森林浴もいいけど、森の暮らしは働くのがいい。っていうよりほんとは
働かざるをえないのである。
ガンガン身体を動かしてもう限界というくらいキツーイってのをがまん
しつづけているとアドレナリンが放出され身体も軽くなる。
アドレナリンは〈fight or flight〉 ホルモンと呼ばれる神経伝達物質、
身体が極限状態にあると作用する。つまり、もうキツイ限界だとなると、
いやもう少しほらもう少しこれならどうだと激励する「闘争あるいは逃走」
ホルモンであるそうな。たとえヘロヘロになってても、感じなくなる。
逆に気持ちよくなって仕事はさらにはかどるのである。
(もちろん筋肉痛は覚悟のことで)
8日は国会で漂着ゴミの対策予算が無事通過した。珍しくいい方向である。
詳細の法整備はこれからだというので骨抜きにならなければいいが、これ
までNPOや海岸のある自治体だけが自腹を切ってただでさえ苦しい地方財政
を圧迫していたのだから遅すぎるくらいである。
美しい海岸を取り戻そうというだけでなく、対岸の国と環境問題を連携する
ことの必要を迫られているのだ。最も苦手な外交と環境問題がクロスする
のである。予算枠をとって金だけの話で終わらせないでもらいたいと思う。
珍しい話題だなあと思われるむきもあるかもしれない。珍しい理由は‥ね、
先日テレビで「ワンステップ」という番組を見たばかりなのであーる。
若者が過疎地の農家で草刈りを手伝ったり、日本海のひなびた海岸集落へでかけ
海から押し寄せたゴミ(漂着ゴミ)に埋め尽くされた海岸を清掃するなど重労働
をして奉仕するという企画のようだ。
番組案内をネットで見てみたら、ボランティア(社会奉仕)番組だとあって、
知らなんだ、でも知ってなおさら率直な感想だけを、思うところを書くと‥
草刈りとゴミ拾いの時、二度しか観ていないのだが若者の中には必ずギブアップ
する参加者がいる。
「こんなはずじゃなかった、ヤバい」とか「ぶっちゃけキツい」とか言う。
茶パツであるね、ほぼ。女子はアイメイクが濃いね。男子は痩せてるか肥満度高し。
そして、クラーイ眼をしてブツブツ、彼方の方をみつめたり座り込んだりして
エスケープの理由を探している。
そこへカメラがズームして化粧の剥がれかかった顔など映すんである。
その一方には襲いくる雑草、あるいは信じられない量のゴミと格闘する若者が
いる。懸命に慣れない労働をする青年達はなぜかみな不器用である。
あまりにも単純でそういう構図を作っているのではないか、という気さえしてくる。
キツいにきまってるじゃないっすか、と誰も言わないのはどうしてでしょうか。
でも、やるしかないよな、とか言いますが。でもっていうのは変です。
あたりまえじゃないか、と言うべきところなのよ~。
そう思いながら視聴し続けて、最後までどうにか視ようと努めた。
お約束なのか、地元の老人から地味でけれども懐かしい食卓に招かれる場面があり、
感動!とか言うのである。一同、おいしーって言うのである。
ほんとかよ、と思う。働いて腹が減っているだけじゃないか?
たぶん、想像ですがふだんはファーストフード?がもっぱらで美味しいのだろうさね。
手づくりだもんね、無添加だものね、ばあちゃんは年季入ってるもんね、
でもあたりまえなのさ、特別じゃないのさ。
つまりあたりまえというのは0地点ですから、マイナスから0へ至るのがいかに難しい
かを身を以て体験する企画なのである。このレベルで社会奉仕とは笑っちゃう。
あたいだけでなく全国の70歳以上の人が見たら笑うか、ありゃなにしとるのけ?と言う
だろうな。ああ、テレビか、と納得するかもしれない。
でもテレビだからこそ、必ず年寄りは若者に礼を言います、ありがとう、ありがとう、
逆なんですわ、教えてくださってありがとうございますと若者が言え!なのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/76/36e24bf7cca3c6db81130de0abb9e3f3.jpg)
(走りすぎたぜ、限界だぜ、でもいい気持ちなんだぜ~、歳とったぜ)
純粋なのかただのアホか無知か、はなはだ疑問ではあるけれど、しかしながら、
かつてそういう年頃を経てきた、おまけに人一倍間抜けなうさこにしてみれば、
笑って応援したい気もします。ほんとうです、うふふ、です。
歳を重ねてきたということは、そういうことでもあると思うからです。
くじけて逃げても若い時は許される。
なぜなら逃げたことからさえも学べるから。
うまくいかないことがあることを知り難しいのだと知る。自分の限界を知る。
だから次へとつながるわけで、それがワンステップ、若さの特権なのですね。
そこで、ワンステップから次へジャンプするかどうかカメラで追いかけたらどうなる?
