ふつうの暮らしのなかで、神様の話をしても不自然ではない場所は
沖縄である。
沖縄には御嶽(うたき)というかみさまが降臨するという聖なる場がある。
神様にうかがいをたてる役割は祝女(ノロ)という女性で、つい最近まで
御嶽は男子禁制であった。開放された今も地元の人にとっては聖地である
ことに変わりない。
でも、おきなわの人々はかみさまを本当に信じていたのか?
いまも信じているのか?
ただの観光資源に変えてしまってはいないのか?
そんなことを思いながら話を聞くと‥‥。
海の向こうはニライカナイである。
海に囲まれた地、島国では浄土、あの世の楽園は、いま足をつけているこの地ではなく
海の彼方にあると考えて自然であった。
そして仏教は西(インド)から東(中国を経て)へ東へ(日本)と伝わってきた。
東の果ての国から見れば西の彼方の海の向こうが極楽浄土、それは西方浄土信仰につながり
老いた僧侶が木の葉のような舟で死出の旅へと向かう。僧侶の魂は浄土をめざした。
海の向こうに浄土を見出す思想は琉球諸島だけものではない。
そう、ニライカナイ信仰は南方の島固有の宗教に思われがちだが、そうでもない。
道教、仏教、そしてアニミズムとが混然一体となった原初的な信仰である。
そして、かみさまだけでなく邪悪な鬼や病、災いもまた海からニライカナイからくると
いうのである。人々が最も畏れを抱く場、それが海であるということはごく自然なことだ。
近頃はニライカナイという言葉が一人歩きして、かみさまや理想郷といったイメージが
あるが、それは観光客用のあさはかなコピーのせいだろう。
如来の本拠地が西にある=西方浄土と考えるのは妥当だろうが、ではなぜ四方が海の
極東の国で太平洋の方角へ船出しようとしなかったか?
海流がさまたげとなったのだろうか? ザ・パシフィック・オーシャン!
そんなへ理屈を思うのは世界地図と地球儀で地球の広さを知ったつもりになっているからに
すぎないが‥‥ロマンチックとあさはかには到底ナットクできない性分だけんね。
西に沈む陽が極楽を思わせたからだろうとも思いつくが、おきなわのかみさまは仏ではない。
けれども如来信仰と同じように、ニライカナイを極楽浄土にみたて信じている。
日本人、やまとんちゅうは東からイズル朝日を拝み、ご来迎とありがたがる。
かみさまはかみさま、ほとけでも神でも同じこと、古代の人はすなおに、太陽と月とを仰ぎ、
うかがい、祈った。
そしてその形骸に立つ今の人も、湿った潮風に少しだけ現世を忘れるのだろう。
その信仰の姿がふだんの暮らしとかけはなれていない地、沖縄は那覇に降り立ったとたんに、
ふだん無信心で御利益主義な人さえ素直にしてしまうのだから。
海に、潮風に、スコールに、鳥の声に、なんだかありがたさを覚え、鎧を脱いでいく。
漁師は月を読んで船出をする。
農民もまた月の満ち欠けを数えて作付けをする。
あとは太陽が実りをもたらすのを祈り、ひたすらに励む。
暦は祝日のためにあるとばかりに朱色の日付を寄せ集め、今日がどんな日なのか
わからなくしてしまった愚か者には関係ないことだが。
いずれにしても人間だけがこの世の実在であるかのような考えを持ちようがない。
信じることは生きる術で、特別なことではない。
生きることに直結していない信仰はないということだ。
だから未来永劫、絶えることがないともいえる。ニライカナイは語り継がれる。
祈ることに比べれば、御利益を期待するのは卑しい。二つは似て非なるものなのだが、
その違いさえわからなくなっている。
かえる場所を失くして久しいやまとんちゅうは、刹那に生きているようだ。
女子高生はよい言葉だとカンチガイしてロマンチックに思っているけれど、刹那とは
時間でいえば1秒くらいのもので瞬間、だから目先のことしか考えないのが刹那に生きる
ってことなんだけどなあ。それのどこがいい?
かえる場所がないとは流浪の民ということになる。70年代にはデラシネとか言って流行
ったけれど(五木寛之センセイ)、感傷的に読み違えたか、流浪は悲劇なのに。
恵まれすぎて恵まれる喜びを忘れてしまったのなら、すべてなくしたとて悲しむことも
ないかもしれないんだけど‥子どもっぽすぎるなあ、単細胞だなあ、ミトコンドリアに
悪いなあ。(あたいは流浪はいやだなあ、同じ場で同じ月を見ていたい派だし)
そんなこんなで昨今、信仰は消え商売繁盛、生まれたのは祭りというイベントだけだ。
あと三十年もすればみんな間違いだったと気づくような気がするが、壊した奴らは
死んでいるからなあ、やるせない。
おきなわのかみさまと、やまとの神様。
どうもすれっからしになったような後者の分が悪い。
御嶽(うたき)の奥にぽっかりと空いた穴から、海が見えるらしい。
樹々に宿る精霊と戯れ森の道を歩いていると、頭上の明るさがニライカナイの空に
続いている気がする。
気持ちのよい場所、ここもまた聖地。
沖縄である。
沖縄には御嶽(うたき)というかみさまが降臨するという聖なる場がある。
神様にうかがいをたてる役割は祝女(ノロ)という女性で、つい最近まで
御嶽は男子禁制であった。開放された今も地元の人にとっては聖地である
ことに変わりない。
でも、おきなわの人々はかみさまを本当に信じていたのか?
