1968年
南海の富永営業部次長は、二十日午後、ドラフト会議で五位で指名交渉権をえた御所工・松村彰士内野手(18)を獲得のため、大和高田市北片塩町7-3の実家をたずね、父弘邦氏(47=医薬品販売業)と会い入団を要請した。南海が松村と交渉をもつのは二度目。富永次長は「内野陣が弱い」という球団事情を話し、入団を説得したが、弘邦氏は「むすこは大学に進学したいという、私もそれに賛成している」と答え、またものわかれに終わった。
南海の富永営業部次長は、二十日午後、ドラフト会議で五位で指名交渉権をえた御所工・松村彰士内野手(18)を獲得のため、大和高田市北片塩町7-3の実家をたずね、父弘邦氏(47=医薬品販売業)と会い入団を要請した。南海が松村と交渉をもつのは二度目。富永次長は「内野陣が弱い」という球団事情を話し、入団を説得したが、弘邦氏は「むすこは大学に進学したいという、私もそれに賛成している」と答え、またものわかれに終わった。