カメラに追われれば、収録が終わってあとはまたダラダラ機械まかせの生活は楽チン、
楽こそ人生という暮らしに戻れないでしょう、かっこつけたいでしょうから、若者は。
歳をとって何がいけないかって図々しくなることです。
かっこつけるのを忘れてしまって、そのくせ見栄だけは張る。ラクして何が悪い?
みたいな図々しいオバハン、オッサンは修正不可能なので、若者を応援するのである。
またまた珍しいことを言い出したなあと思われるかもしれないけれど、そうです、
珍しい理由は‥‥。
混雑した電車のシートのほんのわずかな隙間にでかいお尻をつっこんでくるオバハン
を非難するギャルの言い分を他人事のように聞いていたのですが、こないだお尻割込み
オバハンが本当に目の前に現れて、お尻からくるってほんとです、びっくりした。
座ってる側からすれば、そう見えます。
隣は細いきゃしゃな女性で、わたしとの隙間が10センチほどあったのですが、
そこへ太ったお尻が突入してきて、ゴリゴリと押されてしまいました。
身体が異様にくっつくので暑苦しく気持ち悪いからすぐに立ち上がったのですが。
アンタの負け、とオバハンは思ったでしょうか?
ありがと、もうけた、と思ったでしょうか?
そのオバハンの顔をでそっとうかがうと、エスケープ若者と同じクラーイ目をして
いたのが意外でした。
別な意味で限界なのでしょう、生きることにおいて。
でもこの限界にはアドレナリンは放出されませんから、いい気持ちにはなれない。
自分のやりたいまま、したいまま、楽がいいということなんだろうけど、なのに
ダークサイドみたいな顔してるんじゃ、それが本当にいいの?と突っ込みたくなる。
脳みそも肉体も使わないと錆びつくのだから。
(我が母は中年壮年期にエラい苦労したが、老年の今、とてもとても静かで平和。
でも時々エキサイトして孫を叱ったりハッパかけたりしてくれちゃって。
サンキュー、マミー)
働かざるをえないのである。
ガンガン身体を動かしてもう限界というくらいキツーイってのをがまん
しつづけているとアドレナリンが放出され身体も軽くなる。
アドレナリンは〈fight or flight〉 ホルモンと呼ばれる神経伝達物質、
身体が極限状態にあると作用する。つまり、もうキツイ限界だとなると、
いやもう少しほらもう少しこれならどうだと激励する「闘争あるいは逃走」
ホルモンであるそうな。たとえヘロヘロになってても、感じなくなる。
逆に気持ちよくなって仕事はさらにはかどるのである。
(もちろん筋肉痛は覚悟のことで)
8日は国会で漂着ゴミの対策予算が無事通過した。珍しくいい方向である。
詳細の法整備はこれからだというので骨抜きにならなければいいが、これ
までNPOや海岸のある自治体だけが自腹を切ってただでさえ苦しい地方財政
を圧迫していたのだから遅すぎるくらいである。
美しい海岸を取り戻そうというだけでなく、対岸の国と環境問題を連携する
ことの必要を迫られているのだ。最も苦手な外交と環境問題がクロスする
のである。予算枠をとって金だけの話で終わらせないでもらいたいと思う。
珍しい話題だなあと思われるむきもあるかもしれない。珍しい理由は‥ね、
先日テレビで「ワンステップ」という番組を見たばかりなのであーる。
若者が過疎地の農家で草刈りを手伝ったり、日本海のひなびた海岸集落へでかけ
海から押し寄せたゴミ(漂着ゴミ)に埋め尽くされた海岸を清掃するなど重労働
をして奉仕するという企画のようだ。
番組案内をネットで見てみたら、ボランティア(社会奉仕)番組だとあって、
知らなんだ、でも知ってなおさら率直な感想だけを、思うところを書くと‥
草刈りとゴミ拾いの時、二度しか観ていないのだが若者の中には必ずギブアップ
する参加者がいる。
「こんなはずじゃなかった、ヤバい」とか「ぶっちゃけキツい」とか言う。
茶パツであるね、ほぼ。女子はアイメイクが濃いね。男子は痩せてるか肥満度高し。
そして、クラーイ眼をしてブツブツ、彼方の方をみつめたり座り込んだりして
エスケープの理由を探している。
そこへカメラがズームして化粧の剥がれかかった顔など映すんである。
その一方には襲いくる雑草、あるいは信じられない量のゴミと格闘する若者が
いる。懸命に慣れない労働をする青年達はなぜかみな不器用である。
あまりにも単純でそういう構図を作っているのではないか、という気さえしてくる。
キツいにきまってるじゃないっすか、と誰も言わないのはどうしてでしょうか。
でも、やるしかないよな、とか言いますが。でもっていうのは変です。
あたりまえじゃないか、と言うべきところなのよ~。
そう思いながら視聴し続けて、最後までどうにか視ようと努めた。
お約束なのか、地元の老人から地味でけれども懐かしい食卓に招かれる場面があり、
感動!とか言うのである。一同、おいしーって言うのである。
ほんとかよ、と思う。働いて腹が減っているだけじゃないか?
