立冬を迎える頃に吹く北寄りの強く冷たい風を「木枯らし」というのだそうですが、大阪管区気象台はきょう11日、「近畿地方で木枯らし1号」が吹いたと発表しました。朝のお散歩もなんとなく肌寒く、いよいよ冬に向かって動き始めた感があります。そんな初冬の一日、久しぶりに庭のお手入れをして冬に備えました。
ところで、最近こんなローカルニュースを時々目にします。JR木次線のトロッコ列車「奥出雲おろち号」(島根・雲南市、奥出雲町)が、老朽化などを理由に、11月23日で26年の歴史に幕を下ろす記事です。その「おろち号」に今年4月帰省した際初めて乗車しました。過疎化が進む中で地元の人々に惜しまれての引退です。
最近、昭和の時代を賑わした著名人の訃報を聞くと、なんとなく寂しさを思います。いくら元気でも、待ったなしです。でも一方で、80歳を越えてなお現役バリバリで野良仕事に余念のないご夫婦の姿をテレビで拝見することもあります。四国を歩いていたときには、夕暮れ時にもかかわらず山間のミカン畑でずいぶんお歳の方が農作業をされている場面に出くわすこともありました。都会よりも田舎の方が空気が良いから?それとも人と自然に寄り添いながら平常心でお暮しになっているから?
故郷で思い出すのは、新井満の歌「ふるさとの山に向かいて」(作詞:石川啄木 歌&作曲:新井満)です。この曲も、歩き遍路のときにipodで聴きながら歩いたものでした。
話しは変わりますが、先日、本屋さんでNHKテキスト「100分de名著」11月号に出会いました。今月のテーマは、祈りの三十一文字「古今和歌集」です。私は和歌も俳句も門外漢で百人一首に興じたこともありません。土佐日記の紀貫之や西行という人物を通じて、それとなく和歌の世界を眺める程度です。いや、だからこそ、古今集の世界を彷徨ってみたい。
第一週「めぐる季節の中で」に目を通してみました。いったん日頃の速読スタイルを止めて、言葉のひとつひとつを噛みしめるように丁寧に読み進んでいくと、季節を三十一文字で紡ぐ昔人の「心」の豊かさのようなものが言葉の奥からぼんやり見えてきます。言葉の美しさ、季節を読み込む昔人の「心」が垣間見える、そんな一瞬があります。
テキストは「四季」「恋」「雑」と続いていきます。秋の夜長、ややこしいことはいったん横に置いて、「古今集」の世界を彷徨うのも終活に向けたひとつの心の準備かも知れません(笑)。
いろんなことを摘まみ食いしながら、時代の変化をぼんやりと眺める私がいます。その日暮らしの毎日が続きます。
来週末には結願に向けた最後の四国遍路ツアーに参加してきます。78番郷照寺から88番大窪寺へ。そして第1番札所「霊山寺」に結願を果たした御礼詣りです。今年もあと2カ月を残すばかりになりました。