信じてください。
信じています。
そんな言葉を交わしたことが、一度ならずあったと思う。
あったと思うなどと、他人事のような言い草をしているが、
このところ、言わないからである。
不信のとき、だからなのではない。
むしろ、逆かもしれない。
信じることで生きていられるのだと思うから。
しかし、信じるという言葉は不思議な、ビミョウな、落とし穴のある言葉だ。
信じると口にしたとたんに、ガラガラと音をたてて崩れる気がする。
口の端に上せてはならず、腹の奥底に秘めて大事に守るべき言葉ではないか、
そしてそれは誰のためでもなく、己のために。
信じる、まことするのは、誰か?
己がか、それとも対象がか?
前者ならば秘めておくこと、後者にならばなおさらに控えるべきである。
「あなたを信じている」はすなわち「あなたは真実、間違いがないと思う」と
言うことである。良いことだと思って口にされるのだが‥‥
言えば泡のように消える。
信、それは心そのものであり、また行いそのものであり、
その究極のありようをさした言葉だからではないだろうか。
約束をしない恋人を、むしろ誠実なのかもしれないと思いなおした日、
そのときから少しずつ愛に近づけるように、
形にしないこと、ならないことのなかに、ほんとうがある。
それを見、感じる心眼。
虚しさを知ると、口数が減り、その分、愛は深まる。