きのうは広島に出張していました。20名ほどの採用面接でした。何人かの有為な若者に出会えたことにほっとしながら建物の外に出ると、まだ2月だというのに穏やかな陽気に包まれました。オーバーも要りません。朝刊を見ると、きのうの広島の気温は20℃を超えていたようです。地球温暖化が気にはなりますが、でも、「春」は人の心を和ませてくれます。
そんな陽気に誘われて、きょうの日曜日も早起きをして愛犬ゴンタとお散歩に出かけました。いつも傍を通る大きな柳の木の枝も、朝陽に照らされて、土色の枝先に少し変化が見られます。小鳥たちの動きも、何となく嬉しそうで、生き生きと飛び回っています。すずめ、しじゅうから、ひよどり、むくどり、つぐみ、ほおじろ....。小さな生命が里山に響いています。気づかなかったのですが、梅や桃の花が咲いています。「春」の兆しがいろいろなところで顔をのぞかせています。
さきほど、我が家の庭を覗いてみると、ナンテンの実、ピラカンサスの赤い実は、その大半が小鳥たちの餌になっていました。実を失った枝が淋しそうではありますが、小鳥たちの冬の餌になったのであれば、それはそれで良かったと、そんなことを考えました。そうそう、庭の片隅に、フキノトウを数個見つけました。なかなか大きな芽です。今夜は、そのうちの1個をいただいて、お酒の友にフキノトウ味噌をつくってもらいましょう。
こんな心地よい朝、BGMの選曲はチャイコフスキーのピアノ曲「四季」です。窓を開けて、春の陽が部屋中を照らすなかで、ぼんやり窓の外の景色を眺めます。1日中、何も考えずに、ただただぼんやりと過ごそう。午後には、花壇を耕して、春の準備をしよう。寒肥は、少し遅すぎたかな。でも、温かい春の陽を全身に浴びた花を愛でるには、欠かせない作業。お手製の腐葉土を土に返さなければ。午後には、愛犬ゴンタと一緒に土いじりです。
レコードが2枚目に入って、シュワルツコップの「野ばら」を聴いていると、なんだか目がしょぼしょぼ。花粉症ではありません。春の陽気に誘われて睡魔が襲ってきたようです。「春眠暁を覚えず」ではありませんが、春は眠りを誘う季節でもあります。少しベッドに横たわってから外に出ることにいたしましょう。それにしても、きょうは取りとめのないブログ内容になってしまいました。
そんな陽気に誘われて、きょうの日曜日も早起きをして愛犬ゴンタとお散歩に出かけました。いつも傍を通る大きな柳の木の枝も、朝陽に照らされて、土色の枝先に少し変化が見られます。小鳥たちの動きも、何となく嬉しそうで、生き生きと飛び回っています。すずめ、しじゅうから、ひよどり、むくどり、つぐみ、ほおじろ....。小さな生命が里山に響いています。気づかなかったのですが、梅や桃の花が咲いています。「春」の兆しがいろいろなところで顔をのぞかせています。
さきほど、我が家の庭を覗いてみると、ナンテンの実、ピラカンサスの赤い実は、その大半が小鳥たちの餌になっていました。実を失った枝が淋しそうではありますが、小鳥たちの冬の餌になったのであれば、それはそれで良かったと、そんなことを考えました。そうそう、庭の片隅に、フキノトウを数個見つけました。なかなか大きな芽です。今夜は、そのうちの1個をいただいて、お酒の友にフキノトウ味噌をつくってもらいましょう。
こんな心地よい朝、BGMの選曲はチャイコフスキーのピアノ曲「四季」です。窓を開けて、春の陽が部屋中を照らすなかで、ぼんやり窓の外の景色を眺めます。1日中、何も考えずに、ただただぼんやりと過ごそう。午後には、花壇を耕して、春の準備をしよう。寒肥は、少し遅すぎたかな。でも、温かい春の陽を全身に浴びた花を愛でるには、欠かせない作業。お手製の腐葉土を土に返さなければ。午後には、愛犬ゴンタと一緒に土いじりです。
レコードが2枚目に入って、シュワルツコップの「野ばら」を聴いていると、なんだか目がしょぼしょぼ。花粉症ではありません。春の陽気に誘われて睡魔が襲ってきたようです。「春眠暁を覚えず」ではありませんが、春は眠りを誘う季節でもあります。少しベッドに横たわってから外に出ることにいたしましょう。それにしても、きょうは取りとめのないブログ内容になってしまいました。