想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

介護保険と老後の平穏

2009-01-20 10:29:51 | Weblog
       ーー親分も今年は11歳、老境へさしかかったなあーー


  もしもし、という母の声はひさかたぶりに明るかった。
  介護保険の要支援の認定を受けられないかもしれないのと電話
  してきたのが少し前のことで、その日はひどく沈んで暗かった。  

  およそ90度近く前傾し曲がった背骨で自立できないのでよりかかって立つ。。
  それがどれほど難儀なものか、身の回りのことさえおぼつかないものなのか、
  ひどい腰痛を体験でもしなければ、ただ見ているだけではわかるまい。

  ケア・マネージャーが言うには、施設に入るという方法もあるので
  考えておくようにとのこと。
  施設の意味を母はよくわかっていなかったが、一週間に一度訪問して
  くれていたヘルパーさんが来なくなり、自分も今の場所に居られなく
  なるという話に、しょうがないね、と言う。
  言葉とはうらはらに、不安がにじんでいる。

  知人のSさんやOさんは母より十歳以上若いが、一週間に二度ヘルパーが
  来てくれるそうだ。
  Sさんは都内の瀟酒な住まいに一人だが、裕福な暮らし、Oさんも一人暮らし、
  まあまあの暮らしで財産もあるらしく将来を案じていない。
  月に何度か観劇やら買物や食事に孫や子どもと出かけることもできるので
  ときに誘ったり誘われたりして楽しんでいる「いきいき世代」である。
  母は市営住宅に住み、老齢年金から健康保険料と介護保険料を天引き
  された残りとわずかな仕送りで暮らしている。
  双方の介護認定の内容を比べて思う。
  東京と地方とで格差があるのだろうか、
  それにしてもどういう認定のしかたをすればそうなるのか。
  本当に必要な人のところへ、行政は目を向けているのか、否ではないか。

  不安なのに不安と言わないで、こう言われたよとだけ話す母に、
  だいじょうぶですなんて言っちゃだめだよ、遠慮ばかりしてたら
  だめなのよとわたしは普段より強く言った。

  田舎で暮らしていた人が年老いて住み慣れない、それも東京なんかへ
  移り住むのは酷なことである。
  毎日、お茶のみにくる友達がいて、歩きなれた近所十数メートルかそこらを
  行き来して運動するというだけの楽しみさえ奪われ、テレビだけが相手の
  日々になってしまう。

  数年前、いつ歩けなくなるかわからないから今のうちにと思い立って
  東京へ連れてきたことがあった。
  伊勢丹新宿へ行き、階上の寿司屋で昼食をとった。エスカレーターは危ないので
  エレベーターを使った。
  表参道の花屋の前で写真を撮り、ブティックの前のベンチで休憩した。
  青山通りから一本入った場所に、当時の東京での住まいがあって、
  そこへ向かうために大通りを歩いた。
  歩きながら母を見ると、緊張でこわばっていた。
  わたしに気づいて笑い顔を作るのだが、どう見てもそれは疲れきっていて
  介助用の手押し車を使って歩いていた母は足早にすれ違う通行人に押されて、
  ときどき立ち止まり動けなかった。

  故郷に着いた日、母はしきりに楽しかったよと言ったが、帰路の空港での
  航空会社の対応やその前の鉄道会社の車いすの人への配慮のなさに萎縮していた。
  抗議する老人もいれば、母のように小さく縮こまって消え入りそうになる人も
  いる。
  作り笑い、すまないという気持ち、母は自分に対する他者のおもいやりの
  なさに怒るのではなく自分をふがいないと思い、周囲への遠慮でつぶれそうに
  なっていた。
  同行していたわたしはもちろん黙っていなかったが、それを止めるのであった。

  連れ出すのをやめようと、そのとき以来思ってきた。
  ある意味、迷惑な思い出づくりであったなと反省した。
  母は今もときおりそのときのことを語り、写真を見、またいつかと言うには
  言うが本気でないことくらいわからなくない。
  今回、施設という話が出て、それならばこちらへ来ればよいのだから施設には
  入れないよ、何言ってるのよと叱ったのだが、電話を切った後、母の不安は
  わたしへ感染していた。

  そして今日、これまでと同じようにヘルパーさんが来る、半年間、半年たったら
  また見直し、と話す声は明るく大きくはっきりとしていた。
  その場所で暮らせることが母の余生にはもっとも大切なことなのだった。
  母の生活レベルはとても低いのだけれど、贅沢を知らない人なので
  苦にはならない。とりたてて望みも持たない。とうに諦めているから。
  不安がなければよい、それだけのこと。
  市営住宅の居室にて読書して過ごす時間が人生の充実なのである。

  母は若い頃から苦労しつづけで、五十歳で寡婦になった。
  老齢の今が一番おだやかな時間。
  そういう人から平穏を、人としての誇りをとりあげる制度、
  新しい介護認定の基準が施行されている。
  福祉が貧しいなどと批判する気力も萎える、圧倒的に悲しいことだ。

  感謝も誠実さもなく法案を作るのは、誰か。
  その人々には、老いた父母はいないのか。
  誰にも老いの時は訪れる。自分には蓄えも財産もあるという甘い考えの奴らは
  人生の幸不幸はそこにないことを、いずれ知るときがくる。

  人の生涯というのは、その意味で平等であると、わたしは思っている。
  現実の不安の前にまだ立っていられるのは、かろうじて、そのことを
  覚っているからである。
 
  
  
  
  
    
  
  
  
コメント
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