寒い朝を迎えました。それでも休日は、オーバーを着込んで愛犬ゴンタとお散歩にでかけます。人間様と違ってゴンタは元気そのもの。木々に集まる小鳥たちも、防寒着を着るわけでもないのに元気に飛び回っています。冬ともなれば、ふだん見かけない小鳥たちも混じって、小さな里山はたいへん賑やかでした。ニュースを見ると、北日本と日本海側は大雪の兆し。そんな天候の季節に、お正月休み明け早々の連休となりました。
お正月といえば、田舎では旧暦のお正月を祝う旧正月の習慣があります。ことしは1月26日が元旦なのだそうですが、私が小さい頃は、母親が長方形に平たく伸ばした「伸し餅」をつくってくれました。都会の親戚にも送るとかで、それはたいへんな量でした。豆入りやら、薄い紅色つきやら、何種類かの伸し餅をつくり、後でそれを包丁で薄い長方形に切っていく。乾燥するとずいぶん日持ちがするので、今思えば保存食の役割も果たしていたのかもしれません。田舎では、旧正月にも学校は数日間のお休みがありました。
ところで、お正月に田舎の親戚宅に電話をすると、「中居君と仲間さんが出ている『私は貝になりたい』という映画、見たかね?」と。年末のTVコマーシャルや新聞広告に載っていたことは承知していたのですが、「なぜ?」と尋ねると、「去年の2月に、近所の山でロケがあったがね」と。親戚の家は、奥出雲の地。どうやらロケ隊は、隠岐島で撮影のあと、奥出雲に移動したらしい。映画の公式サイトで確認すると、房江(仲間)が豊松(中居)のために、助命嘆願書の署名を集めに行くシーンの撮影が、当地で行われたようです。「2月は最低気温マイナス5℃にも及ぶ極寒の土地。積雪40㎝。福澤監督肝入りの場所」とありました。撮影現場に比較的近い親戚の家では、近所の方々が集まって大変な騒ぎだったようです。
島根県といえば、決して知名度の高い県ではありませんが、最近はNHKテレビの朝のドラマの舞台でもあります。タイトルは、出雲弁で「ありがとう」という意味の『だんだん』。でも田舎を出て40年近く経つと、出雲弁を思い出そうとしても、寂しいことですが、何ひとつ浮かんできません。そもそも方言自体が戦後教育のなかで影を潜めてきたようで、純粋な出雲弁は、ひと世代前の言葉、出雲弁サイトをみても、小さい頃、お年寄りの方々がお話になっていたものばかりです。この「だんだん」も、そうです。でも、古き良き時代を思いながらサイトを眺めていて、『ばんじまして』(こんばんわ)という言葉を見つけました。『えとしなげな』(可哀そうな)、『えけん』(いけない)などなど。このあたりになると、ぼんやりと当時を思い出します。
方言は、その人の生い立ち、アイデンティティーの証しでもあります。それが、狭い国ながら、高校を卒業し都会に移り住むことによって曖昧になっていく。余りにも大きな落差にカルチャーショックを受けながら、しかし、成長の糧としてそれを受け入れていく。でも、時に、「私」を見失うことがある。浮草のように落ち着きがない。都会の喧騒の中で、ふっと気づくことがあります。自分探しのような、そんな気持ちにさせる瞬間が、時々あります。しかし、答えは出ない。そんな不安に駆られると、無性にジャズを聴きたくなる。といっても、わたしの場合はピアノが主体です。
ジャズと呼ばれる音楽文化を生みだした源は、アフリカから連れてこられた黒人奴隷にあると聞いたことがあります。遠く母国を思いながら農作業の合間に皆んで独特のリズムを全身で表現し、アイデンティティーを確認しあう。そうなんだと思います。
ダラー・ブランド、オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット、そして最近はビル・エヴァンスと、徐々にレパートリーも増えてきました。最近は、女性ジャズボーカルのヘレン・メリルが加わって、ウイークデーの夜は、私の部屋も、さながらジャズ喫茶の雰囲気です。疲れた頭をシャッフルするに心地よい時空間を提供してくれます。きょうは珍しく、Waltz for Debby Bill Evans Solo を聴きながらブログ更新でありました。
【写真説明】
