心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

今年も「大吉」

2011-01-02 10:36:03 | Weblog
 2011年のお正月は、長女一家に横浜から帰省した次男君を交えて、近くの不動尊に初詣にでかけました。元旦にしては人出が少ないようですが、それでも門の前から本殿まで長い長い行列が続きます。本殿の手前まで辿りついた頃には、孫君は眠ってしまいました。

 参拝をしたあとは恒例の開運御神籤です。なんと今年も「大吉」と出ました。小さな紙には「思う事 思うが まゝに なしとげて 思う事なき 家の内哉」とあり、「目上の人の思いがけない引立で 心のまゝに調い家内仲良く暮らせます。色を慎み身を正しく目上の人を敬って目下の人を慈めば愈々運開きます」との説明が添えられていました。自分を信じて他者にも目配りが出来ることが求められているのでしょう。大切にお財布に納めました。
 さぁて、2011年という年は、いったいどんな年になるんでしょうか。御神籤から離れて少し具体的なイメージを考えてみるのですが、なにやら重いものを予感させます。齢を重ねるにつれて思うのは、限定された業界動向やら職務の専門性というよりも、なにかもっと根源的な、ある種哲学の世界を徘徊するような、たとえば人間の在り様について、あるいは歴史観について思いを馳せる、そんな傾向が強くなったように思います。
 そんななか、季刊誌「Kotoba」第2号に掲載された、経済学者の中谷巌さんと哲学者の長谷川三千子さんの、8頁ほどの対談「資本主義をその根本存在から疑う」は、私にとって今年の大きなテーマを予感させるものでした。「西洋近代は、人間を神の呪縛から解き、共同体の呪縛から解き、自然の呪縛から解き放った」「その結果、人間は大地から引き離され、いわば根無し草になった」。対談は欧米に翻弄された市場原理主義の現実に触れ、また欧米の階級社会の上に成立する企業の内部統制論、監視する側とされる側の分断をも指摘したうえで「それは日本の伝統的な組織の信頼関係を否定するものではないか」とも。しかし、一方では「中国四千年の歴史といっても、今の中国人はその歴史を壊した人たちです」「欧米型ではない新しい社会を構想できる可能性があるのはインドでしょうね」という文明論からの示唆もあります。がむしゃらに成長する必要はないが「我々らしく、焦らずに成長していくべき」だとも。ふたりの対談が、御神酒の酔いのなかで私をカオスの世界に誘います。とは言え、お正月の三が日は、御神酒の抜けきらない日々を過ごしていますので、いま暫く心のなかで熟成させながら初出の日を迎えたいと思います。

 そうそう園芸の話題を二つ。まずは、この休暇中に冬咲きのカトレアが開花しました。チャイニーズ・ビューティー「オーキッド・クイーン」という品種です。このカトレア、数年前に関西らんフェスタ(京阪百貨店)で購入した株です。夏の管理が不十分だったのか、やや小ぶりですが、それでも、ある種の気品を感じさせるのはカトレアだからでしょうか。

 もうひとつはクリスマスローズの話題ですが、年末にホームセンターで新種の株を購入したこともあり、改めてその栽培方法をおさらいしたところ、これまで古葉の処理を全くしてこなかったことに気づきました。「趣味の園芸」1月号によれば、古い葉が地面につくほどに大きくなると、根元の蕾や新芽に陽が当たりにくくなるとか。さっそく庭に出て、地植えの株の葉っぱを切り取ると、古葉の下から初々しい蕾と新芽が顔を覗かせました。嬉しいですねえ。寒い季節なのに元気一杯です。すでに2011年という年の行く末を見据えて、開花の準備を進めているのです。私も見習わなければ。
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