プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松村彰士

2018-03-17 16:42:52 | 日記
1968年

南海の富永営業部次長は、二十日午後、ドラフト会議で五位で指名交渉権をえた御所工・松村彰士内野手(18)を獲得のため、大和高田市北片塩町7-3の実家をたずね、父弘邦氏(47=医薬品販売業)と会い入団を要請した。南海が松村と交渉をもつのは二度目。富永次長は「内野陣が弱い」という球団事情を話し、入団を説得したが、弘邦氏は「むすこは大学に進学したいという、私もそれに賛成している」と答え、またものわかれに終わった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青木政美

2018-03-17 16:20:17 | 日記
1970年

西鉄ライオンズがドラフト六位に指名した出水商高の青木政美投手(18)=1㍍76、70㌔、右投げ、右打ち=の同球団入りが二十三日内定した。同球団の城島渉外課長は二十三日、午後四時過ぎから、鹿児島県阿久根市折口の青木投手宅で、両親の正夫氏(50)フクエさん(43)をまじえ、同投手と入団の交渉をした。ドラフト会議直後の今月中旬、第一回目の交渉に続いて二度目。こんごは具体的な条件を提示した。約二時間の話し合いのあと、引き続き午後六時過ぎから、脇本町の城島氏の宿舎で再び話を煮詰めた。その結果、同投手が西鉄入りの意向を明らかにした。青木投手は、先にノンプロ三菱造船への就職が内定しており、同社への入団を白紙に戻したあと、正式に西鉄と契約する。契約書にサインするのは、後日福岡市での入団発表当日になる予定。同投手は速球を主とする本格派で、西鉄は将来性のある好素材として期待している。

城島西鉄ライオンズ渉外課長の話 二度にわたって話し合った末西鉄に来てくれることになった。シンのある選手で、きっと戦力になると信じている。

青木投手の話 野球をやる以上、プロで力を試してみたいと思っていました。九州の西鉄ライオンズならやりがいがあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加藤英治・矢嶋勝彦・伊能正司

2018-03-17 15:51:53 | 日記
1966年

近鉄は二十六日午後三時大阪の球団事務所でつぎの新入団三選手を発表した。

加藤英治投手(18)1㍍82、75㌔、右投げ右打ち、昭和23年4月24日生まれ、背番号15、PL学園高。
矢嶋勝彦内野手(23)1㍍73、68㌔、右投げ右打ち、昭和18年9月12日生まれ、背番号34、法政一高ーノンプロ日産自動車。
伊能正司内野手(22)1㍍74、68㌔、右投げ右打ち、昭和19年3月21日生まれ、背番号35、宇和島東高ー竜谷大。

加藤投手は近鉄が第一次ドラフト会議の第一位交渉権をつかんだ本格派投手。四十年甲子園の選抜大会に出場、当時からプロのスカウトに注目されていた。ことし42勝9敗。打率3割2分。

矢嶋内野手はノンプロ球界の隠れた逸材といわれ、ことし秋の産別大会で本塁打を打っている。法政一高時代には三十五年春、三十六年夏の甲子園大会に出場、軽快なプレーが売り物。ベース一周13秒8の俊足の持ち主。

伊能内野手は三十九年春から竜大のレギュラーになり、堅実な守備を高く買われている。竜大の主将。

加藤投手の話 一年先輩の鈴木さんを見習い、早く追いつきたい。速球が武器だがドロップを覚えたい。

矢嶋内野手の話 ノンプロ球界に五年いて通算2割8分ぐらいの打率だが、ことし59試合で30盗塁し、本塁打も9本打っている。全力を出しきって働きたい。

伊能内野手の話 外角打ちが好きだ。インサイドベースボールに打ちこみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多田勉

2018-03-17 15:37:14 | 日記
1967年

広島東洋カープは二十一日多田勉内野手(24)=1㍍75、70㌔、右投げ右打ち=と正式契約した。多田選手は徳島商の二年のとき夏の甲子園大会に出場、二塁手として注目され明大、河合楽器を経て広島入りした。二十日午後広島市基町の球団事務所を訪れた同選手は野崎スカウトに付き添われ久森重役(事務局長)にあいさつのあと契約をすませた。カープのユニホームを着た同選手はやや上気の表情で「早くレギュラーになるようがんばります」と力強く語った。

多田選手の話 「パンチをつけるよう努力します。プロの練習は相当きついと聞いていますがスタミナには自信があります。古葉さんといういい目標があるので古葉さんをめざしてやります」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺博敏

