オレの話を聞け~♪、だったっけ、そんな歌詞がたしかあったなあと思いつつ
昨夜の長電話を反芻して考えていた。
誰だか思い出した。声の主はクレイジーケンバンド、タイトルは何だったっけ。
俺の話を聞けーという箇所だけ都合よく覚えているのは、そんな場面は普段から
わりに多いから、よく言った!(歌っただけど)と思って笑えたからである。
長距離電話の主はがん患者である。知人以上友人未満の知り合いである。
友人と言わない理由は嘘くさい気もするし、相手もそれをいやがるだろう
から、だから知り合いでじゅうぶんなのだ。
乳がん、次は胃がん、そしてまだがん細胞は活動しつづけているのであり
爆弾を身体に抱えて暮らしている。どうしているかと思う日がこのところあって
電話は最初ドキッとしたが、いい話であった。
抗がん剤で癌めは小さく後退しているという。その説明を一気にしゃべり続けるので
どこで言葉をはさんでいいのかわからない。
相づち打つとまたしゃべり出すので、冒頭の「人の話を聞け~」と歌ったのである。
彼女は純真な人である。バカな人である。そしてかわいい人である。
わたしは彼女がまだとても若かった頃から見知っている。
知った風ないいわけをしないで己の馬鹿さの結末を、突っ走った時の素直さのまま
受け入れる彼女を黙って見て来たのだが、そろそろ「人の話を聞け~」と言うべき
ときがきたように思ったからである。
しかし、言うまでもなかった。
彼女はよくわかっていて、しゃべり続けていたのはわたしがどう思っているかが
わからなかったかららしい。
ご自愛くださいって言うだろ? 自分をかわいがれってことよ、少しはね。
自分のことを一番先に勘定に入れて生きなよとくどくどと言った。
そんなことを言ってあげたい人はたまにしかいない。
みんな誰もかれも自分を一番に考えてあたりまえになってしまっているからだ。
少しは遠慮しなよと言いたいが言わないという方が多いのだ。
自分を大事にしてくれ、そして長く生きてくれ、そしてわたしを喜ばせてくれ、
あんたの旦那を安心させてくれ、あんたの犬を守ってあげてくれ、そうくどくどと
言うと、彼女はそうか、そうだね、と言った。
いつ死んでもいいという気持ちは後悔の裏返しで、居直りとは少し違う彼女の深い
悔いの思いが死を近づけてしまう気がしたので、死神と闘うには悔いではない別な
自分との対峙のしかたを考えてもらいたかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/67/76d1cb57c9bc52f6692e0c474a50a0f5.jpg)
「トマトがたくさんあってね、ゴーヤも豆も茄子もそれからピーマンもレタスも
みんなわたしが作った、それを食べてるから大丈夫、犬もトマトが大好きやし」
彼女は家庭菜園を二年前から始めたことを話しはじめた。
来年はじゃがいもを植えたいけど、根を掘るのに力が要るから無理かもねと言う。
胃が半分になってしまって食べられる物が少なくなったけど、野菜はだいじょうぶだし、
野菜食べてれば肉食べんでもええやろ、と言う。
それから、どうやったら美味しい野菜料理になるかとか菜食で脂質も取るにはどう
したらいいかとか免疫力を高めるのにはタマネギを食べんといかんとか、トマトは
煮たほうがいいとか皮を湯むきしたら消化しやすいとか、長話は続いたのである。
食べることは自愛の一歩である。
感謝して、喜んで、食べる。
安心して食べられるものを、大事な人とわけあって食べる。
その単純で平凡な生活を、彼女は長い時間をかけて病と引き換えに手に入れた。
夫君は「癌は自分の子どもだと思うたらええ、うちは子どもがおらんから、子どもやと
思うて一生つきおうていこう」と彼女に言ったそうだ。
そう言われてみても申し訳ないという気持ちが強い病人にしてみれば、居心地が定まらず
長い闘病は辛いことだろうと思った。
しみじみとエラいことをやってるなあ、がんばってるなあと泣けてきた。
毎晩一日の反省をしとるよ、と彼女は言った。そうしないと、明日新しい日が来ないもん、
そうやろ? と言った。