いまも信じているのか?
ただの観光資源に変えてしまってはいないのか?
そんなことを思いながら話を聞くと‥‥。
海の向こうはニライカナイである。
海に囲まれた地、島国では浄土、あの世の楽園は、いま足をつけているこの地ではなく
海の彼方にあると考えて自然であった。
そして仏教は西(インド)から東(中国を経て)へ東へ(日本)と伝わってきた。
東の果ての国から見れば西の彼方の海の向こうが極楽浄土、それは西方浄土信仰につながり
老いた僧侶が木の葉のような舟で死出の旅へと向かう。僧侶の魂は浄土をめざした。
海の向こうに浄土を見出す思想は琉球諸島だけものではない。
そう、ニライカナイ信仰は南方の島固有の宗教に思われがちだが、そうでもない。
道教、仏教、そしてアニミズムとが混然一体となった原初的な信仰である。
そして、かみさまだけでなく邪悪な鬼や病、災いもまた海からニライカナイからくると
いうのである。人々が最も畏れを抱く場、それが海であるということはごく自然なことだ。
近頃はニライカナイという言葉が一人歩きして、かみさまや理想郷といったイメージが
あるが、それは観光客用のあさはかなコピーのせいだろう。
如来の本拠地が西にある=西方浄土と考えるのは妥当だろうが、ではなぜ四方が海の
極東の国で太平洋の方角へ船出しようとしなかったか?
海流がさまたげとなったのだろうか? ザ・パシフィック・オーシャン!
そんなへ理屈を思うのは世界地図と地球儀で地球の広さを知ったつもりになっているからに
すぎないが‥‥ロマンチックとあさはかには到底ナットクできない性分だけんね。
西に沈む陽が極楽を思わせたからだろうとも思いつくが、おきなわのかみさまは仏ではない。
けれども如来信仰と同じように、ニライカナイを極楽浄土にみたて信じている。
日本人、やまとんちゅうは東からイズル朝日を拝み、ご来迎とありがたがる。
かみさまはかみさま、ほとけでも神でも同じこと、古代の人はすなおに、太陽と月とを仰ぎ、
うかがい、祈った。
そしてその形骸に立つ今の人も、湿った潮風に少しだけ現世を忘れるのだろう。
その信仰の姿がふだんの暮らしとかけはなれていない地、沖縄は那覇に降り立ったとたんに、
ふだん無信心で御利益主義な人さえ素直にしてしまうのだから。
海に、潮風に、スコールに、鳥の声に、なんだかありがたさを覚え、鎧を脱いでいく。
漁師は月を読んで船出をする。
農民もまた月の満ち欠けを数えて作付けをする。
あとは太陽が実りをもたらすのを祈り、ひたすらに励む。
暦は祝日のためにあるとばかりに朱色の日付を寄せ集め、今日がどんな日なのか
わからなくしてしまった愚か者には関係ないことだが。
いずれにしても人間だけがこの世の実在であるかのような考えを持ちようがない。
信じることは生きる術で、特別なことではない。
生きることに直結していない信仰はないということだ。
だから未来永劫、絶えることがないともいえる。ニライカナイは語り継がれる。
祈ることに比べれば、御利益を期待するのは卑しい。二つは似て非なるものなのだが、
その違いさえわからなくなっている。
かえる場所を失くして久しいやまとんちゅうは、刹那に生きているようだ。
女子高生はよい言葉だとカンチガイしてロマンチックに思っているけれど、刹那とは
時間でいえば1秒くらいのもので瞬間、だから目先のことしか考えないのが刹那に生きる
ってことなんだけどなあ。それのどこがいい?
かえる場所がないとは流浪の民ということになる。70年代にはデラシネとか言って流行
ったけれど(五木寛之センセイ)、感傷的に読み違えたか、流浪は悲劇なのに。
恵まれすぎて恵まれる喜びを忘れてしまったのなら、すべてなくしたとて悲しむことも
ないかもしれないんだけど‥子どもっぽすぎるなあ、単細胞だなあ、ミトコンドリアに
悪いなあ。(あたいは流浪はいやだなあ、同じ場で同じ月を見ていたい派だし)
そんなこんなで昨今、信仰は消え商売繁盛、生まれたのは祭りというイベントだけだ。
あと三十年もすればみんな間違いだったと気づくような気がするが、壊した奴らは
死んでいるからなあ、やるせない。
おきなわのかみさまと、やまとの神様。
どうもすれっからしになったような後者の分が悪い。
御嶽(うたき)の奥にぽっかりと空いた穴から、海が見えるらしい。
樹々に宿る精霊と戯れ森の道を歩いていると、頭上の明るさがニライカナイの空に
続いている気がする。
気持ちのよい場所、ここもまた聖地。