たぶん、想像ですがふだんはファーストフード?がもっぱらで美味しいのだろうさね。
手づくりだもんね、無添加だものね、ばあちゃんは年季入ってるもんね、
でもあたりまえなのさ、特別じゃないのさ。
つまりあたりまえというのは0地点ですから、マイナスから0へ至るのがいかに難しい
かを身を以て体験する企画なのである。このレベルで社会奉仕とは笑っちゃう。
あたいだけでなく全国の70歳以上の人が見たら笑うか、ありゃなにしとるのけ?と言う
だろうな。ああ、テレビか、と納得するかもしれない。
でもテレビだからこそ、必ず年寄りは若者に礼を言います、ありがとう、ありがとう、
逆なんですわ、教えてくださってありがとうございますと若者が言え!なのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/76/36e24bf7cca3c6db81130de0abb9e3f3.jpg)
(走りすぎたぜ、限界だぜ、でもいい気持ちなんだぜ~、歳とったぜ)
純粋なのかただのアホか無知か、はなはだ疑問ではあるけれど、しかしながら、
かつてそういう年頃を経てきた、おまけに人一倍間抜けなうさこにしてみれば、
笑って応援したい気もします。ほんとうです、うふふ、です。
歳を重ねてきたということは、そういうことでもあると思うからです。
くじけて逃げても若い時は許される。
なぜなら逃げたことからさえも学べるから。
うまくいかないことがあることを知り難しいのだと知る。自分の限界を知る。
だから次へとつながるわけで、それがワンステップ、若さの特権なのですね。
そこで、ワンステップから次へジャンプするかどうかカメラで追いかけたらどうなる?
カメラに追われれば、収録が終わってあとはまたダラダラ機械まかせの生活は楽チン、
楽こそ人生という暮らしに戻れないでしょう、かっこつけたいでしょうから、若者は。
歳をとって何がいけないかって図々しくなることです。
かっこつけるのを忘れてしまって、そのくせ見栄だけは張る。ラクして何が悪い?
みたいな図々しいオバハン、オッサンは修正不可能なので、若者を応援するのである。
またまた珍しいことを言い出したなあと思われるかもしれないけれど、そうです、
珍しい理由は‥‥。
混雑した電車のシートのほんのわずかな隙間にでかいお尻をつっこんでくるオバハン
を非難するギャルの言い分を他人事のように聞いていたのですが、こないだお尻割込み
オバハンが本当に目の前に現れて、お尻からくるってほんとです、びっくりした。
座ってる側からすれば、そう見えます。
隣は細いきゃしゃな女性で、わたしとの隙間が10センチほどあったのですが、
そこへ太ったお尻が突入してきて、ゴリゴリと押されてしまいました。
身体が異様にくっつくので暑苦しく気持ち悪いからすぐに立ち上がったのですが。
アンタの負け、とオバハンは思ったでしょうか?
ありがと、もうけた、と思ったでしょうか?
そのオバハンの顔をでそっとうかがうと、エスケープ若者と同じクラーイ目をして
いたのが意外でした。
別な意味で限界なのでしょう、生きることにおいて。
でもこの限界にはアドレナリンは放出されませんから、いい気持ちにはなれない。
自分のやりたいまま、したいまま、楽がいいということなんだろうけど、なのに
ダークサイドみたいな顔してるんじゃ、それが本当にいいの?と突っ込みたくなる。
脳みそも肉体も使わないと錆びつくのだから。
(我が母は中年壮年期にエラい苦労したが、老年の今、とてもとても静かで平和。
でも時々エキサイトして孫を叱ったりハッパかけたりしてくれちゃって。
サンキュー、マミー)