奈良の法隆寺に行き、運良く夢殿の聖観音を拝観できれば
願いが叶うと聞き、ではそれはいつかと尋ねたくなるか?
その前に、なぜそれで願いが叶うのか?
そう訝しくは思わないか?
わたしは夢殿で願ったりはしないが、その場に立ち、
遠い飛鳥の御世を思うことはあった。
そして、この一度ならず燃え落ちた八角堂を再建した人々の
思いが、夢殿にて夢を見たという聖徳太子への篤信によるもの
なのか、はたまた仏教隆盛を願う僧侶のたくらみかと考えたり
したのだった。
そんなことを思うのは法隆寺は重要文化財という国宝であり、
昨今流行の世界遺産登録の名所、つまり観光地であり、信仰の
場ではないという理由による。
それはその場にたち、歩いてみればわかることである。
信仰の場かどうかは、そこを訪れた人々の行動に現れる。
手を合わせる人は数少なく、足早に歩き回り写真をとる、禁止の札
などおかまいなしにフラッシュをたく。落書きこそ見当たらないが、
法隆寺がそもそもが斑鳩宮跡であることを知るならば、滅びた王族の
怨み遺恨、嘆きを感じ取ったりしないものなのか。
奈良は古代の史跡だらけであるが、跡地という地面ばかりで
建物を再興した場所は少ない。そこで感じることができるのは
吹く風ばかりであるので、風に聴く、それしかない。
夢殿の話に戻ろう。
太子が観た夢とは、無論神託である。
わたしたち凡人が見る夢と、神託の夢と、夢には二種類あるのだ。
推古天皇に仕えた太子が観た夢は、ヤマトの行く末、行くべき道で
あった。
太子亡きあと、山背大兄皇子は謀殺され、その後の日本史のどこを
みても太子の遺した道をなぞった跡は見当たらない。
つまり、斑鳩宮が燃え落ちたとき、太子の夢殿は燃え、
夢殿にて語られた神託も消えた。
あれから1370年ほどが過ぎ、夢、つまり禅定に入りて
神のことばを聞こうという人がいないわけではないことを
わたしは知っているが、凡人である己とてその真似ができぬわけ
でもない。
夢を見るには、見る理由があればよい。
神に願うには、願う理由がなければ願えぬ。
沐浴斎戒し、夢殿に籠るように、自室に入りて人気を絶ち
神が訪れるように自我を消してしまうだけである。
七世紀にしてすでに人々はこれらのことを忘れ去って
夢といえば我欲のことと思ってきたのであるから、
太子以前のヤマトの人々、あるいは古代のアイヌの人々の魂が
神の庭に行き来したことなど、よもや知ろうとも思わず、
ニセ占い師のえじきになったりするのである。
忘れようとも人には等しく魂がある。
わたしは真似をして、夢をみることにした。
愚かな頭で考えるより、よいはずで、
理由もあるからである。
わたしにとって、我欲ではない願い。
太子の言葉をいかにつたえるか、という願い。
太子自身はそれを夢に聞き、記し、旧事として遺った。
願いが叶うと聞き、ではそれはいつかと尋ねたくなるか?
その前に、なぜそれで願いが叶うのか?
そう訝しくは思わないか?
わたしは夢殿で願ったりはしないが、その場に立ち、
遠い飛鳥の御世を思うことはあった。
そして、この一度ならず燃え落ちた八角堂を再建した人々の
思いが、夢殿にて夢を見たという聖徳太子への篤信によるもの
なのか、はたまた仏教隆盛を願う僧侶のたくらみかと考えたり
したのだった。
そんなことを思うのは法隆寺は重要文化財という国宝であり、
昨今流行の世界遺産登録の名所、つまり観光地であり、信仰の
場ではないという理由による。
それはその場にたち、歩いてみればわかることである。
信仰の場かどうかは、そこを訪れた人々の行動に現れる。
手を合わせる人は数少なく、足早に歩き回り写真をとる、禁止の札
などおかまいなしにフラッシュをたく。落書きこそ見当たらないが、
法隆寺がそもそもが斑鳩宮跡であることを知るならば、滅びた王族の
怨み遺恨、嘆きを感じ取ったりしないものなのか。
奈良は古代の史跡だらけであるが、跡地という地面ばかりで
建物を再興した場所は少ない。そこで感じることができるのは
吹く風ばかりであるので、風に聴く、それしかない。
夢殿の話に戻ろう。
太子が観た夢とは、無論神託である。
わたしたち凡人が見る夢と、神託の夢と、夢には二種類あるのだ。
推古天皇に仕えた太子が観た夢は、ヤマトの行く末、行くべき道で
あった。
太子亡きあと、山背大兄皇子は謀殺され、その後の日本史のどこを
みても太子の遺した道をなぞった跡は見当たらない。
つまり、斑鳩宮が燃え落ちたとき、太子の夢殿は燃え、
夢殿にて語られた神託も消えた。
あれから1370年ほどが過ぎ、夢、つまり禅定に入りて
神のことばを聞こうという人がいないわけではないことを
わたしは知っているが、凡人である己とてその真似ができぬわけ
でもない。
夢を見るには、見る理由があればよい。
神に願うには、願う理由がなければ願えぬ。
沐浴斎戒し、夢殿に籠るように、自室に入りて人気を絶ち
神が訪れるように自我を消してしまうだけである。
七世紀にしてすでに人々はこれらのことを忘れ去って
夢といえば我欲のことと思ってきたのであるから、
太子以前のヤマトの人々、あるいは古代のアイヌの人々の魂が
神の庭に行き来したことなど、よもや知ろうとも思わず、
ニセ占い師のえじきになったりするのである。
忘れようとも人には等しく魂がある。
わたしは真似をして、夢をみることにした。
愚かな頭で考えるより、よいはずで、
理由もあるからである。
わたしにとって、我欲ではない願い。
太子の言葉をいかにつたえるか、という願い。
太子自身はそれを夢に聞き、記し、旧事として遺った。