プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

池島和彦・上田次朗

2016-06-24 20:33:50 | 日記
1970年

即戦力ということで太田をはずしてまでドラフト一位に指名された上田と七位だった池島。しかし四か月過ぎたいま二人の立場は逆転しつつある。池島は初先発で五回を投げ切り、新人の初白星一番乗りだ。「初登板なのでちょっと一回は堅くなった。二回からなんとか落ちついたが、調子は最低だったんですよ。ツイていただけです」それでも失点はジョーンズの右犠飛で与えた一点だけ。奪三振0が示すように威力はなかったが、明大時代、星野仙(中日)より上と評価された実力をのぞかせた。「昨年暮れ痛めた肩がまだ完全でない。大学時代はストレートを真ん中に投げるだけで押えたこともある。しかしそのころの球威を取り戻していないのでコースをねらった。紅白試合で、プロでも低めに投げておけば通用することがわかっていたからね」その日の調子でピッチングを切り替えるところなどやはりただものではない。「ぼくも肩さえ痛めなかったらすんなり巨人(一昨年の暮れ巨人が指名)入りしていたんだ。いまは騒がれることもなく、自分のピッチングに専念出来るが、その点上田は期待が大きすぎてかわいそうだよ」二人はキャンプでは同室。一つ年上の池島は上田をかばう余裕も見せた。「上田は、野球をやり出してあんなでっかいホームランを打たれたのは初めて」一日の阪急戦(高知)に続いて二度目の登板(初先発)も飾れなかった。「調子は悪くなかった。阪急戦に比べ、ボールも走っていた」調子がよくて打たれただけによけい考え込む。「ジョーンズに打たれたのは内角いっぱいのストレート。切れてファウルになると思ったんだが」いいコースに決まっても球威がなければ打たれる・・。プロのきびしさをまた一つ知らされて「これも勉強です」といった。即戦力と期待され「背番号(16)ぐらいは勝ちたい」とその気になっていたが、いまは一からやり直す気持ちになっている。「まだ自分の力を出し切ってないと思うんです。村山監督からおそわったフォークボールをなんとかものにしてやってみます。打たれてばかりいると、そうそうチャンスも与えてもらえないだろうから、いついまの状態から切り抜けるかが課題です」チームが4連勝といいスタートを切っただけに、よけいにこの若い二人の一本立ちがポイントになるのだが・・・。
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片岡建

2016-06-24 19:49:04 | 日記
1970年

昨年のドラフト一位選手で、渡米中の荒川(大洋が指名)とともに、プロ入りしなかったリッカー・片岡建投手(23)=1㍍77、70㌔、右投右打、神奈川大出=は対住友金属戦に先発したが、三回までに六安打、3四死球、6失点とさんざんなできだった。大会前のオープン戦でも日本鋼管、本田技研にKOされていた。この日も「ねらったコースより高めばかり」(片岡)とコントロールが甘く、バックの2失策に足を引っぱられたとはいえ、ドラフト一位の看板が泣く投球内容だ。あとから投げた三人が四回以後を無失点に押えたのだから、昨年の暮れ、一度は東映入りが決まりかけた片岡を「あと一年、いやせめて都市対抗が終るまで・・」と引きとめたリッカーにとっては、全く皮肉な結果といえる。「プロ入り問題ときょう打たれたのは関係ない」「調子の出ない原因は投げ込み不足」「でも、ドラフト一位のいいところを見せようと思った」「都市対抗まではプロのことは考えないことにしている」試合後、伏し目がちに話す片岡。すっきりしない話しぶりはやはりプロ入り問題と、KOのショックが頭の中で複雑にからみあっているせいだろう。「大学時代に騒がれていたのならあきらめもするが、ウチで育てた選手を一年で引き抜かれたのでは、あとのチームづくりができない」というリッカー・西牟田野球部長。神奈川大は現監督の鈴木氏がリッカーに籍をおいたことがあり、現在も片岡のほか伊勢本外野手、熊谷サブ・マネジャー(片岡と同期)がいるという事情もある。ドラフト会議の翌十一月二十一日、プロ入りの意思を確かめた東映・瓜生スカウトだが、片岡の会社内の立場がわかっているだけに「無理なやり方は本人がかわいそうだからできない」と獲得の決め手がつかめなかった。そして一月十三日の十一回目の交渉で片岡は「すぐにプロ入りはしない」と瓜生スカウトに伝えた。その後、東映は大川オーナーとリッカー・平木社長の共通の友人、そごう百貨店水島社長を仲人役に立てて三者(東映、リッカー、本人)の意見調整をはかり、やっと二月下旬「都市対抗予選後東映入り」ということにこぎつけた。だが都市対抗予選で代表になれば、リッカー側も本大会までと欲を出さないだろうか。西牟田部長は「上層部の話し合いで決まったことだから、それ以上は望まない」と割り切っているものの、本人の方が「さあ、そうなったら困りますね」と困惑顔。この日のピッチングを見たスカウトの間では「もともと球威が足りない。住友金属の上位打線に力負けしていた」(巨人・前川スカウト)「カーブがいいだけだ」(ヤクルト・小山スカウト)と評判はよくなかったが、瓜生スカウトは「コントロールが悪く、きょうは問題外。それにしてもいいカーブを持ちながら、少しも生かされていない。やはりプロへきて鍛えられなければ損だ」とリッカー、本人へのけん制をちょっぴり。ネット裏で見ていた西牟田部長に「きょうのピッチングは見なかったことにしておきます」とあいさつしていた。
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中山孝一