2018-03-17 15:30:46 | 日記
1970年

西鉄ライオンズに不敵な新人投手がお目見えした。西鉄球団は二十三日、福岡市天神二丁目の球団事務所でテスト入団の渡辺博敏投手(22)=日大文理学部四年、181㌢、77㌔、右投げ右打ち=と正式契約をすませた。渡辺は大きなモーションから重い速球をくり出す本格派で、十一月末テストを受けていたが「先輩の佐藤さん(南海)には負けたくない」と大見えを切ってみせるたのもしさ。「思わぬ貴重な戦力になってくれそうです」と青木社長も目を細めていた。渡辺投手はことしの東都リーグ芝工大戦で2試合に登板、5イニングを無失点で押えているが、昨年までは佐藤(南海)が在学していたせいもあって、登板の機会に恵まれなかった。ドラフト会議で指名されなかったのもそのせいで、テストのおりピッチングを見た稲尾監督が「フォームの欠陥を直せば十分に使える」とほれ込んだ実力の持ち主。三塁手から投手に転向したのが佐賀県伊万里高三年のときで、速球と大小二種のカーブが主武器。「スピードはある方だと思います。コントロールにも自信があります」といい切った。プロ野球については「動きは速いと思いましたが、なんとかやれるでしょう。一日も早く一軍入りしたいですね。小さいころからの西鉄ファンだし、あこがれのチームで投げられるのは本望です」と感想をひとくさり。自信のほどを問われて「佐藤さんには失礼だけど、在学中は練習量が少なかったし、スピードもぼくと同じくらい。あの人が新人王になれるのなら・・・」といってのけた。サイズ27(十一文半)のクツをはく大型新人である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中祥浩・長鋪光洋

2018-03-17 15:09:32 | 日記
1970年

大洋は二十八日、さる十一月二十八日に川崎球場で行なったテストの合格者、田中祥浩投手(18)=埼玉・豊岡高・1㍍75、65㌔、右投げ右打ち=と、長鋪光洋(ながしき・みつひろ)内野手(18)=岡山・笠岡商、1㍍87、80㌔、右投げ右打ち=の二選手の正式入団を発表した。これで大洋のテスト入団は、先に発表した倉橋投手、根本捕手を加え四選手となった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥谷元

2018-03-17 15:05:03 | 日記
1966年

一年生の鳥谷が四イニングを2安打の無得点に押えた。鳥谷の武器は、切れの鋭いシュート。初回に一枝、三回には江藤と一軍の主力打者にたたかれたが、ややコースが甘かった。球威もあり、コントロールもいいだけに、経験さえ積めばこれからが楽しみの投手だ。打者では、佐々木の好打が光っていた。もともとしぶとい打撃を持っているが、出場機会に恵まれなかった。小柄ではあるが、ジャスト・ミートのコツをしっかり身につけている。初回のホームランは松本のカーブをうまくタメて打った。場数をふめばどんどんうまくなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田英司

2018-03-17 09:59:57 | 日記
1966年

東京オリオンズは二十日、吉田英司捕手(29)を任意引退選手にしたと発表した。吉田はシーズン終了と同時に「家業に専念したい」と武田和義球団社長に引退届けを提出していたが、球団側が阪急に譲渡する方針であったため、話し合いがつかなかった。だが、阪急が根来(サンケイ)を獲得し、東京に吉田をことわり、球団側も吉田の希望を入れ任意引退となったもの。

吉田英司捕手の話 「もう野球はあきた。これからは家業に専念したい」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大下正忠

2018-03-17 09:39:41 | 日記
1968年

巨人はドラフト会議七位で指名した別府鶴見丘・大下正忠遊撃手(18)=1㍍72、70㌔、右投右打=の獲得に成功した。熊本工・松本投手と交渉を終えた巨人・内堀スカウトは、二十二日福岡県築城郡吉冨町喜連島の大下宅に母親よし子さんを訪れあいさつ、二十五日条件を提示して内諾をえた。同選手は俊足が売り物の遊撃手。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜井憲

2018-03-17 09:27:24 | 日記
1966年

東映・荒井健スカウトは、五日午後五時前、東京・文京区の「後楽園飯店」で、同球団が一位で交渉権を獲得した桜井憲投手(日大一高)と会い、「東映が交渉権を獲得した」と伝えた。桜井自身プロ野球でプレーしたい希望を持っており、東映にも魅力を感じている。また、家族、関係者もこの決定に全員喜んでいるので、桜井の東映入りは事実上内定した。荒井スカウトは午後五時すぎ、東京・京橋の球団事務所の田沢八十彦代表に電話で経過を報告した。また桜井は同夜、下宿先の横浜市戸塚区中田町910、平田恭三さん(38)方から電話で茨城県猿島郡堺町宮本町1730の実家にいる父親利司さん(50)、母親一枝さん(52)に報告した。なお、桜井は六日、日大一高の高橋理監督に退部届けを提出する。

桜井憲投手の話「プロ野球でやりたかった。水原監督を尊敬しているし、在京球団なので喜んでいる。好きなプロ野球の選手は巨人の金田さん。長い間、いい成績を通すのは大変なことだ。ぼくのピッチングはストレートとカーブ、シュートだけ。ストレートにはチョッピリ自信を持っている」

東映・荒井健スカウトの話「後楽園飯店で桜井クンと会い、ウチが交渉権を得たことを伝えた。試合や練習でプレーをみていたが、本人と会ったのは、はじめてだ。プロにいく気持ちがあるが、茨城県の両親や先生、それに野球部の高橋監督に相談してきめたいといっていた」

