プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

麻田勝也

2016-06-29 23:59:19 | 日記
1952年

セ・リーグ阪神タイガースではこのほど麻田勝也選手(27)と契約した。同選手は平安中学出身、右ききで大阪の大福製作所の投手として軟式野球に活躍していた、五尺七寸五分、十九貫、背番号27
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カスパラヴィッチ

2016-06-29 22:10:11 | 日記
1953年

カスパラヴィッチは予想以上の速球の持ち主である。その速球を打者をおそれずグングン投げ込んでゆく気力、これは普通の投手ではなかなか出来ないことである。しかもこの速球に配するに角度の鋭いドロップ、それもインコースのヒザ頭に落ちるものと、横手で投げるカーヴとシンカーを持ち、さらに威力のあるシュートを配合している。これらの球がいずれも荒けずりでまだまだ伸びる余地を残しているのでよけい頼もしい。もっと良いことは六尺の長身を持ちながらストライドが非常に狭いことで、これは日本の投手たちが学んで良いことだと思う。というのはストライドが狭いとウエイトが球によく乗りカーヴも一般と鋭さを増すからである。リストの使い方も合理的でこの調子でゆけばまだまだ球速を増すことだろう。ただ一抹の不安は上手に逃げるうまさに欠けていることで、全力投球だけでは狙われる危険がなきにしもあらずだ。後半大映打者に打たれて来たのもその現れである。こうした点を今後改めてゆけば一流投手となることだろう。近鉄は有望な投手を手に入れたものだ。
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姫野好治

2016-06-29 21:41:32 | 日記
1953年

大分工業で二年、別府星野組で一年半、明電舎で一年余、そして廿四年に大映入りして投手生活十年目の今シーズン監督推薦でオールスター・ゲームに選ばれた。「田舎者なので・・」とボソッと語るような派手なところが少しもないのでおよそ素人受けしない。しかし玄人筋には同じ大映の林投手とともにその巧味を高く評価されている。「セの強打連の一人一人に、あの人にはこの球で、あの人にはこのコースでと考えこんだら神経衰弱になってしまいます。思いきって勝負をするだけです。左打者が苦手なので阪神の金田さんあたりがイヤですね」これがオールスター・ゲームに選ばれた感想。彼はコーチャーに恵まれなかった。大分工業時代に一日だけ当時台湾総督府勤務の渡辺大睦氏(明大OB)にピッチングを見て貰ったことがあるが一日ではなにがなんだかサッパリ。星野組で荒巻投手(毎日)と一緒だったが彼とはタイプも違うのであまり勉強にもならず、わずかにそのころ浜崎氏(阪急監督)から十日間ほどと、明電舎に移ってから雨宮氏(早大OB)にときどきコーチされたぐらいのもの。だから野球が判りかけて来たのは「ほんのここ二、三年」ですという。努力と自分の研究だけで投げて来たのである。その彼が大映ですばらしい幸運に恵まれた。パ・リーグ随一の巧味をもっといわれている林投手にコーチされるようになったのである。彼と全く同じタイプの林に手をとって仕込まれるようになってからグングン腕があがってきた。とくに昨シーズンは彼としてプロ入り以来最高の十三勝をあげ、今年も33イニング無失点の記録を残している。今シーズンは三月廿四日に阪急に勝ち四月九日、十五日と阪急、毎日に勝ち滑り出しがいいので十五勝を突破できるかと思われたが、このところちょっと足ぶみして一日現在六勝六敗(プロ入り以来の通算42勝43敗)しかし六勝のうちシャットアウト・ゲーム四(東急2、阪急1、毎日1)を数えている。「フィールディングが下手で、投球モーションが大きいから南海のように足が早く細かい攻撃をしてくるチームはどうも苦手。今シーズンの目標は十五勝を稼ぐこと。早く林さんのように巧くなりたい」と抱負を語る。林投手は「九州の生れだが夏はそれほど強くない。夏になると自分でダメだときめてかかる気の弱さがある。世間では彼をシュート投手だといっているが試合中はカーブを多く投げる。武器は落ちるカーブ。この球が外角低目にきまるとちょっと打たれない。浮くカーブ、流れるカーブを投げておいて、ポッと落とすのがいい。悪いクセとして一試合のうち一回ぐらいきっと崩れる。今はほとんど横手投げ。この横からのシュートもいいがこれが死球などになるとトタンにガックリしてしまう。もっと図太くなるとのびますよ」という。荒巻投手の父君の紹介で静香夫人と結婚したのが昨年暮。秋ごろには父親となるそうだ廿九歳。
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松尾勝彦

2016-06-29 20:56:29 | 日記
1962年

阪神はこのほど松尾勝彦投手(19)=1㍍79、74㌔、右投右打、神戸商ー駒大一年中退=の入団をきめた。松尾は駒大一年に在学中だったが、プロ入りを強く希望。一週間前からテストを受けていた。スピードボールが得意、十六日からファームの練習に参加する。
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井上慎一

