
毎年 みやびな雛に誘われた。 美術館で最高のおひな様に出会う。
時代を見つめてきた人形の呟きも聞こえるようだった。 近衛家の雛道具は銀細工。 茶道具も思い出す。
余所のおひな様で遊んでくる。 陶製、 木目込み、 紙雛、 芥子雛など多彩である。 装束の模様の色目、下襲。 指貫、 束帯。 笏シャクは象牙だろうか。 精緻な冠、 その瓔珞も揺れて。
-☆-
子をなくした両親の嘆きはいかばかりであったか。 兄は2歳だった。
その後、 なにも知らない私たちは、 長男の立派な節句飾りで遊んでいた。 幟や毛槍など振り回し、 馬にまたがり調度をおもちゃにして走り回った。
いつしか端午の節句は消え、 お雛様など最初からなかったのである。
雛の軸 睫毛向けあひ 妻子睡ネムる 草田男
軸の雛は立雛であろうか。 雛は仕合わせな親子に よく似合う。
-☆-
母の里に若宮様が祀ってある。 寛政8年1月27日(旧暦) 事件は起こった。 仔細を伝え跡取りが守ってきた。 巻きぞえになった小児(女子)のことも不憫である。
訳ありて
米を煎って砂糖をまぶす、 大豆を入れて、 祖母がつくる雛あられ。 その記憶はあるが 従姉妹たちにも雛かざりはなかった。
手にうけて雪よりかるし雛あられ 万太郎
市松や抱き人形くらいはあったかも知れない。
桃の日の思い出… わずかである。 そして哀しい。