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香道を知らないが、 気分転換にときどきたのしむ。 いま手許にあるのは源氏物語第七帖の紅葉賀。 青海波の形をしている。 本来は五種類の香木を焚いて香りをきく。 源氏の物語を縦に五本の線で書いて (最初と終わりの二帖を除く五二帖)香元が出した香と合うのを当てるらしい。
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源氏一八歳、 紅葉の美しい神無月に朱雀院で御賀が催された。 身重の藤壺の宮を慰めようとの桐壺帝のはからいで催された試楽に、 源氏は頭中将と青海波を舞う。 その美しさ、みごとさはこの世のものとも思われなかった。行幸当日の、紅葉に映える源氏の舞は、また一段とすばらしかった…
物思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うちふりし心知りきや
唐人の袖ふることは遠けれど立居につけてあはれとは見き
源氏物語 紅葉賀
藤壺の宮と光源氏の胸中はいかばかり、 苦しさと楽しさと… 胸にせまる。
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うれしいお便りをいただいた時、お返しの封筒に一つ忍ばせる。 お相手が喜ぶ顔を想像した。 てがみの移り香が心にのこる。 その手紙のことを、いつまでもわすれない。 何となくうれしい。 青海波は、あと二つになった。 紅葉のきせつ静かなへやで雅な沈香をきく。 絵巻の復元模写もある。 ものがたりの奥ふかく、繊細な色や技をたしかめたい。
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万葉集の教室に和服の方もちらほら見える。 去年のこと、予備机のうえに丁寧にたたまれたコートが載っていた。 何気なく眺めると裏地に源氏香之図が散らされているではないか。 はっとして熱くなった。 見えないところに遊び心、 粋なおしゃれと感動した。 奇しくも、 その日のうたは 家持の
春の苑紅にほふ桃の下照る道に出で立つ娘女 だった。
ここの「にほふ」は視覚的に、色が美しく映えること。 つや(ひかり)がある美しさ と習う。 平安時代には臭覚に関する意味もあわせ持つようになる。 「にほふ」 と 「かをる」 の違いを楽しく学び、 家でゲーテの詩 「野なかの薔薇」 も読んだ。 ♪童は見たり 野なかの薔薇 … 紅におう、野なかの薔薇♪ と。
講義はコートの裏地が気になって、 よそ見ばかりしていた。 「ここにも かをり があります」 と発言しそうになるのを押さえて、のどがカラカラだったことを思い出す。