2016-06-29 20:35:20 | 日記
1953年

廿六年の都市対抗に大阪代表となった南海土建で松本(現南海二軍コーチ)とバッテリーを組んでいた大阪府予選決勝に5-3で日本生命を破り、本大会優勝戦には2-3と鐘紡に負けはしたが特異な下手投で注目を集めた。それまでは横手から投げていたが野球生活の振り出しは捕手である。福岡県田川高校時代強肩を買われてマスクをつけたが、たまたまある試合に投手が故障で出られず代わりに投げさせられた。球速も豊かでノビもあるというのでこれがきっかけで投手に転向。持前のナチュラル・シュート(強肩の選手にみられる意識せぬシュート)に磨きをかけ、横手からクセのあるシュートを武器に卒業後三井田川ー高倉鉱業と二年間ノンプロを歩いた。そして廿六年当時南海の二軍的存在だった南海土建に入った「下手投に変えたのはこのときです。練習を見にきていた柚木さん、筒井さんがちょっと投げてみた下手投の球をみていて下手投の方がいいから練習してみろといわれ、それから本格的に下手からの練習をしました」上下、左右に多彩な変化を見せる低目の球がウィニング・ショット。はじめてプレートに立った昨年は3勝2敗、19試合中完投1、救援10、先発1で勝率・600、防御率2・618。この成績について「まだフォームがぎこちなかったので制球も悪く、それに打たれるとムキになってしまうので完投がほとんどできなかった」と説明する。五尺八寸、十九貫近い立派な体格だが、いたっておとなしく、スマートな南海タイプ。生一本の真面目さがムキ出しだが、その生一本がピッチングに現れて今まで足ぶみしていたようだ。大神投手が「昨年七月ごろに四日市でやった近鉄戦に6点とられてから井上さんはあまり打たれていません」と先輩を語っているように昨年後半から次第に腕をあげて今シーズンのキャンプも人一倍熱心に走り、投げたという。この伸びかけてきた彼のピッチングに進境の拍車をかけたのはエース柚木の故障、それにつぐ中堅投手の不調である。これは彼個人にとっては天来の好機ともいえた打たれてもすぐ代えさせられない。また少しぐらいの不調は承知のうえで登板させられる。結局これが内に芽ばえかけた自信をぐんぐん育てあげた。7勝の大神にならび7勝2敗(10日現在)の好成績は天与のチャンスをしっかりとつかむまで試練に耐え抜いてきた力と汗の結晶であろう。三月廿五日近鉄一回戦に完投勝利投手となってから阪急、投球にそれぞれ一敗を記録しただけ、三回の完投に平均二・三点の失点は「打たれればムキになる」という欠点を一応克服したものとしてその努力は高く買われていい。「コントロールには自信がついてきたが威力のある球をもっと研究したい」という。柚木投手も「いい素質をもっているが、うま味が乏しい。若いからこれからまだまだ叩かれるがそれに耐えていけたら全盛時代の武末と肩をならべる投手になる」と未完の大器を誉めている。もっと叩かれてみることだ。廿二歳。
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ペン光吉・銭村兄弟

2016-06-29 20:02:29 | 日記
1952年

広島カープが昨年末以来入団交渉をつづけていた米カルフォルニアフレズノ郡の銭村兄弟、ペン・光吉の二世三選手がいよいよ同球団に正式入団することになった。十二日広島カープが河口代表にとどいた連絡によると、三選手は十五日深夜空路ロスァンゼレスを出発、十八日東京空港に到着廿日広島で行われる広島対巨人戦から出場する。三選手の略歴は次の通り。

ペン・光吉(24) 投手、左投、左打、原籍、加州サンフォード・ハイスクール卒、卒業後フレスノ球団の投手として活躍、五尺八寸、廿貫、速球が得意、スラッガー。

ハゥワード・銭村(26) 内野手兼投手、右投、左打、原籍広島市、フレスノ大卒、在学中大学リーグの首位打者、盗塁王となる。往年のハワイ朝日軍の名選手銭村健一郎の次男、五尺四寸五分、十六貫三百、捕手をのぞき万能選手。

ハーウェイ・銭村(24)外野手、右投、右打、ハゥワード・銭村の実弟州立フレスノ大を六月卒業、大学リーグでは打率三割六分五厘で首位打者、盗塁王も獲得している。五尺六寸、十八貫、駿足、好打、強肩の外野手で、米プロ球団からも引っ張られていた。
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佐藤敬次

2016-06-29 19:31:38 | 日記
1968年

大宮工・佐藤敬次投手(18)=1㍍75、70㌔、右投右打、第七位指名=の東京入団も濃厚になった。白川スカウトが四日、永田オーナーと親交のある福永健司代議士を埼玉県大宮市吉敷町の自宅にたずね、不在だったが協力を要請。そのあと、大宮工・山崎監督にあいさつ、午後三時から大宮市東大成の佐藤選手宅で父親・敬さん(54)母親・貞子さん(42)と本人をまじえて初交渉した。両親は「本人にまかせる」といい、本人も「プロでやってみたい」といっているところから、条件面さえ折り合えば、入団となる。同投手は選抜の優勝投手吉沢のカゲにかくれていたが、本格派として早くから注目されていた。
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