後免(ごめん)という駅がありました。高知駅から特急南風に乗って、土讃線を走って最初に止まる駅です。さほど特徴のある駅ではないのですが、「つぎは後免にとまります」の車内アナウンスが妙に気になって。と、そのうち、「つぎは大歩危(おおぼけ)にとまります」のアナウンス。出張帰りとはいえ、休日の楽しい列車の旅です。
昨日は難儀をしました。高知市に向かう特急南風に乗って、うつらうつらしていると、車掌さんがやってきて、「大雨のため、この先、列車が止まります。次の阿波池田駅でバスに乗り換えてください」と。空を見あげると、うっすら晴れ間も見えるのにと思いながら、やむなく下車。でも、ゆったりした観光バスだったので、高知駅前までちょっとした旅行気分でした。・・・・・・・そんなドタバタの一泊二日の高知出張でしたが、きょうは昨日見ることのできなかった名勝、大歩危小歩危の風景を眺めながらのブログ更新です。
きょうも、セブラックのピアノ曲集「ひまわりの海」を聴いています。先週の北海道旅行のときも、そうでした。土地と共に生きる人の姿を思うからです。広大な北限の田園も、冬になれば雪がつもり、氷が張ります。牛たちも牛舎で寒い冬を過ごします。そんな厳しい寒さのなかで、人は人の心の温もりで暖を取る。理屈ではありません。そうせざるを得ない人の知恵なのだろうと思います。牛たちもそうなのでしょう。
礼文島は、いま昆布の収穫と天日干しの時期なのでしょうか、老若男女家族総出の仕事でした。このあたりで採れる昆布は、利尻昆布として全国に出荷されています。かつてニシンの乱獲で資源が枯渇した苦い経験もあり、毎朝、昆布採りの出漁計画が島のスピーカーから流れています。島のみんなで資源を守りながら必要な量を収穫する。これも人の生きる知恵です。
昆布を干す場所を無砂乾場(むしゃかんば)と言うのだそうです。砂地だと、せっかく採れた昆布に砂がついてしまいます。だから、砕いた溶岩礫を広げた上に干すのです。所与の環境を生かした人の知恵です。小さな子どもも、お爺さんも、一緒に汗をかく姿に、なにやらホッとするものがありました。
この島はかつてはアイヌの島でした。それが本土からニシンを求めて「倭人」がやってきました。漁で成功すると、故郷の神社を呼んで建てる。小さな島なのに鳥居が目立つのは、そんな歴史があるようでした。遠くにロシアの国境を眺めながら、アイヌの悲しい歴史にも思いを馳せることに。
そんな大自然のなかで、目と鼻の先でゴマアザラシの大家族が岩の上でお昼寝をしています。ホテルの部屋の窓を開けると、すぐそばでエゾシカの親子が草を食んでいます。定期連絡船のデッキでぼんやりと海を眺めていると、数羽のカモメが目の前で羽を休めています。ふだんとは異なる豊かな時間が、そこにはありました。
それにしても、都会の人々は、どうしてこんなにもあくせく働くのでしょう。デカルト以来の近代合理主義に染まり、物事を分解しては、それで真実を知ったふりをしている。モノではない人の心をバラバラに分解したって、何も見えてはこないのに。現代社会は、子供の頃にラジオを分解して元に戻せなかった苦い思い出に近いものがあるような気がします。政治社会情勢も然り。個々のテーマについて熱っぽく語れても、全体を見通せる視点がない。「人」の、ある種動物的な視点が弱いのが、最近気になっています。物事を鳥瞰できていないから、他責化はできても、誰も責任をとろうとしない。子育ての世界に、ノーバディズ・パーフェクトという言葉があります。完全な親なんていない、という意味らしいですが、細かなことに完璧を求めすぎて人の心を蔑にし、全体を見通せなくっているのではないか。なにやらよく分からない時代になりました。
とりあえず、きょうはこのへんで。帰宅してから写真をアップしましょう。
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というわけで、帰宅してひと休みすると、朝にアップしたブログの整理をしました。さきほどから少し雨が降ったりやんだりしていいますが、ざあっと夕立でもくるんでしょうか。気分転換に、先日、広島駅前の中古レコード店で手にしたソプラノ歌手シュワルツコップの「シューベルト曲集」「モーツアルト曲集」を聴きながら、写真の整理をしました。このLP、1960年8月の発売ですから、ずいぶん前のものです。