの投法もまず基礎ができてからの話だと思います。試合度胸とスピードはどうにか人なみと思いますが、研究中の現在、ほかのものはとても採点ほどにはとどきません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野母得見

2016-06-26 07:59:02 | 日記
1954年

早春二、三月、キャンプまわりをしたとき、パ・リーグでは南海、西鉄、毎日に重点をおき各地二、三泊してとくに投手陣をよく見ることにしたが、呉で南海のトレーニングを見ている間一番いそがしく見えたのは「のも・とくみ」であった。インタビューとカメラの列、彼への関心と期待がいかに大きいかを示したものである。九州南海の漁港山川町に生まれ、近くの川辺高校で軟式野球の投手、全山川軟式チームの主戦投手であったのを鹿児島市営チームが硬式野球を始めるとき、加入させたのだから全国的には知られざる無名投手であったが、市営チームのおめいねどおり芽を出し門鉄チームを無安打、無得点で破ったり、諸方の強チームといい試合をする。とくに三振をとることが多いのと長打ぶりを発揮するので球通間に九州の野母あり・・とマークされるようになり一試合ごとに力がつき経験をつみ、ノンプロ球界の一流投手に近づいたとき、さっと南海が誘いの手をのばして、ものにしたのだから評判になったのである。しかるに開幕後さっぱり出てこない。調べてみると肩の故障だ。どうも「ああしろ、こうしろ」「フォームがよくない、もっと数多く投げろ」とやったんではないかと思う。大体プロ入りした新人はたださえ大いに「がんばろう、負けるものか」とはりきっているから、つい投げすぎたりムリをしがち、そこへ数多い助言や教訓を浴びて・・・疲れきるおそれがある。これは野母のことでなくそうしたつまらぬ傾向がプロ球界にあることを指摘したいために・・・野母の故障を書くついでに振り上げてみたのである。しかし肩がなおってみれば二十三歳、五尺七寸、十九貫余強肩左腕投手の好条件、モーションが大きいという欠点(これは徐々に是正される)はあるが、身体も柔軟(外観はがっちりしているのでかたいと見違える人もいるが)であるし、腰が強く、足が速いことからみてバネも強い。そのうえに試合度胸もいいから南海投手陣の有力メンバーである。十七日現在で五勝三敗、大詰戦のホープといっていいが、その投法は上手投げとスリー・クォーターをまぜ速球とするするどい落ちるカーブ(ドロップ)が武器になっている。左投手としてのシュートも相当なものであるが、注文をつければ、内角をつく球が少ない、これはコントロールに難があるのが原因、それにスライダーをおぼえることも必要だと思う。まだまだスピードがのると思うが、それには上体をそらすようなフォームを避けること、なんといっても「力投する場合のコントロール」を完全にすることが重要な課題、ウォーミング・アップが少なく登板できるのもいい習慣である。

野母投手の話 たしかにフォームを変えたり投げすぎたりして左ヒジを痛めましたがもうすっかりよくなりました。私は他人から「ああしろ、こうしろ」といわれてもさほど気にしない方ですが、柚木さんなど左投手からの忠告は自信に身近なものがあるのでできるだけとり入れるようにしています。入団以来思ったほどの成績があがらないのは初め上手投げだったフォームが自分で気がつかないうちにだんだん下がって横手投げに近くなってしまったからです。いま昔のフォームにかえろうと一生懸命です。中沢さんに注意されたように内角への球が少ないのはフォームがくずれてしまったので球そのものに威力がなく、内角へはこわくて投げれないのです。またコントロールに難があって打ちごろの球になってしまうことも多いからです。やはり私は一番自信のある上手からの速球で思いきり打者にぶつかる投法でいくようにしたいと思います。それにはもっと球速をつけることが第一でしょう。自分のピッチングがまだわからないのですから採点にはなんともいえませんが、投手守備がいちばん点が低いのは意外でした。また中沢さんのいうようにスライダーも考えてみましたが、左投手のスライダーはあまり有効ではないようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする