心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

右足の痺れも和らぎ、「春」本番!!

2025-03-28 09:51:31 | Weblog

 2カ月前に「お花見会」を企画していたシニア仲間15名。やきもきしていましたが昨日、大阪にもやっと桜の開花宣言がありました(トップ写真は朝のお散歩で撮った近所の公園の桜です)。残念ながら、お店「カ クチーナ ケ インカント」がある西宮・夙川界隈は開花宣言には至らなかったのですが、みんなでワイワイガヤガヤ、美味しいイタリア料理と音楽を楽しみました。最後は、開門神事と福男選びで知られる西宮神社をお参りして散会しました。

 ところで、2月から続いている右足の痺れと痛み。歩いていると急に痺れや痛みが襲い、しばらく休むと治まり、再び歩き出してしばらくするとまた疼き出す。そんな症状に悩まされてきましたが、春の訪れとともに回復の兆しが見え始め、数日前からは朝のお散歩を再開しています。往復4キロの道のりをステッキなしで歩き通すことができるまでになりました。

 振り返ってみると、昨年秋に膠原病のひとつリューマチ性多発筋痛症と診断され、ステロイドの服用で一時劇的な改善が見られたものの、その後、右足に集中して痺れと痛みがひどくなったので、神経内科の先生の紹介で整形外科でも診てもらいました。腰部のレントゲン検査の結果、脊髄の位置にわずかに異常が確認され、それが坐骨神経を悪戯しているようでした。以後、疼痛治療剤プレガバリンを服用しますが、効く気配は全くなし(-_-;)。
 先生は「脊髄の手術をする方法もないではないが、もうしばらく様子をみよう」というスタンスです。あまりの辛さに、右足にサポーターを着けてみたり、「せんねん灸」に頼ってみたり、入浴剤を工夫してみたり、ネットで最もらしい効能を謳う薬を取り寄せてみたり、果てはお寺に鎮座する賓頭盧尊師にお願いをしてみたり(笑)。
 いろいろ考えた末、その場凌ぎの対症療法ではなく、脊髄のわずかなズレを鍛え直すべきと思い立ちました。まずは腰にサポーターベルトを着装して姿勢を正し、整形外科の先生からいただいていた腰痛体操パンフレットを取り出してやり始めました。すると不思議なことに、日に日に痺れや痛みの頻度が減り、最近ではほとんど感じなくなってきました。

 右足がずいぶん楽になってきたので、春の陽気に誘われて花壇のお手入れを始めました。例年なら寒い冬の間に土を掘り起こし寒肥を施すのですが、今年はそれも適わず今頃になってしまいました。土を掘り起こし、そこに石灰や自家製の腐葉土を入れ、さらに元肥を施して花の苗を植える準備をしました。

 お彼岸を迎えると、待ってましたとばかり毎日のように出かけました。まずは田舎の菩提寺の総本山・知恩院にお参りしました。ステッキ片手に四条通りから八坂神社、円山公園を経て知恩院をめざします。この日は馴染のレストランで久しぶりに生ビール小ジョッキー1杯とグラスワイン1杯をいただき、ほっとひと息つきました。もちろんその後はノンアルコールビールで辛抱の毎日です(笑)。
 翌日は、義理の両親と妹が眠る大阪のお寺にお参りしました。一心寺では、ただいま育てているジャカランダの苗木の親木を見てきましたが、枝先には未だたくさんの実(種)がぶら下がっていました。数年前そのひとつを拾って種から育てています。この日は四天王寺の弘法市にも立ち寄りました。
 その翌々日には宝塚の清荒神清澄寺(通称荒神さん)にお参りしました。我が家では火の神、台所の神として奉っている関係上、毎年一度はお参りしていますが、今年はずいぶん遅くなってしまいました。大日如来、不動明王、弘法大師が祀られている本堂横に鎮座する賓頭盧さんにも御礼を言っておきました(笑)。

 以上の次第で何とも慌ただしい日々を過ごしていますが、そんなある日、近所に暮らす孫次男君がやってきました。この春、小学校をめでたく卒業し、来月中学生になります。
小学生の間はスマホは持たせないという娘の子育て方針のため、やっとiPhoneスマホを手にすることができたようで、そのお披露目でした。最近は小学生もスマホは必需品のようなので、よく辛抱しました。さっそくお爺さんお婆さんともLINEの交換をしましたが、数日後LINEが届きました。贈った進学祝で買ったという新品のスニーカーの写真が添えてありました。来月ピアノの発表会を控える孫次男君、中学生になったら吹奏楽部に入ると言っています。さあ、彼にはどんな未来が待っているのでしょう。

 ・・・・・本来ならちょうど今頃の時季、北フランスを旅行していたはずですが、右足が不調のため直前になってキャンセルしていました。春を迎えて右足の具合もだんだんよくなってきたことに気を良くして、5月下旬にフランスに出かけることにしました。なんともお気軽な老夫婦ではあります。

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二人の若いピアニストに「元気」をいただく。

2025-03-20 22:09:31 | Weblog

 2月の半ば、ひょんなことで出会ったピアニスト、アリス・紗良・オットさん。その後「Field: Complete Nocturnes 」に続いて「Echoes Of Life」をダウンロードして聴いています。私の好きなグレン・グールドやアルゲリッチ、内田光子や舘野泉とは違う、初々しさと若者らしさが漂う演奏を楽しんでいます。
 そんな折、海外音楽を紹介するサイト uDiscovermusic(日本版)で、「角野隼斗×アリス=紗良・オット:2人のピアニストが語る、クラシック音楽を演奏することの意味とは?」という対談記事(2021年9月)を見て、角野隼斗(すみの・はやと)さんという若手ピアニストに出会いました。
 対談の前文には「今を生きるクラシック音楽家として、過去から受け継がれてきた遺産=作品を、どのように現代の聴衆へ届けるか——それも生き生きと魅力的に、聴き手の共感を喚起しながら。21世紀においてクラシック音楽を演奏することの意味とは何か、どのようなアプローチが求められているのか、そうした問いを絶えず自らに投げかけているピアニスト、アリス=紗良・オットと角野隼斗に、二人の問題意識やクラシック音楽をめぐる現状について、語り合ってもらう対談が実現した」とあります。
 クラシック音楽との向き合い方については、私も何となく気になっていたところですが、記事に見える若いお二人の音楽に対する真摯な姿勢に共感をもちました。

 角野さんと言えば、つい先頃、世界デビューアルバム『Human Universe』が日本ゴールドディスク大賞「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞したばかりです。ピティナピアノコンペティション特級グランプリやスタインウェイ賞の受賞をきっかけに、本格的に音楽活動を始め、この秋には米カーネギー・ホールのリサイタルデビューを控えています。
 人気ユーチューバー「Cateenかてぃん」としても活躍する彼の経歴を見て驚きました。開成高校から東京大学理科一類に現役合格。大学院では情報理工学系研究科創造情報学専攻に進み、その後、フランス音響音楽研究所で音楽情報処理を研究するという何ともユニークな若者です。「ベスト・クラシック100極 角野隼斗インタビュー」の中で、グレン・グールドのバッハ「ゴールドベルク変奏曲」(1955年版)に触れていたので、なんとなく身近に感じてしまいました。

ベスト・クラシック100極 角野隼斗インタビュー
角野隼斗(かてぃん): 大学・大学院で学んで役に立っていること
『角野隼斗ドキュメンタリーフィルム 不確かな軌跡』予告映像60秒ver

 一方の紗良・オットさんは、ミュンヘンでドイツ人の父と日本人の母の間に生まれ、3歳でピアニストになることを決意、ドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、世界中でリサイタルをしたり一流オーケストラや巨匠指揮者と共演を重ねるなど、いま注目のピアニストです。
 そんな彼女ですが、6年前(2019年2月)、自身のホームぺージで「多発性硬化症」と診断されたことを明かしています。私の多発性筋痛症に似た病名ですが、硬化症は中枢神経系に炎症が起きることで手足などがしびれる難病のひとつだとか。そんなそぶりは全く見せず、素晴らしい演奏を続けています。取材や対談の場でも音楽に対する熱い思いを語っています。
6月28日、兵庫県立芸術文化センターで開かれるピアノリサイタルが楽しみです。

ピアニスト・アリス=紗良・オットさん グリーグを語る(日本語)2016年5月
Interview Alice Sara Ott(英語)2018年11月

Nachtcafé: Alice Sara Ott (ドイツ語)2022年9月

◇   ◇   ◇

 若者と言えば、先日、京都大学 人と社会の未来研究院(元・こころの未来研究センター)で、広井良典先生の最終講義がありましたが、最後にあったパネルディスカッションが、次代を担う若者たちへの期待で締め括られたことも素晴らしいことでした。付け回しや先送りの戒め、取られる税から税の使われ方への視点のシフト、限りない拡大成長から定常化、持続可能性へのシフトなど、現役時代から先生の幅広のご研究とご活動に注目してきた私です。一般参加者の一人として楽しい振り返りができました。講義が終わった夕暮れ時、小雨舞う京都の街をステッキ片手にるんるん気分で家路につきました(笑)。
 
 お彼岸を迎えて、明日は朝からお墓参りに出かけますので、いつもより一日早くブログを更新しました。そのうえ、二人の若いピアニストに「元気」をいただいたので、各所にYouTubeを挿入するなど長たらしいものになってしまいました。最後までお目通しいただきありがとうございました。

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万博会場で新作能「水の輪」公演

2025-03-14 10:26:52 | Weblog

 水彩画の絵筆を止めて教室の外に目をやると、春霞に煙る比叡山が見えます。春はすぐそこまでやってきています。そんな陽気に誘われて、晴れ間が覗いた某日、2メートルほどに育った鉢植えのジャカランダを庭の片隅に地植えしました。夏の初めに淡い青紫の花が咲くのはまだまだ先のことですが、なんとか一番花だけは見届けたいと思っています。<写真は長居植物園で撮ったジャカランダ>

 さて、何かと話題になる関西万博も開幕まであと1カ月になりました。その万博会場で6月18日、山本能楽堂が読売新聞社と共催してEXPOホールで新作能「水の輪」を
上演します。名づけて「いのちの能  2000人の『水の輪』Noh for SDGs」。
 いま、その地謡を2000人の能楽ファンで謡おうという企画が進んでいて、合唱(?)をリードする謡いチームの第1回ワークショップが、先日、山本能楽堂でありました。「水の輪」の作者である観世流能楽師・山本章弘さんから上演内容と謡いの役割、当日使う能装束や能面などについてお話しがあったあと、謡いの実地指導をしていただきました。このワークショップはあと2回予定されています。
 「水の輪」は、16年前「水都大阪2009」の最終日を彩るイベントとして天満橋の八軒家浜で初演されたあと、全国各地をはじめ海外でも上演されています。公演では、子どもたちが環境問題について考えながら古典芸能やアートに触れる機会になればと、能の前半と後半の間に登場する「水鳥」役を子どもたちが演じます。 

山本能楽堂「水の輪」 日本財団 海と日本PROJECT in 大阪府

 ところで、先日、関西万博入場チケットをスマホで購入しました。「水の輪」公演のある6月18日(9:00東ゲート入場)の前期券(5000円✕2枚)です。ID登録をして購入するのですが、IDやパスワード等に不慣れな方々には、ちょっと難しいかも。私も2回やり直しました(笑)。各パビリオンの入館予約は2カ月前、つまり来週の18日から受付開始です。当日の混乱を避けるためなんでしょうが、未だ全容が明らかではないし、ふだんスマホやパソコンに使い慣れていない方にとっては面倒なことです。前売りチケットが売れないはずです。

 話題を変えて、お能繋がりでもう一件。今週、今期最後の「わかりやすい能と古典文学」講座(山下あさの先生)がありました。テーマは「熊野(ゆや)」です。平宗盛の寵愛をうける熊野が、母重病の知らせを受けて帰郷を申し出るも適わず、やむなく宗盛に同道して清水寺の花見に向かいますが、宴席で舞ううちに村雨に散る桜に母の命を感じ「如何にせん 都の春も惜しけれど 馴れし東の花や散るらん」と短冊にしたため、やっと宗盛から帰郷が許されるという、美しくも哀しいお話しでした。
 山下先生には、能楽師のご経験を踏まえて謡全文を読み解いていただくなど、初心者にはたいへん分かりやすい講座です。最後はいつも凛々しく仕舞を舞っていただきました。
 以下はその謡曲の一節ですが、謡曲同好会では毎回これを謡って練習をお開きにしています。
  四條五條の橋乃上 ♪
  老若男女貴賤都ひ ♪
  色めく花衣 袖を連ねて行末乃 ♪
  雲かと見えて八重一重 ♪
  咲く九重(ここのえ)乃花盛り 名に負う春乃 ♪
  景色かな ♪
  名に負う春乃景色かな ♪

 3月も半ば、小学校と同様にシニア向け講座も学期末を迎えています。きのうは水彩画教室が最終回でした。この日は、各自描いた水彩画を白板に貼り出して、みんなの前で先生に講評をしていただく時間でした。私は、描き上げたばかりの「JR木次線の雪景色」と「左右内の大杉」について、構図や色使いなど今後にむけて細やかなアドバイスをいただきました。春休み中の4月3日には、滋賀県の日吉大社で写生会が予定されています。
 謡曲同好会もこの日が今期最後、先週に続いて「東北」を謡いました。あと数ページで終わりますが、次の課題曲について話し合った結果、「小塩(おじお)」に決まりました。在原業平と桜、追慕の桜を配した艶やかではんなりした春の宵のお話しなのだそうです。
 練習のあとは、いつも通り近くのケーキ屋さんでお茶会です。73歳から87歳の仲間たちで楽しいひと時を過ごしました。話題はなんだったと思いますか?戦中戦後、世代によって異なる教科書の違いと学級名の違い(戦中派は松組、梅組、戦後派は1組2組)、音楽やダンスの好みの違い、京都の街の文化と歴史など。話しは尽きません(笑)。

◇   ◇   ◇

 そうそう、先月末に受けた大腸癌の精密検査の結果、ポリープ自体は良性だったのですが、6ミリ大のポリープがちらほら。日帰りというわけにも行かず、先生と相談の結果、4月半ばに二泊三日の日程で入院して切除することになりました。入院経験豊富な家内と違い、5年前に同様の手術入院をした以外に入院歴がない私は、どんな本を持って行こうか?タブレットはどうしよう?などと遠足気分ですが、「何ももって行かない方がよくない」という天の声がありました(笑)。
 後期高齢者の扉が見えてきたからでしょうか。昨年の秋から、リュウマチ性多発筋痛症、座骨神経痛と、相次いで病名がつく身となりました。服用する薬は7種類。大好きなお酒も自粛中です。人間ドックで指摘されている眼科と耳鼻咽喉科は、もうしばらく様子を見て精密検査の予定ですが、加齢の影響は避けられそうにありません。でも、弱気は禁物。ファイト!ファイト!!。もうしばらく「いきいきシニア」で行きたいと思っています。

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梅の花と戯れる『春』

2025-03-07 10:33:18 | Weblog

 このところお天気が揺れ動いています。全国的な寒波に見舞われたあと3月に入って急に春めいたり、そうかと思えば再び寒くなったり。あっちに行ったりこっちに行ったりしながら、それでも『春』は確実に近づいています。私の生き様のようです。
 最近朝のお散歩は控えていますが、先日久しぶりに自転車に乗って近くのお不動さんにお参りしました。その際、撫でると除病の功徳があると言われる、本堂横の賓頭盧さん(びんずるさん)に、右足快癒のお願いをしてきました。ここ数日、歩くのがだいぶ楽になりましたが、これって足腰の軽い体操を続けているためか、それとも賓頭盧さんのおかげか?誰にも分かりません(笑)。
 そんなある日、レモンとスダチの木を剪定しました。切り過ぎるとせっかくの花芽を失うことになります。YouTubeを見ながらの素人庭師です。3年前に一心寺の境内で拾った種から育てている2メートルほどのジャカランダの花木も枝先を剪定しました。剪定することで枝数を増やして樹形を整えます。ホームセンターで肥料を買ってきて、芽出しのための施肥も済ませました。

◇   ◇   ◇

 寒さが続いたためか、ここ関西では今年、梅の開花がずいぶん遅れました。我が家で最初に梅の花を楽しんだのは、横浜の孫娘かも知れません。お嫁さんが毎日のように写真をアップしてくれているAmazonフォトを見ると、先月半ばには近所の公園で梅の香りを楽しんでいる姿が写っていました。一方の関西は、ここに来てやっと花開きました。 
 そんな季節の変わり目に、京都にお住まいの知人宅におじゃましました。何年か振りにお会いして話は尽きません。ご主人共々楽しい時間を過ごしました。午後になって雨が止んだので、帰途、近くの北野天満宮に寄りました。境内は梅の花が開き始めてなんとも香しいことでした。梅の御朱印をいただいて帰りました。

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな
(東から春風が吹いてきたならば、梅の花よ、その香りを送って寄こしておくれ。主人の私が居ないからといって春を忘れないでおくれ)