そうだね、今日の癌は今日殺せ、だわよ。と答えた。
昨夜の長電話を反芻して考えていた。
誰だか思い出した。声の主はクレイジーケンバンド、タイトルは何だったっけ。
俺の話を聞けーという箇所だけ都合よく覚えているのは、そんな場面は普段から
わりに多いから、よく言った!(歌っただけど)と思って笑えたからである。
長距離電話の主はがん患者である。知人以上友人未満の知り合いである。
友人と言わない理由は嘘くさい気もするし、相手もそれをいやがるだろう
から、だから知り合いでじゅうぶんなのだ。
乳がん、次は胃がん、そしてまだがん細胞は活動しつづけているのであり
爆弾を身体に抱えて暮らしている。どうしているかと思う日がこのところあって
電話は最初ドキッとしたが、いい話であった。
抗がん剤で癌めは小さく後退しているという。その説明を一気にしゃべり続けるので
どこで言葉をはさんでいいのかわからない。
相づち打つとまたしゃべり出すので、冒頭の「人の話を聞け~」と歌ったのである。
彼女は純真な人である。バカな人である。そしてかわいい人である。
わたしは彼女がまだとても若かった頃から見知っている。
知った風ないいわけをしないで己の馬鹿さの結末を、突っ走った時の素直さのまま
受け入れる彼女を黙って見て来たのだが、そろそろ「人の話を聞け~」と言うべき
ときがきたように思ったからである。
しかし、言うまでもなかった。
彼女はよくわかっていて、しゃべり続けていたのはわたしがどう思っているかが
わからなかったかららしい。
ご自愛くださいって言うだろ? 自分をかわいがれってことよ、少しはね。
自分のことを一番先に勘定に入れて生きなよとくどくどと言った。
そんなことを言ってあげたい人はたまにしかいない。
みんな誰もかれも自分を一番に考えてあたりまえになってしまっているからだ。
少しは遠慮しなよと言いたいが言わないという方が多いのだ。
自分を大事にしてくれ、そして長く生きてくれ、そしてわたしを喜ばせてくれ、
あんたの旦那を安心させてくれ、あんたの犬を守ってあげてくれ、そうくどくどと
言うと、彼女はそうか、そうだね、と言った。
いつ死んでもいいという気持ちは後悔の裏返しで、居直りとは少し違う彼女の深い
悔いの思いが死を近づけてしまう気がしたので、死神と闘うには悔いではない別な
自分との対峙のしかたを考えてもらいたかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/67/76d1cb57c9bc52f6692e0c474a50a0f5.jpg)
「トマトがたくさんあってね、ゴーヤも豆も茄子もそれからピーマンもレタスも
みんなわたしが作った、それを食べてるから大丈夫、犬もトマトが大好きやし」
彼女は家庭菜園を二年前から始めたことを話しはじめた。
来年はじゃがいもを植えたいけど、根を掘るのに力が要るから無理かもねと言う。
胃が半分になってしまって食べられる物が少なくなったけど、野菜はだいじょうぶだし、
野菜食べてれば肉食べんでもええやろ、と言う。
それから、どうやったら美味しい野菜料理になるかとか菜食で脂質も取るにはどう
したらいいかとか免疫力を高めるのにはタマネギを食べんといかんとか、トマトは
煮たほうがいいとか皮を湯むきしたら消化しやすいとか、長話は続いたのである。
食べることは自愛の一歩である。
感謝して、喜んで、食べる。
安心して食べられるものを、大事な人とわけあって食べる。
その単純で平凡な生活を、彼女は長い時間をかけて病と引き換えに手に入れた。
夫君は「癌は自分の子どもだと思うたらええ、うちは子どもがおらんから、子どもやと
思うて一生つきおうていこう」と彼女に言ったそうだ。
そう言われてみても申し訳ないという気持ちが強い病人にしてみれば、居心地が定まらず
長い闘病は辛いことだろうと思った。
しみじみとエラいことをやってるなあ、がんばってるなあと泣けてきた。
毎晩一日の反省をしとるよ、と彼女は言った。そうしないと、明日新しい日が来ないもん、
そうやろ? と言った。
そうだね、今日の癌は今日殺せ、だわよ。と答えた。