あれよあれよと言う間に2016年も半年を過ぎて、7月文月を迎えました。そして40数年にわたる仕事人生も幕を閉じようとしています。そんな最中、昨年12月に申請していたマイナンバーカードの交付がありました。システムトラブルとかいろいろあったのでしょうが、申請から交付まで半年を要したことになります。今後は社員証にかわってこれが私を証明するものになります。でも、紙切れ1枚でしか、「私」を証明できないというのも寂しいものです。
さて、昨日は、四国八十八ヶ所遍路の旅(全12回)の第1回バスツアーに参加してきました。朝7時半に出発して、明石海峡大橋、大鳴門橋を通って徳島県に入り、第一番札所の霊山寺を皮切りに、極楽寺、安楽寺、地蔵寺、大日寺、金泉寺の6カ寺を巡りました。霊山寺では、道中で着る白衣と納経帳をいただき、バス会社からは蝋燭とお線香、納め札、般若心経などを掲載した冊子が配られ、ご住職から授戒を受け十善戒のご講話を頂いた後、いよいよ四国遍歴の始まりです。
いま思えば当たり前のことなのですが、四国遍路が仏の道を歩むものであることを改めて実感することになります。先達と呼ばれる方のご指導を受けて、行く先々のお寺では、山門で一礼し、手を清め、本堂に参り、太子堂に参る。それぞれの所で蝋燭とお線香をお供えします。そして納め札を納め、お賽銭を入れて拝礼したあと、先達の先導でお経を唱えます。小さい頃から聞いたことはあってもお経を自ら唱えたことのない私にとっては、違和感がなかったといえば嘘になります。とはいえ、千年杉や樹齢800年の大銀杏の木を見上げると、私の存在なんてちっぽけなものです。
でも、考えてみれば弘法大師空海の跡を辿っての巡礼ですから、不自然なことはないのでしょう。単なるバスツアーではないわけです。お授戒では、ごく当たり前のことがなかなかできないことへの警鐘なのでしょう、平易な言葉の奥に人間の弱さを思わせます。
不殺生 殺さない。命あるもの全てに対し、恐れることは何も存在しないと示す。
不偸盗 盗まない。理由のないものを欲しいとは思わない。
不邪淫 異性に対する邪な行為にふけらない。
不妄語 誤った言葉や、悪意や敵意をもって言葉を使わない。
不綺語 飾った言葉を使わない。へつらわない。
不悪口 人を傷つける言葉を言わない。口には、人を傷つける斧があると言われます。
不両舌 二枚舌を使わない。誰に対しても真実を喋ります。
不慳貪 貪りを離れ、少なきを分かちます。
不瞋恚 瞋り、高ぶる心を捨て、人を慈しみの心で見ます。
不邪見 邪な見かたを離れ、物の本質をありのままに見ます。
お授戒の場所がお寺の中であるというだけであって、言わんとしていることは極くふつうの社会生活の中で当たり前のことが述べられています。ご住職のご講話を聴きながら、この十個のうちのいくつかのために、人間不信になり、自ら仕事人生に終止符を打つ決意をした私自身の心のありように改めて気づくことになります。
総勢42名の参加者の3分の1は5回以上も遍路をされているベテランの方々、あとの3分の2は初めての方ばかりです。また、参加者の3分の1はご夫婦での参加、あとの3分の1はお友達とご一緒、残り3分の1が私のような個人参加でした。お隣の席の方も、お仕事を終えての初参加でした。道中、いろいろお話しをしながらご一緒しました。
行く先々で歩き遍路の方々とも出会いました。ご夫婦での遍路もあれば、若者の遍路もある。40歳前後のお遍路もあります。ただ、この時期の遍路は暑すぎます。それも修行と言ってしまえばそうなんでしょうが、挑戦するときは考慮したいところです。
生まれて初めて般若心経を唱えるという非日常体験をしたためか、帰りのバスの中ではなんとなく疲労感が漂いました。本を読む気もせず、舘野泉さんのピアノ曲、セブラックの「ひまわりの海」を聴きながら、南仏のひまわり畑を夢見ながら、2時間あまりを過ごしました。......こうしたカルチャーショックをなんどか経験するうちに何かが見えてくるのでしょう。一人の人間として生き仕方がみえてくるのだろうと思っています。 きょうもまた、セブラックの「ひまわりの海」を聴きながらのブログ更新でありました。