 ついでに、隣接する東向観音寺にも立ち寄りました。お能「土蜘蛛」に関わる史跡があるからです。掲げられた謡曲史跡保存会の案内板によれば、土蜘蛛が棲んでいたという蜘灯籠を後年移設のために掘り返して見つけた火袋(火を灯すところ)を、ある人が貰い受けて庭に飾っていたところ家運が傾いたので、土蜘蛛の祟りではないかと恐れて奉納したのだとか。それにしても、源頼光に取りついた土蜘蛛の精霊が、千筋の糸を次々と投げかけるお能の舞台は圧巻です。
 そして昨日は、和泉式部が手植えしたと伝わる「軒端の梅」(三代目)を見に、京都は東山の「東北院」へ仲間たちとお弁当をもって出かけました。ご住職から藤原道長と和泉式部など東北院の縁起について詳しく伺いながら、
恋多き人生を送り情熱的な恋歌を数多く残した和泉式部の恋心に思いを馳せました。
 和泉式部の御朱印をいただいて帰る頃、軒端の梅に二羽のメジロがやってきて、花から花へと仲良く飛び交っているのが印象的でした。ちなみにこの日は午後、謡曲同好会で東北院が舞台となった世阿弥の謡曲「東北」の後半部分を練習しました。

 むめの香を 君によそへて みるからに 花のをりしる 身ともなるかな
(梅の香をあなたの袖の香になぞらえて梅を見るばかりに、花の咲く時節を知る身となりました)

 以上の次第で、梅の花と戯れた1週間が過ぎていきました。この時季、旧暦では啓蟄「桃始笑」と言い、いよいよ『春』の到来です。気温の高まりとともに、我が家のささやかな花壇や菜園での野良仕事が始まります。

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ステッキ片手にお能の世界を「歩く」

2025-02-28 15:04:58 | Weblog

 きょうは午前中、大腸癌の精密検査でした。8年前は「要観察」、5年前はポリープ切除のため「入院」、そして5年後の今回が3回目の検査になりますが、どうやら再度入院してポリープを取ることになりそうです。それにしても自分の腸内を見る機会は滅多にありません。なんとも美しい世界でした。七十有余年の間、私の身体をしっかり守ってくれたことに感謝です。
 ところで、先週のブログで「アリス・紗良・オット」の文字にリンクしたYouTubeを、更新後に最新バージョンに変更しています。アリスご本人から今年6月の来日公演についてご紹介があったからです。私も、6月28日関西で唯一公演のある兵庫県立芸術文化センター(西宮市)のチケットを買い求めました。きのうの毎日新聞には「ピアニスト、アリス=紗良・オットさんが伝える未知のノクターン」と題する記事が載っていました。少しずつ機運が盛り上がりつつあります。

◇  ◇  ◇

 あいにく小雨舞うお天気ですが、先週末から続いた寒波も峠を越えて、カレンダーを捲ると春3月、草木が芽吹き始める季節を迎えています。右足の症状もだいぶ良くなってきました。痛め止めの薬とサポーター、そして何よりもせんねん灸が効いています。膝眼、梁丘、足三里、大腸兪、承山、崑崙....など、素人なりに何となくツボがわかってきました。さあて、来週の整形外科診断時にどんな処方があるのでしょう。
 最近、ステッキをもって歩くようになって、私と同じようにステッキを利用している方が意外に多いのに気づきます。こうした方々への社会の温かい配慮にも改めて気づきました。これまで意識することのなかったバス停の椅子や電車の優先座席。しばらく歩いていると右足に痛みや痺れが出てきます。そんなとき、少し座ることで元気になります。自然に席を譲ってくれる若い方も多く、いつも感謝しています。ステッキの扱い方にも慣れてきました。比較的楽に階段の上がり降りができるようになりましたが、ついつい駅構内ではエスカレーターやエレベーターを探してしまいます。この歳になると、焦らず気長にお付き合いをしていくしかありません。

 いま、謡曲同好会では「東北」(とうぼく)を習っています。舞台は京都東山にある東北院です。そこには和泉式部お手植えの「軒端の梅」があります。例年なら2月半ばには咲き始めていますが、今年は開花が遅れ、先週末になってやっと「軒端の梅が一輪咲きました」とのお知らせがありました。来週、謡曲仲間とお弁当を持って出かけます。

 先日講座帰りに、和泉式部が初代住職を務めた誠心院にお参りしてきました。観光客で賑わう新京極通に面した小さな門から入ると真正面に本堂があり、その裏に和泉式部の墓所があります。近代的なビルに囲まれた狭い境内のベンチに腰掛けていると、修学旅行生たちが三々五々やって来ては大はしゃぎで写真を撮り合っていました。
 その帰り、丸善ジュンク堂書店のギャラリーで開催中の「河原町地下古本市」(2/7~3/4)に立ち寄り、天野文雄先生の「現代能楽講義~能と狂言の魅力と歴史についての十講」(大阪大学出版会)と、白洲正子さんの「能の物語」(講談社学芸文庫)を連れて帰りました。
 能楽講座の受講手続きも準備万端です。ひとつは大阪大学の懐徳堂古典講座「変容する能」です。前期はオンライン講座で「能の歴史が動いたその時」(宮本圭造・法政大学教授=全4回)、後期は対面講座で「世阿弥から禅竹へ」(天野文雄・大阪大学名誉教授=全4回)です。もうひとつは住吉隣保事業推進センターが開講している女性能楽師・山下あさの先生の「わかりやすい能と古典文学」です。先日の講座日に4月から6月の講座(全3回)を申し込みました。
 若い頃から、免疫学者の多田富雄さん、随筆家の白洲正子さん、哲学者の梅原猛さん、社会学者の鶴見和子さんらの影響を受けて来た不思議なお能の世界。この歳になって本格的にのめり込みつつあります。

 またまた長くなってしまいましたが、きのうの水彩画教室で「左右内の一本杉」がほぼ完成しました。次のテーマはJR木次線の雪景色(写真)です。こちらは雪の白をベースにした水墨画のような雰囲気なので、初心者の私に描けるかどうか???。少し大きなF6画用紙を使います。当たって砕けろといったところでしょうか(笑)。
 なお、昨年12月27日付記事に番外編でお知らせした「窮地のJR木次線、出雲坂根に漫画で力を!木次線応援コミックス制作へ」と題するクラウドファンディング(目標額300万円)の件、1月31日に締め切られた結果、なんと338人から目標額のおよそ2倍、5,771,000円もの支援があった旨の報告がありました。

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アリス=紗良・オットのニューアルバム

2025-02-21 10:43:06 | Weblog

 ここ数日、日本列島は強烈な寒波に見舞われ、日本海側では各地でたいへんな積雪になっているようです。今朝のテレビニュースをみると、以前連泊したことのある酸ヶ湯温泉では5メートル超の積雪とか。でも、ここ大阪は、寒空に晴れ間が広がり、窓辺の多肉植物たちが嬉しそうに日向ぼっこをしています。その横でセロジネが白い花を広げてひと足早く春のご挨拶です。さきほどお庭の水仙の花一輪を花器に活けてもらいました。
 こんなときは  ran_coffeebreak タイムです(笑)。お花を愛でながら、
挽きたての香しいコーヒーをいただきます。お出かけしない日は、こうしてぼんやりと、ブログを書いたり本を開いたり音楽を聴いたりして過ごしています。

 「アリス=紗良・オットの詩的なピアニズムは、その洗練された強さで批評家たちから賞賛され、真の国際的アーティストとして、世界で最も名高いコンサートホールで現代最高の指揮者・音楽家たちと共演し、グローバルに活動しています。エッフェル塔の下で行われた「コンセール・ド・パリ」では、数百万人のTV視聴者の前で演奏し、これまでもそしてこれからのシーズンもロンドンのサウスバンク・センター、ベルリン・コンツェルトハウス、パリのラジオ・フランスでアーティスト・イン・レジデンスを務め、アメリカやアジアでツアーを行います」(「彼女はクラシック音楽界に衝撃を与えている」――『ニューヨーク・タイムズ』紙)Deutsche Grammophon 

 そんなある日、アリス=紗良・オットのニューアルバム「Field: Complete Nocturnes Alice Sara Ott」が配信されたのを知り、さっそく音楽配信サイトmoraからハイレゾ版(CDより高音質のデジタル音源)をダウンロードしました。ジョン・フィールドの「夜想曲全集」です。
    彼が夜想曲の創始者とは知りませんでした。ベートーヴェンと同時代を生き、ショパンだけでなく数多くの作曲家に影響を与えたフィールドの曲に向き合う、アリスの姿勢に拍手です。
 

Field: Nocturne No. 1 in E-Flat Major, H. 24 (YouTubeから)

 先週土曜日、大槻能楽堂で能「杜若」を観ました。懐徳堂講座で天野文雄先生から3回にわたり「杜若」についてお話しを伺いましたので、お能の世界に自然に溶け込むことができました。今回は特に「装束」の美しさ、「舞い」の美しさに見入ってしまいました。

 シテ「花前に蝶舞ふ。紛々たる雪」♪
 地 「柳上に鶯飛ぶ。片々たる金」🎶
 シテ「植え置きし。昔の宿の。杜若」♪
 地 「色ばかりこそ昔なりけり。色ばかりこそ昔なりけれ色ばかりこそ」🎶

 不思議なことに、序之舞で、笛、小鼓、大鼓、太鼓の囃子に併せて優雅に舞うシテ(杜若の精)の姿を追っていると、ふっと私の頭の中にアリス奏でる夜想曲の「曲想」がよぎりました。でも、そんなはずはありません。西洋音楽と違い、お能の音調、拍子には日本文化独特の「間」があります。シテと囃子そして地謡が独特の世界を紡ぎ出しています。それが謡いを難しくしている要因でもありますが、よりによって夜想曲を想起するとは(^▽^;)。まだまだお能の本質を理解していないということなのでしょう。きっと(笑)。
 そう言えば昨日、京都講座で「京都の桜おすすめ散歩道」と題するお話しを聴く中で、6月の季節の花「沙羅」についてお話しがありました。日本では夏椿とも言われる沙羅ですが、毎年6月には妙心寺の東林院で「沙羅の花を愛でる会」が催されているのだとか。
 そのとき、日本人の母親とドイツ人の父親のもとミュンヘンで生まれたアリス・紗良・オットのことを思いました。「紗良」という命名の由来を知りたいと思っていたのですが、ひょっとしたら「沙羅」「白い花」という思いが込められているのではないかと。いやいや、これは少し強引なこじつけに過ぎません。第一、漢字が違います。ネットで調べてみると、一般的に「紗」は日本古来より使われてきた織物を表す漢字で日本的な美しさ、強さとしなやかさを兼ね備えた人になって欲しいとの願い。「良」は心身ともに健やかで優れた人間性を持ち周囲との関係を良好に築きながら幸せな人生を歩んでほしいという願いが込められているとか。なるほど。
 先日の日曜日には、新芸術関西支部展開催に向けて京都府立文化芸術会館に私の拙い作品2点を運び入れ、設営のお手伝いをしました。油絵から水彩画まで大小様々な作品40数点というこじんまりした展覧会ですが、うち半数は昨年の秋に上野の東京都美術館で開かれた「新芸術展」に展示され何点かは入賞した作品です。お仲間たちの力量に改めて感心しました。明日は午後、会場で受付を仰せつかっています。

 今日も思いつくままに綴ってしまいました。もうすぐ春3月を迎えるこの時期、私のカレンダーには癌の精密検査をはじめ内科、神経内科、整形外科と通院が続きます。早く気持ちの良い『春』を迎えたいものです。

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右足の痛みに向き合う

2025-02-14 10:02:06 | Weblog

 この1週間、大阪でも久しぶりに氷点下の気温になりましたが、花壇や植木鉢はよく耐えてくれました。ジャカランダの苗木もそのひとつ。鉢植えは葉が落ちてしまいましたが、地植えしたものは葉も落ちず頑張りました。地植えの方が丈夫に育つのでしょうか。春に向けてニ鉢をどう対処すべきか思案中です。

 さてさて、右足の痛みは一向に改善しません。血液検査でCRP値もCK値も異常がないのに、歩くと時々右足の脛から大腿部あたりがキリキリと痛むので難儀です。急遽、整形外科のリュウマチ専門医の先生に診ていただくことになりました。
 右足と腰部を中心に詳しくレントゲン検査してもらったところ、背骨の位置にわずかに異常が見つかり、それが足の神経を悪戯しているようです。若い頃から気づかないうちに進行していたものが、ステロイド薬の服用で首を擡げた格好です。一種の老化現象でもあり、
手術する方法もなくはないけれど、当面は痛み止めの薬で様子をみることにしました。
 因みに、謡曲仲間10人中2人が手術経験者、予備軍が2人いました。もはや老人病ですね。先生からは、腰痛予防のための姿勢、歩行、体操などが紹介されている「弁慶・牛若丸の腰痛教室」という小冊子までいただきました。
 今のところ、家内が買ってくれたサポーターが役立っていて、ちょっとしたお出かけには欠かせません。杖(ステッキ)を使った歩き方にも慣れてきました。こんなときは、青森・酸ヶ湯温泉でゆっくり湯治でもすれば良いのでしょうが、それも適いません。毎夜、生薬入り入浴剤を入れたお風呂で足腰を温めています。
 もうひとつ重宝しているのが「お灸」です。若い頃、腰を痛めたときに使ったことがある「せんねん灸」を使い始めました。お灸は、免疫力の向上や自律神経の正常化、血液循環の改善、神経伝達の調整、消炎作用などに効能ありと言われますが、さあて、どうなんでしょう。いずれにしても、西洋医学と東洋医学を織り交ぜて、右足の痛みと向き合っています。
 お灸で思い出すのは半世紀以上前の古き良き時代の風景です。昔、お隣に80代の老夫婦が慎ましく暮らしていました。そのご夫婦、時々縁側に座って細っそりした足にお灸をすえていました。当時は、ヨモギのモグサを揉んでそのまま足のツボに置いて火をつける遣り方でした。子どもながらに「熱くない?」「大丈夫?」と心配したものですが、長い煙管を使って煙草をおいしそうに吸っていたお爺さんは、手際よくモグサに火をつけると「平気、平気。気持ち良い」と目を細めていました。私もそんな年代になったのかもしれません(^▽^;)。