2016-06-24 08:03:05 | 日記
1970年

「太田、太田と騒いでいるが、ウチにも秘密兵器がいるんやで」と野村監督がいっていたのがこの中山だ。速球にカーブ、ナックルをうまくミックスし、七回投げて二安打、五三振、無四球とその内容は安定したものだった。七回の打者に島野が代打に出たから、広瀬の満塁ホーマーなどを含む味方の大量点の援護は見ずじまいだった。「先発は二日前にいわれた。昨夜は気になって寝られなかったですよ」と気の弱いことをいっている。「神経質なんです。でもマウンドへあがったらそうでもないんですよ」とニヤリと笑った。こんなおとなしいことをいう反面「この試合で初めてスローカーブを投げた」という大胆さをもっている。ノンプロ(サッポロビール)で三年間もまれた経験はちゃんと生きているようだ。「前の巨人戦(十五日・大阪)よりずっとよかったでしょう。だんだん慣れてきました。立ち上がりボールが多かったですって?いつもですよ。ぼくの悪いクセです。完投のときは百四十球以上投げてしまいます」確かに1-3、2-3と苦しむケースが多かった。だからこれからの目標は「コントロールをよくすることだ」といった。ドラフト第五位の入団は、はなやかなフットライトを浴びて入団した第一位指名の佐藤のかげに隠れてしまっていた。キャンプでもずっとファーム組にまじって練習していたものだ。キャンプも中場ごろ、フリー・バッティングで「すごく速い球を投げる男」としてやっと野村監督の目にとまったのがきっかけだ。監督自らミットを持って中山の球を受けるシーンがしばしばあった。ルーキーの球を受けることが珍しい監督なのに・・・。「なんとかして一人前に育てたい。荒れ球だが、速いのが魅力」と力を入れていたのが、ようやく日の目を見ようとしている。中山は四十一年のドラフト会議で阪神に指名されたことがある。しかし指名後、一か月すぎて阪神から「ピッチングを見たい」といってきたそうだ。「おれの投球を見ずに指名していたのか」と中山はいかり、阪神への入団を断ったエピソードがある。「ピッチングに一本シンのある選手」(古谷コーチ)という評もこんなところから出てくる。野村監督は「これで中山の一本立ちの見通しがついた。これからどしどし投げさせていく」という。「きょういい投球をしなければ、つぎの東京遠征に連れていってもらえないと思って、必死でした。これで東京にいけるでしょうかね」ルーキーは最後まで東京遠征にけるかどうか気がかりでならないようすだった。
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川藤竜之輔

2016-06-24 07:16:03 | 日記
1970年

千田との交換トレードで巨人から指名されたとき「夢かと思った」そうだ。「ようやくプロになれたぼくが、こうして長島さんや王さんと同じユニホームを着られるなんて、思いもしなかった。感激でした」八日の対西鉄戦で勝利投手になったときは、うれし涙さえ浮かべていた。プロずれしたり、ユニホームになれっこになったりするのが多い中で、プロ五年生のこの感受性は貴重かもしれない。北陸の農家の長男。女きょうだいが多いため、男らしく強くなれと、竜之輔という勇ましい名前をもらったが、おとなしくすなおな性格。リリーフ、ワン・ポイント、先発とテストされ、七イニング三分の二を無失点の成績。中尾コーチは「先発でいける」と合格点を出した。小坂の前途に赤信号がつき、左投手不足という事態が予想されただけに、川藤の好投に首脳陣を喜ばせた。「堀内、高橋一、渡辺、松原についで、あと二人の安定した投手がほしい。倉田、山内、川藤、菅原の中から出てくれたらなえ。左投手というだけじゃなく、先発要員としても川藤に注目している」といっていた試合前の中尾コーチ。好投に大きくうなずいていた。腕の振りが横から上になったことと、コントロールがよくなったことが「巨人の川藤」になってからの変化だ。この日もカウントを追い込んで、得意の落ちるシュートで阪急打線をかわした。「コントロールがついてのは体重がへって動きやすくなったためだと思う」ロッテ時代はいつも85㌔近い体重で腹を突き出して投げていたが、いまは76㌔を越えない。「はじめて先発させてもらったが、どこまで投げられるかと夢中で投げた。自分じゃいいピッチングができたと思う」と言葉もはずんだ。よく打たれ、通用しなかった阪急をおさえ、グンと自信もついたようだ。「どんな場面にも出られるような投手になりたい。ぼくのように打たせてとるタイプには巨人の堅い守りはほんとうにありがたい。巨人にいれてもらってよかった」ふだんはあまりしゃべらない口がよく動いた。「若い人はゲームでの好投、好打がすぐ自信に結びついて、もてる力を発揮するようになる」という川上監督。川藤の好投に高橋一とならぶ左腕と期待もふくらんでいるだろう。だがまだ注文もある。スタミナをあげるのは中尾コーチ。「四回から目に見えてスピードが落ちたので交代させた。チャンスをつかもうとはじめから全力で投げるのでバテるのはわかるが、一応実績を作ったのだから、こんどは余裕をもって投げてほしい」阪急の西本監督は「あのスピードでは公式戦ではムリだろう」という。そんな声に川藤は「ただ一生懸命投げるだけ。そうすればいい結果につながる」と笑う。まわりの不安や批評を笑って聞き流せるだけの自信をこの試合でつかんだようだ。
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