1973年
阪急は二十六日、三輪田勝利投手(28)を任意引退選手に、また三宅昇外野手(27)城間盛雅投手(21)を自由契約選手にしたと発表した。任意引退選手となった三輪田は中京商ー早大ー大昭和とエリートコースをたどり、甲子園、神宮、後楽園ではつねにエースとして活躍した。45年ドラフト1位で阪急入りしてからは伸び悩み、四年間のほとんどが二軍暮らしだった。今季も下手投げに変えてみたが成果はなく、三輪田自身も今季限りでユニホームを脱ぐ決意を固めていたため、話し合いはスムーズに運んだ。公式戦四年間の通算成績は4勝0敗。
阪急は二十六日、三輪田勝利投手(28)を任意引退選手に、また三宅昇外野手(27)城間盛雅投手(21)を自由契約選手にしたと発表した。任意引退選手となった三輪田は中京商ー早大ー大昭和とエリートコースをたどり、甲子園、神宮、後楽園ではつねにエースとして活躍した。45年ドラフト1位で阪急入りしてからは伸び悩み、四年間のほとんどが二軍暮らしだった。今季も下手投げに変えてみたが成果はなく、三輪田自身も今季限りでユニホームを脱ぐ決意を固めていたため、話し合いはスムーズに運んだ。公式戦四年間の通算成績は4勝0敗。