東映・田沢代表の話「荒井スカウトから連絡があり、桜井クンと会って東映に交渉権があることを伝え了承を得たそうだ。本人もよろこんでいるし入団有望だ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牧重見

2018-03-17 09:16:20 | 日記
1970年

ヤクルトの片岡スカウトは十四日午後五時、ドラフト五位のサッポロビール・牧重見投手(20)を宮崎市丸山町139の実家に訪れ、本人と父親・末雄氏(56)、母親・ミネさん(53)に指名のあいさつをすませた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

得津高宏

2018-03-17 09:06:35 | 日記
1966年

東京オリオンズの青木一三スカウトは、さきの新人選択会議で交渉権をえた得津高宏外野手(19)=1㍍74、72㌔、左投げ、左打ち、(倉敷レイヨン岡山をこの八月に退社)の獲得のため二十日午後、和歌山市新在家の同外野手の自宅をたずね、父親乾爾(かんじ)さん(51)=農業=と話し合った。席上、同スカウトには球団の条件を伝えたが、乾爾さんが即答をさけたため結論はでなかった。しかし得津外野手は倉レ岡山をさきに退社、プロ野球で働きたい意向をもっているので東京入団は確実とみられる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成田昇

2018-03-17 08:52:54 | 日記
1970年

ヤクルトがドラフト会議で十一番目に指名した元西濃運輸・成田昇投手(21)=1㍍81、75㌔、右投げ右打ち、愛知工大中退=ヤクルト入りが三十日、決まった。ヤクルト、小山スカウト部長が前日午後、愛知県一宮市の成田投手宅をたずね、父親・福萬さん(62)と会いヤクルト入りの内諾を得たもの。成田投手は、一宮高時代から右腕本格派投手として高く買われていた。愛知工大に進学、一年生の春季リーグ戦から登板、二年間で18勝をあげた。速球とシュートの切れ味がよく、愛知大学リーグの雄・中京大も成田のシュートにはさんざん苦しめられたこともある。家庭の事情で二年で中退、ノンプロ西濃運輸に入社したが、今夏の都市対抗終了後に退社した。ヤクルトは、小山スカウト部長が早くから成田の素質に目をつけており、西濃運輸を退社したことを知ってドラフト会議で指名、交渉権をとり、小山スカウト部長が中心になって交渉していた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寺田吉孝

2018-03-17 08:46:27 | 日記
1970年

近鉄の中島正明スカウトは三十日、ドラフト第六位指名の福岡・筑紫工業高校・寺田吉孝捕手(17)=1㍍75、70㌔、右投げ右打ち=と、福岡市駅前4-15、同選手自宅で、両親と同校菊池監督立ち会いで契約した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢部祐一

2018-03-17 08:38:32 | 日記
1968年

巨人の前川スカウト担当、沢田スカウトは、ドラフト会議で巨人が三番目に指名した全常盤炭鉱・矢部祐一三塁手(22)獲得のため、十五日会社側に交渉権獲得のあいさつをするとともに、本人、父親百尾氏(52)=雑貨店経営=と会って初交渉をした。矢部をはじめ周囲が巨人に好意をもっているところから、巨人入りは時間の問題とみられる。前川スカウト担当と沢田スカウトは午前十一時、まず福島県いわき市常盤湯本町の常盤炭鉱磐城営業所に全常盤炭鉱・出沢監督らをたずね、獲得交渉開始のあいさつ。矢部選手もまじえた約一時間の話し合いで巨人側は、力のある若手内野手を求めているチーム事情を説明、出沢総監督も「ウチにもっといてもらいたい選手だが、本人の将来のことも考えれば、巨人に指名されたことしが一番いい機会だと思う」とプロ入りに賛成する考えた方をのべた。このあと前川スカウト担当、沢田スカウトは、会社にあいさつするだけというはじめの予定を変更、矢部選手を伴って、実家のある福島県田村郡小野町へ直行。午後二時すぎから町内のかっぽう若嶋屋で父親百恵氏と初交渉を行なった。「交渉権獲得のあいさつと、チームの内情説明がほとんど」(沢田スカウト)で、条件面まではいかなかったが、本人が子供のころから長島選手にあこがれており、百恵氏も巨人ファンであることから、約一時間半の話し合いはスムーズに運んだようだ。来週から沢田スカウトが条件面の話し合いのほか、会社関係者などの了解をとる本格的な交渉を行なう。

前川スカウト担当「交渉をはじめるあいさつをした。本人も周囲も巨人に好意をもってくれているようだ」

父親百尾氏「プロ入りについては会社側と本人の意思を尊重する方針だが、巨人に指名されて光栄に思っている」

矢部選手「いろいろな球団から会社を通してプロ入りの打診を受けていたが、一番好きな巨人に指名されたのは非常にうれしい。出沢総監督や、会社でお世話になった方々と相談してきめたい」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする