おいしいと‥‥ではなく笑うと目がなくなるんです、目がない、目がないって
からかわれていた子ども時代のうさこです。
愛しのベイビーはもうすっかりオヤジですが笑うと目がなくなっちゃうタイプ。
よく笑いますので目をパチっと開けて写ってるのが少ないのです。
老眼で遠近調整のために目を細めているわけではありません(それはわたしだ)。

目がなくなるって言われた子どもの頃、そう言われるのが気になってコンプレックス
に近かった。二つ上の姉はきれいな二重まぶたでガッコに行くと似てない似てないと
必ず言われたのです。こどもの頃って何でも繰り返し言うのね。いや、言われてた気
がするだけかもしれないけど、さ。
おまけに笑うと歯ぐきが見えるから出っ歯って言われたりしてたなあ。
子どもって容赦なく容姿のことを言うんですよね、言ってる本人自分のことは棚に
上げてるからな。
水泳が大好きでしょっちゅうプールに行ってて、そこで言われたのは「足が変」
足の指が変だと言うのです。ギャートルズというあだ名がついてしまった。
命名したのは従姉妹のユーコ。
いまも独身らしく(主義って言うんだろうなあ、たぶん)口の悪さが災いしたか?
ガリ勉ユーコ、何が悲しくて「不況に強い公務員」子どもなのに保守的なことを
言ってたけど国語のセンセになって満足か?
会ってみたい気もするが、また何かあだ名をつけられそうな気もするから用心だな。
ユーコたちいじめっ子が集まってヤーヤーとからかわれてても、でもうさこは言い返し
たりしなかったのです。ヘーッほんと? とボケる子でした、天然。おまけに友達だと
思ってたんだもの‥、ずーっとそう思ったまま卒業したわけで。
そして目をできるだけ見開いたまま笑うようにこころがけたり、やはり変な子だった。
当時はマジメにそれをやってたんだものなあ。
鏡をあまり見ないので自分の笑う顔を確認する機会が少ないけど、たまに撮られると
たいてい大口あけて笑っているのでガックリ。もそっとビジンに写らんものか‥(カメラは
正直と知るのである)。
オトナになると誰も、「あー歯ぐき、歯ぐき」と囃したりしないので写真を見てう~む‥。
こどもの頃を思い出す理由は、イジメやDVのニュースをたびたび耳にするからで、増加して
いる気もするし。
そして今、すぐにその子を助けに行きたいと思ったりしてはがゆいのでニュースの途中で
切ってじっと固まっている。目を背けるわけではなく、とても腹がたつし悲しいもんで。
正義の味方、ヒーロー物の漫画やドラマってイジメラレてた人が思いつくのかもしれない
とある時思いました。ユーコみたいな早期初志貫徹派は鼻で笑ってしまうような正義の味方の
ヒーロー、あれは傷ついた「昔の子ども」が生み出すんじゃなかろうか。
「愛情には理性を持てるが、理性には愛情を行使できない」(小林秀雄)
記憶とは理性ではない。行動は記憶に左右され、記憶がどう整理されるかは考える力。
考える力は理性だと思いがちだが、はじめには愛情があるはずというのです。
何事も批評批判せずにいられない現代の人は理性と知性をあがめるけれど、それなら脳に
動いてもらっているだけのことです。
感性があって、心が育って、そして理性を使う。この順序が逆になってしまうと陰湿な関係
しか生まれないんだろうと思います。
理性と思っているのは単に「私」なだけなんだと気づきようもないからです。固い殻に
閉じ込められていて情報を知と思い、我を理性と勘違いしている人ほど声が大きい。
愛を言葉を変えると仁、うさこの先生、カメは「始め仁ありて義生まれる」と何度も教えて
くれました。
子どもの頃を思い出して、そのとおりだとわかります。
わたしが細目でも出っ歯でもいじけずに生きてこれたのは、かわいいかわいいと
言ってくれる父と母がいたおかげであるなあと、しみじみ思います。
父と母を持たぬ子が増えている今日、子は社会の財産と政権のスローガンはあるけれど、
隣の人に仁を、そういう世の中に変わるには「隣の金」に負けている気がする。
パワーゲームばかり聞かされて失望する日々、正義の味方を待つよりもそれぞれが
「ひとり正義のみかた」になるしかない、ぜよ。
からかわれていた子ども時代のうさこです。
愛しのベイビーはもうすっかりオヤジですが笑うと目がなくなっちゃうタイプ。
よく笑いますので目をパチっと開けて写ってるのが少ないのです。
老眼で遠近調整のために目を細めているわけではありません(それはわたしだ)。

目がなくなるって言われた子どもの頃、そう言われるのが気になってコンプレックス
に近かった。二つ上の姉はきれいな二重まぶたでガッコに行くと似てない似てないと
必ず言われたのです。こどもの頃って何でも繰り返し言うのね。いや、言われてた気
がするだけかもしれないけど、さ。
おまけに笑うと歯ぐきが見えるから出っ歯って言われたりしてたなあ。
子どもって容赦なく容姿のことを言うんですよね、言ってる本人自分のことは棚に
上げてるからな。
水泳が大好きでしょっちゅうプールに行ってて、そこで言われたのは「足が変」
足の指が変だと言うのです。ギャートルズというあだ名がついてしまった。
命名したのは従姉妹のユーコ。
いまも独身らしく(主義って言うんだろうなあ、たぶん)口の悪さが災いしたか?
