心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「心の風景」の原点

2009-01-04 09:56:21 | Weblog
 「自己を相対化し、もうひとりの視線を自己のなかにもつことによって、自己を縛っている価値基準が相対化される。縛っている視点から見えている風景を相対化することができる。自分の見ている風景がほんとうは違ったふうに見えることもあるのだということを認識させるからである」「風景の向こうに何をみるか。それは、風景を見るひとがどんな人間かによって違ってくる」....。
 これは、2001年10月から12月にかけて放送されたNHKラジオ「こころをよむ」講座で、東京工業大学の桑子敏雄先生が「新しい哲学への冒険」と題して講義されたテキストの一部です。第1話「もう一枚の名刺」の中で渡辺崋山を例にお話になりました。講座はこのあと、第2話「風景のなかに思想がある」に続きます。
 いま、Googleで「心の風景」を検索すると、たくさんのブログがヒットしますが、私が、このタイトルにこだわるのは、多分にこの講座の影響があります。2004年12月30日に開設して4年が経過しました。私の仕事人生のなかでも激動の4年間に、私は毎週のようにブログ更新をしながら、言えば自分自身のために、自分自身を振り返る、そんな時間を大切にしてきました。考えてみれば身勝手なブログではあります。
 ところで、年末の「ふる本市」で手にした渡辺崋山の画集を眺めながら、改めて、幕末に生きた崋山の生きざまを思います。彼は、幕府の鎖国政策に批判的な考えをもったかどで、逮捕、投獄されます。47歳の頃です。その後、蟄居の地・田原で罪人として生活を送りますが、日本の近代化という大きな時代の流れのなかで、福沢諭吉ほどには「洋魂洋才」に徹することはできなかった。右か左かの二者択一を迫られるなかで、彼は自刃を選びました。
 崋山が田原での謹慎中に描いた作品に、私は惹かれます。「千山万水図」「雪中孤雁図」「ろじ(鵜)捉魚図」などを眺めていると、精緻な描写と遠景という意味での複眼的なものの見方があります。雪の中で遠くをみつめる雁の姿を小枝にとまる翡翠がじっと見つめています。鵜が得意そうに魚をくわえている動きのある瞬間を河畔の柳の木の枝から翡翠が見つめています。どれも、怖いほどに冷徹な視点、ぞくっとする緊張感が漂います.....。
 年末には、本の整理を念入りに行いました。数え歳で60歳を迎える年代を考えると、そろそろ乱読を卒業してひとつの方向性を見極めるべきだろうと思うからです。段ボール箱にして3箱分を古書店に宅急便で送り届けました。もちろん、私の好奇心が萎えたわけではありません。ものごとの本質に迫る知識欲は衰えるどころか、ますます燃え盛ります。変革の予兆がささやかれる2009年という年を迎えて、改めて崋山の生きざまを振り返る、ことしはそんな予感がしています。

【写真説明】
 きょうは今年初めてのブログ更新ということで、少し裃を着た内容になってしまいました(^^♪。我が家では、長女一家に次男君を迎えて楽しく年末年始を過ごしました。きょう4日早朝に次男君を送りだして、ふだんの静かな生活に戻りました。元旦には、みんなで近くの神社に初詣に出かけました。不景気のせいでしょうか、例年に比べて人出が多かったような気がします。宗教心の薄い私でも、お正月の「おみくじ」だけは何故か気になります。「吉」と出ました。「このみくじにあう人は、丁度病人が一日一日快復に向かう様になやみとけ喜び事にあうべし、つつしむ心あれば尚よし」。過信することなく、慎みをもって、地道に物事に対峙することの戒めと受け止めました。

 おせち料理に飽きてくると、子供たちが「たこ焼きが食べたい」と言います。自宅から10分ほど歩いたところに、その老舗はあります。よちよち歩きの孫を連れて出かけました。1ケース15個入りで500円。大きな蛸が自慢です。左から「だししょうゆ味」「マヨネーズソース味」「ソース味」を買いました。大阪ならではの懐かしい味と子供たちに好評でした。
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