きょうの写真は、イメージ写真です。昨年12月10日の朝、大阪平野は濃霧に襲われ交通網が大混乱しました。わたしは淀川堤防を歩いて職場に向かいました。濃霧のため、足元の道以外は、右も左も10メートル先が見えません。小さい頃、強烈な吹雪に襲われたときの恐怖感を思い出したものです。
お正月といえば、田舎では旧暦のお正月を祝う旧正月の習慣があります。ことしは1月26日が元旦なのだそうですが、私が小さい頃は、母親が長方形に平たく伸ばした「伸し餅」をつくってくれました。都会の親戚にも送るとかで、それはたいへんな量でした。豆入りやら、薄い紅色つきやら、何種類かの伸し餅をつくり、後でそれを包丁で薄い長方形に切っていく。乾燥するとずいぶん日持ちがするので、今思えば保存食の役割も果たしていたのかもしれません。田舎では、旧正月にも学校は数日間のお休みがありました。
ところで、お正月に田舎の親戚宅に電話をすると、「中居君と仲間さんが出ている『私は貝になりたい』という映画、見たかね?」と。年末のTVコマーシャルや新聞広告に載っていたことは承知していたのですが、「なぜ?」と尋ねると、「去年の2月に、近所の山でロケがあったがね」と。親戚の家は、奥出雲の地。どうやらロケ隊は、隠岐島で撮影のあと、奥出雲に移動したらしい。映画の公式サイトで確認すると、房江(仲間)が豊松(中居)のために、助命嘆願書の署名を集めに行くシーンの撮影が、当地で行われたようです。「2月は最低気温マイナス5℃にも及ぶ極寒の土地。積雪40㎝。福澤監督肝入りの場所」とありました。撮影現場に比較的近い親戚の家では、近所の方々が集まって大変な騒ぎだったようです。
島根県といえば、決して知名度の高い県ではありませんが、最近はNHKテレビの朝のドラマの舞台でもあります。タイトルは、出雲弁で「ありがとう」という意味の『だんだん』。でも田舎を出て40年近く経つと、出雲弁を思い出そうとしても、寂しいことですが、何ひとつ浮かんできません。そもそも方言自体が戦後教育のなかで影を潜めてきたようで、純粋な出雲弁は、ひと世代前の言葉、出雲弁サイトをみても、小さい頃、お年寄りの方々がお話になっていたものばかりです。この「だんだん」も、そうです。でも、古き良き時代を思いながらサイトを眺めていて、『ばんじまして』(こんばんわ)という言葉を見つけました。『えとしなげな』(可哀そうな)、『えけん』(いけない)などなど。このあたりになると、ぼんやりと当時を思い出します。
方言は、その人の生い立ち、アイデンティティーの証しでもあります。それが、狭い国ながら、高校を卒業し都会に移り住むことによって曖昧になっていく。余りにも大きな落差にカルチャーショックを受けながら、しかし、成長の糧としてそれを受け入れていく。でも、時に、「私」を見失うことがある。浮草のように落ち着きがない。都会の喧騒の中で、ふっと気づくことがあります。自分探しのような、そんな気持ちにさせる瞬間が、時々あります。しかし、答えは出ない。そんな不安に駆られると、無性にジャズを聴きたくなる。といっても、わたしの場合はピアノが主体です。
ジャズと呼ばれる音楽文化を生みだした源は、アフリカから連れてこられた黒人奴隷にあると聞いたことがあります。遠く母国を思いながら農作業の合間に皆んで独特のリズムを全身で表現し、アイデンティティーを確認しあう。そうなんだと思います。
ダラー・ブランド、オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット、そして最近はビル・エヴァンスと、徐々にレパートリーも増えてきました。最近は、女性ジャズボーカルのヘレン・メリルが加わって、ウイークデーの夜は、私の部屋も、さながらジャズ喫茶の雰囲気です。疲れた頭をシャッフルするに心地よい時空間を提供してくれます。きょうは珍しく、Waltz for Debby Bill Evans Solo を聴きながらブログ更新でありました。
【写真説明】
きょうの写真は、イメージ写真です。昨年12月10日の朝、大阪平野は濃霧に襲われ交通網が大混乱しました。わたしは淀川堤防を歩いて職場に向かいました。濃霧のため、足元の道以外は、右も左も10メートル先が見えません。小さい頃、強烈な吹雪に襲われたときの恐怖感を思い出したものです。