早朝に出勤する癖がついているためか、最近はまだうす暗いうちに出かけることになります。電車の乗り換えプラットホームで、やっと生駒山の山頂に朱色の朝日が顔を出します。でも、あと数日もすれば「冬至」。1年で最も昼が短く、夜が長い日です。冬至を過ぎれば、徐々に明るさをましてくることになるんでしょう。といっても、こんな生活もあと半年です。
そうそう、先週の日曜日、庭の木に鳥が止まっていました。ヒヨドリでしょうか。ツグミでしょうか。寒くなると野鳥が活発に動き回ります。名前も知らない小鳥たちが自由奔放に飛び回っています。
さてさて、今週の大事件は自宅PCがネットに繋がらなくなったこと。前日までなんの問題もなかったのに、急に繋がらなくなりました。そういえば、Windows 10に無償アップグレードした時も調子が悪く、いろいろ弄っている間に繋がった経緯があります。何をやってもダメ。しかしノートパソコンは難なく繋がります。やはりデスクトップパソコンに問題あり、というところまでは理解できても、打つ手がありません。
翌日、ITベンチャー企業を経営している東京の甥に助けを求めました。 いわく、「Windows 10への無償 upgradeは予想どおり、いろいろな所で不具合が発生している」「私は upgrade instal なんて怖くて使えないのでclean install しています」と。いずれにしても「LAN driver が正しく install されていないのが原因」だとか。素人にはよくわかりませんが、とにかく指示どおり、「無線LAN adapter の Windows 10 用最新 driver」をダウンロードして、事なきを得ました。ネットにどっぷり浸かっている初老にとって、ネットとの断絶は人生の終わりを思わせました。(笑)
さて、今週のお題は、またしても広岡浅子です。でも、少し別の視点から。実は、きょうの朝、本棚を眺めていたら父が遺してくれていた何冊かの洋書が目にとまりました。なにげなく手にとったのが Ernest W. Clement著「A HANDBOOK OF MODERN JAPAN」(1903年出版)でした。ぱらぱらとめくっていくと、13章「THE NEW WOMAN IN JAPAN」に、なんと広岡浅子のことが記載されているではありませんか。そして、日本女子大創設のことまで紹介されています。
裏表紙の内側には、父が長崎高等商業学校(現:長崎大学)に在学中の1920年6月28日の英文字が踊っています。昔、父が学生時代にシェークスピアの英語劇を演じていたときの写真を見たことがありますから、なにやらダブってみえてきます。
広岡家は両替商から大同生命と発展していきますが、父も大学卒業後は東京に移り、長くF銀行に勤めたあとY信託銀行に移り、70歳まで東京、京都、大阪で金融機関一筋に働いてきました。戦時中は家族を田舎の実家に疎開させ、自らは単身で仕事人生を全うしたことを思うと、やはり私とは違う世界に生きた人だったんだろうと。.....1冊の本との出会いが、長い長い歴史の足跡のようなものを思わせました。
著者のアーネスト・クレメント(1860年-1941年)をネットで調べてみると、 アメリカ・北部バプテスト派信徒宣教師として1887年来日。「東京中学校(のちの東京学院)の教頭を経て、1903-10年東京学院(関東学院)の院長。さらに、新渡戸稲造に招かれて第一高等学校で16年間英語を教えた」「日米協会の副会長として日米文化の交流と親善に尽力」とありました。 また一柳満喜子がアメリカ留学をしたときにお世話になったのがアーネスト・クレメント夫人だったことも分かりました。満喜子が宣教師ウイリアム・メリル・ヴォーリズと結婚したこと、その国際結婚を後押ししたのが浅子であり、浅子の娘・亀子が結婚したのが満喜子の兄・恵三(のちに大同生命2代目社長)だったこと。 浅子が日本女子大学の創設に関与したことも含めて、アーネスト・クレメントが広岡浅子に関心を寄せたのは容易に推察できます。まあ、こんな具合で本とネットで縦横に想いを広げることができるのは、なんと楽しいことか。
そんなことをしているうちに、今年もあと2週間になってしまいました。今日は午後、仕事の関係でグランフロント大阪にでかけていましたが、なんと人の多いことか。年末宝くじ売り場にもたくさんの行列ができていました。かく言う私も先日、1セット10枚だけ買って、奥様にプレゼントしたばかりです。