ハーイ、オヤブーン!とカメに駆け寄るもう一匹の親分。
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シット、ステイ。言われた通りに寄り添いますね、いい子分です。
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うれしそうなオヤブン、いやこの場合はベイビー。
うさこといるときとは違った意味でうれしそうな顔をしてひっついています。
このところ人と会うことが続いていて、やや消耗気味のうさこはみているだけで
芝生の上へ来いよなあと誘うベイビーにつきあう体力があっりませーんって。
教える人のことをおしえびとと思っていたらそれは違います。
おしえびとは自らをおしえびととは思っていないし、教えてはいないのですから。
模範となってもらっている側、その人に学んでいる者にとっては師はおしえびとと
いうことになるのであって、おしえびとになりたいなんて言うヤツがいたらそれは
アレか? 教員のことか?とつっこむべきであります。
教員はキョーインであっておしえびとではないのです。
でも例外もあります。
うさこの小学校のときの先生、野口先生はおしえびとでありましたね。
野口先生はもとは米田先生で野口家にお婿さんに行って名前が変わりましたので
しかたなく野口先生と呼んでいましたが、うさこの中では米田先生のままです。
先生の私的生活の事情はどんどん変わっていかれたのですが、うさこの中では
何より平等で、きさくで、明るさ爆発、どんなときもダジャレを忘れない歌の
好きなブラスバンドの好きな米田先生でした。
教えてもらったことが特にこれといってあるということではなくて(たくさん
教わってるしな)、他のオトナ達とぜんぜん違っていたのは米田先生がとても
平等だったこと。平等ということにおいて厳しかった。
うちはとてもビンボウだったのだが、そのビンボウな家に住む父さんを訪ねて
きてはオトナ同士の話をしていた。子どもだったから気にもとめなかったが
今にして思えば米田先生も父も似た者同士であったわけだ。
体制や金に惑わされない種類の人である。
三十路を過ぎてカメを師と仰ぐようになったうさこはシャーワセである。
子どもの頃もオトナになっても目の前に師がいて、道を示してくれる。
いや示されるのではなく、後ろから背中をみてついて歩く。
わからないときは尋ねる。
迷っても尋ねる。
もらった答えがすぐにわかるわけではないが、平気である。
もともとわからないから尋ねたんだから、聞いたからといってすぐにわかる
わけがないのであるよ。
歩いているうちに、一年くらいたってわかってくる。
このごろは一年とか言えるようになったから、ちょっとは進歩したと一人で
喜ぶ。昔は三年があたりまえで、三年でもまだちょこっと見えたくらいな
ものであった。
道元の侍者懐奘の記した随聞記(文庫版)の間からレシートが出てきて
あれっと思ってみると20年以上前の日付だった。
本を買ったのはどうしてなのか皆目思い当たらないが、当時のわたしは
空海を必死になって読んでいた頃だろう。
なぜ道元を知ろうと思ったのか思い出せないが、一つ確かなことは書物以外に
師と思える相手にめぐりあうことがまだできずにいたからであった。