心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「知の旅への誘い」

2011-01-22 17:29:24 | Weblog
 一昨日の夜、帰宅する際に見たお月さまは、それは大きなお姿でした。翌朝出勤する際も、白む西の彼方にお顔を拝見いたしました。そしてその夜、少し遅めのご帰還でしたが、縁側から望むお月さまは、ぼんやりと傘を被っていらっしゃいました。冷え冷えとした空気がなせる技でしょうか。こうして何十億年もの間、人とお月さまとのお付き合いは続いています。
 そんな気の遠くなることばかり考えていると、なんだか頭の中がおかしくなりそうですが、しかし時代は、気づかないだけで、何かが蠢いている、そうなんでしょうよ。きっと。その、目にみえない胎動のようなものを、私たちは見誤ってはならないのだと思います。

 めずらしく小難しいことに思いを馳せる。なぜこんな書き出しになるのだろうと、一瞬立ち止まって考えてみると、意外に単純なことでした。先日、通勤電車の中でぱらぱらとめくっていた中村雄二郎・山口昌男著「知の旅への誘い」(岩波新書)の影響を受けたのでしょう。いつもの癖です。日々の出来事の中で隘路に陥ってしまいそうな、そんな状況に追い込まれると、ついついこの種の本を眺めては頭の切り替えをしている自分に気づきます。といっても、分厚い哲学書は適いません。隙間時間をもてあそぶには新書がお手軽なのです。
 で、その新書を読んで印象深かったのは「ブリコラージュ(仏語bricolage)」という言葉でした。広辞苑によれば、「器用仕事、寄せ集め細工の意。ありあわせの道具と材料とを用いて何かを作ること。明確な概念を用いる近代的思考とは異なる、人類に普遍的な思考を表す」とあります。精緻で普遍的な科学的知識に相対するものとして「人間経験のうちに内在する知恵をもっと生かすような知の在り方」。使い慣れた道具や材料を十分に生かして自分の手でものを作ること、つまり手仕事=器用仕事、これをブリコラージュというのだそうです。そこにある種の創造性の意味を見出す。さらに論は進み、多くの材料を集め、その集めてきたものを新しい関係のうちに捉えなおす、引用の理論へと導きます。「引用の理論は、創造活動が決して真空の中で無前提に行われるのではないこと、創造活動の在り様は既存の諸要素を大きく媒介している」と締めくくります。
 一遍上人を例に「捨てる」ことの意味を問いながら、蒐集、ブリコラージュ、引用へと展開する、この11頁ほどの小論を、私は行きと帰りの2回読んでしまいました。考えてみれば私もモノを集める癖があります。旅に出ると、その国その土地の石ころをそっとポケットに入れて帰ります。LPレコードやCDも、最近はひとつのテーマを追っている。本もそう。こうして集めたモノの中に自分の世界を無意識のうちに築いている。どう関係性を付与し、新しい知見を見出してくか。そこに「遊び心」がうまく機能すれば、難題・課題も決して難しいことではない。そんなことを思いながら、夜遅く自宅の玄関に立つのでした。

 きょうの土曜日は久しぶりに1日、自宅で過ごしました。朝はいつも通り愛犬ゴンタとお散歩を楽しみ、どんど焼というわけでもありませんが庭の真ん中でお正月の飾り類を燃やし、昼下がりには熱帯魚の水槽を掃除して、あとは部屋で読みかけの本を開く。そんな穏やかな一日を過ごしました。
 ところで明日の日曜日は、午後、あるトップの方の退任慰労会に出席するため東京に行ってきます。なので、一日早いブログ更新となりました。少し早めにでかけ、神保町界隈を散策したあと某ホテルに向かいます。
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