ガリ勉ユーコ、何が悲しくて「不況に強い公務員」子どもなのに保守的なことを
言ってたけど国語のセンセになって満足か?
会ってみたい気もするが、また何かあだ名をつけられそうな気もするから用心だな。
ユーコたちいじめっ子が集まってヤーヤーとからかわれてても、でもうさこは言い返し
たりしなかったのです。ヘーッほんと? とボケる子でした、天然。おまけに友達だと
思ってたんだもの‥、ずーっとそう思ったまま卒業したわけで。
そして目をできるだけ見開いたまま笑うようにこころがけたり、やはり変な子だった。
当時はマジメにそれをやってたんだものなあ。
鏡をあまり見ないので自分の笑う顔を確認する機会が少ないけど、たまに撮られると
たいてい大口あけて笑っているのでガックリ。もそっとビジンに写らんものか‥(カメラは
正直と知るのである)。
オトナになると誰も、「あー歯ぐき、歯ぐき」と囃したりしないので写真を見てう~む‥。
こどもの頃を思い出す理由は、イジメやDVのニュースをたびたび耳にするからで、増加して
いる気もするし。
そして今、すぐにその子を助けに行きたいと思ったりしてはがゆいのでニュースの途中で
切ってじっと固まっている。目を背けるわけではなく、とても腹がたつし悲しいもんで。
正義の味方、ヒーロー物の漫画やドラマってイジメラレてた人が思いつくのかもしれない
とある時思いました。ユーコみたいな早期初志貫徹派は鼻で笑ってしまうような正義の味方の
ヒーロー、あれは傷ついた「昔の子ども」が生み出すんじゃなかろうか。
「愛情には理性を持てるが、理性には愛情を行使できない」(小林秀雄)
記憶とは理性ではない。行動は記憶に左右され、記憶がどう整理されるかは考える力。
考える力は理性だと思いがちだが、はじめには愛情があるはずというのです。
何事も批評批判せずにいられない現代の人は理性と知性をあがめるけれど、それなら脳に
動いてもらっているだけのことです。
感性があって、心が育って、そして理性を使う。この順序が逆になってしまうと陰湿な関係
しか生まれないんだろうと思います。
理性と思っているのは単に「私」なだけなんだと気づきようもないからです。固い殻に
閉じ込められていて情報を知と思い、我を理性と勘違いしている人ほど声が大きい。
愛を言葉を変えると仁、うさこの先生、カメは「始め仁ありて義生まれる」と何度も教えて
くれました。
子どもの頃を思い出して、そのとおりだとわかります。
わたしが細目でも出っ歯でもいじけずに生きてこれたのは、かわいいかわいいと
言ってくれる父と母がいたおかげであるなあと、しみじみ思います。
父と母を持たぬ子が増えている今日、子は社会の財産と政権のスローガンはあるけれど、
隣の人に仁を、そういう世の中に変わるには「隣の金」に負けている気がする。
パワーゲームばかり聞かされて失望する日々、正義の味方を待つよりもそれぞれが
「ひとり正義のみかた」になるしかない、ぜよ。