想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

融けて流れてみなおなじ♪

2009-01-04 08:33:02 | Weblog
  富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町(ぽんとちょう)に降る雪も

  融けて流れりゃみなおなじ~♪♪♪♪

  って子どもの頃に歌ってました、意味もわからずに毎日がソラミミアワー。
  (ポントチョってナンだろうってずっと思ってた)

  正月三日間、雪はどかんと降らず朝晩にちらちらするだけなので、ほぼ融けて
  週末にまたどかんときそうなので、それを期待しつつ、さてと雪景色の写真を探すと。

  写真は去年のどかん雪、正月4日に撮ったもので、つまり1年前。
  右端に黒く、その頃の愛車が‥‥ この写真を撮った三週間後に事故で潰して
  しまって、その数ヶ月後には、ガソリン高騰、また高騰でアメ車でなくて
  よかったよかった、なあたふたを思い出させる写真なのですね(まったく極私的な話)

  形あるものは壊れる、そういう言葉を教えてくれたのはねずみ師ですが、
  口では言っても物に対する執着は、なかなか捨て難いもの。
  昨日の話じゃないけれど、足ることを知らないと、茶碗一個欠いても慌てます。
  ブランド物など持った日には着倒すことなどできなくて、タンスの肥やしに
  なる貧乏性のわたくしめが、いかにして、形あるものは‥‥みな消え失せるぜぃ、
  なぞと口の端に上せるようになったものか。
  自分でもよくわからなくなっていますが、もしかして、悔いるのが面倒くさい?

  逆の発想であるね、悟りなどという高尚なものとはちと違う。
  執着から離れようとすると、離れる努力がいる。
  その努力と、ハナから執着なぞしないのと、プラスマイナスで考えると
  要らない努力をけっこうしていると思うんである。
  執着するから煩わされるという考えです。

  長生きできるかどうかもわからないのに、数十年先のことを思い描いたり
  夢想して、たいていの人が夢見小僧と五十歩百歩。
  夢を見ないうさこも、一寸先は闇、と思っています。つまりわからない。
  わからないということをわかっている。
  わからんことを思うと、へたすると妄想になる。
  妄想は楽しければいいが、クラーイ妄想などしたくもない。

  欠けた茶碗のかけらをじっと見て、そうか、おまえさんはそうなるか‥
  と嘆息し、驚き、拾い上げるだけであります。
  高価なカップや花瓶、アンティーク鏡、いろいろ壊し、壊したかけらで
  人を傷つけたり‥(かけらが飛んだのね)いろいろ悔いを重ねた日々がありました。
  悔いるのは、とても消耗します。

  消耗戦に費やすカロリーを考えまして、プラスマイナスで、持たずの方を選び
  すでに持っているものも、無いのと同じ。無くて在るの位置づけです。
  有るものを数えると不幸の数も増える気がします。
  まるでババアの発想のようでなくもないが、ま、いいか‥。

  無いなりの工夫、それが人をしあわせに導くのであると
  そう教えられた気がします。

コメント
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