心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

人との出会い

2010-12-05 09:44:04 | 愛犬ゴンタ

 久しぶりの休日の朝、愛犬ゴンタとお散歩が終わると、美味しい珈琲をいただきますが、その担当はいつも私の仕事です。豆を挽いてお湯を注ぐと芳しい珈琲の香りが食卓に漂います。そしてゆったりとした時間が流れます。

 庭さきでは愛犬ゴンタが朝食をぺろりと平らげています。このゴンタ、10日ほど前の11月23日に11歳の誕生日を迎えました。人間齢に換算したら80歳にも手が届きそうなお歳です。やや毛の艶が衰えたかなぁと思いつつ、少しでも長く生きてほしいと思っています。【写真の右肩は生後5カ月当時のゴンタ】

 ところで、白洲正子さんの「遊鬼(わが師 わが友)」を開くと、まず「何者でもない人生 青山ニ郎」と題する小論があります。文中、白洲さんは青山さんの言葉を引用します。「美なんていうのは、狐つきみたいなものだ。空中をふわふわ浮いている夢にすぎない。ただ、美しいものがあるだけだ。ものが見えないから、美だの美意識だのと譫言を吐いてごまかす」。どきっとする内容です。読み進むと、「ほら、コップでもピンと音がするだろう。叩けば音の出るものが、文章なんだ。人間だって同じことだ。音がしないような奴を、俺は信用せん」と。そんな青山さんに骨董の真髄を学んだ白洲さんのエッセイです。
 叩いて音の出る人。なるほどなあと思います。バーチャルな世界とリアルな世界の区別が曖昧になって、ものの本質がぼけてきている。それを綺麗な言葉でごまかしてしまう。そんな人が最近多くなったような気がします。

 先週の土曜日にシンポジウムを開きました。4名のパネラーのお一人に神戸の商店街から個性的な方をお招きしました。行動派の彼の発言は他の方々とは全く異質な立場であったため少し心配しましたが、逆に心地よい緊張感が会場に漂い、全体を引き締める役を果たしてくれました。同質な人間同士で、ああでもないこうでもないと議論をしても堂々巡りになってしまいます。消化不良のまま時間がすぎてしまいがちです。こんな基本的なところに企画する人間の度量が試されているのだろうと思ったものです。
 その数日後、こんどは商店街の役員の方々と懇親の場をもちました。そこでお会いした女性の役員さん、これまた楽しい方でした。そのままスーツを着て東京丸の内界隈を闊歩しても全く不自然ではない雰囲気のこの方、話し出すと生粋の大阪弁でした。といっても別に豹柄の服を来ているわけではありません。言葉のひとつひとつにきちんとした論理があって、かつ笑いがある。男性陣に交じって論陣を張っていらっしゃる。地に足のついた物言いに、これでこの商店街も安泰、と思ったものです。このお二人とも、叩けば響く、音の出る方々でした。

 話が変わりますが、先週の日曜日、故郷の関西の会に出席しました。昨年に続いて2回目ですが、今回は世話役の一人だったため、早起きをして8時には会場となっているホテル入り、その後、みんなで資料やお土産の袋詰めなどに汗を流しました。動きまわっている間に、いつの間にか受付開始時刻の11時に。250名あまりの参加者をお迎えをしました。
 総会という儀式が終わると、いよいよ懇親会ですが、会場のあちらこちらで旧交を温める人の輪ができます。そんななか私も高校の同級生数名に出会いました。1人、2人と仲間が集まってきます。そんな次第で、還暦を迎えた今年は年内にもう一度、関西にいる同級生を集めて懇親会を開くことにしました。やはり還暦というのは、人生のひとつの区切りなのかもしれません。【写真はアトラクションの神楽のひとコマ】
 今年もあと1カ月を切りました。きょうは、このあと1時間もすれば孫君がやってきます。街の餅つき大会があるのです。

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