 今週は、病院に2日、講座に2日出かけました。懐徳堂の「象徴劇としての能~『杜若』のすべて」は今週で終わり、土曜日には大槻能楽堂で「杜若」を鑑賞します。「杜若」の主題や趣向等について映像を交えて詳しくお話しいただいたので、初心者ながら杜若の美学のようなものに触れることができました。
 それにつけても、お能は奥が深い。子どもの頃、古典が苦手だった私が、今頃になって古典文学に向き合う。楽しいではありませんか。今日は午後から、能楽師山下あさみさんの「わかりやすい能と古典文学」講座(今日のテーマは「屋島」)に出かけてきます。 

 昨日の水彩画教室では、歩き遍路の途上で出会った徳島県の「左右内(そうち)の一本杉」を画題にしました。12番札所・焼山寺をめざして朝6時過ぎに宿を出た後、6時間あまりをかけてふたつの山を上り下りして最後のお山を登っているとき、杉林の中に忽然と現れた千年杉です。あまりの辛さに歩き通す自信を失いつつあった私を、弘法大師像が温かく迎えてくれました。歩いた者でなければ味わえない感動でした。
 ちなみに、この一本杉は天然記念物で、案内板には「弘法大師が焼山寺へ向かう途中、木の根を枕に仮眠したところ、夢に阿弥陀如来が現れたので、尊像を刻みお堂を建立して安置した。その時にお手植えしたスギであるとの伝説がある」とあります。焼山寺には、あと1時間半ほど歩くことになりますが、両足とも元気だった当時を思い出しながら、その一本杉を描き始めました。

 そうそう、京都府立文化芸術会館で来週開催される第48回新芸術関西支部展に、今回2点出展することにしました。昨秋、東京都美術館で開催された新芸術展の関西版です。出来栄えはともかく、出展することで私のモチベーションを維持・向上させようという目論見ですが、さあて、どうなんでしょうね(笑)。

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春に向けて計画着々。でも健康が一番!!

2025-02-07 10:45:39 | Weblog

 立春を迎えクリスマスローズが開花し始めたと言うのに、今季最強の寒波到来とテレビが伝えています。数年前に旅した青森・酸ヶ湯温泉の積雪は394センチ、私の故郷では96センチの積雪とか。冬になると1メートルは普通に積もっていた昔、母と一緒に玄関口の雪かきに汗を流した頃を思い出します。
 関西(太平洋側)に暮らすようになって、それなりの雪と戯れたのはずいぶん前のことです。ちょうど今頃の季節、子どもたちを連れて湖北の山小屋に行きました。スキー場に行ったり、ソリで遊んだり、かまくらを作って遊んだりしました。そんな子たちが今では40代のお父さんお母さんになっています(笑)。

 それはさておき、年明け早々に受診した脳ドックの結果が届きました。MRI検査は「経過観察」、MRA検査は「異常なし」。今回初めて受けた海馬測定MRI検査(AI認知予防検査)は、海馬占有率0.39%、海馬体積5,750㎣と記され、「あなたの海馬は同性・同年齢の中では標準範囲内の大きさです」「規則正しい生活習慣と、必要に応じたストレスのコントロールができていると言えるでしょう」とありました。
 一方で、同時に受けた人間ドックでは、聴力検査と眼底検査そして癌検診のうち大腸癌検査で「精密検査」のお知らせがありました。歳相応と言えばそれまでですが、現在通院中の内科(循環器科・神経内科)に加えて、新たに消化器科・耳鼻咽喉科・眼科が加わり、なんとも賑やかなことです。隣にいた看護師さんと笑ってしまいました。後期高齢者目前ですから、大人しく従うことにいたしましょう。

 ただ、ひとつ心配ごとがあります。リュウマチ性多発筋痛症のため服用中のステロイド薬の副作用でしょうか。1週間ほど前から右足に違和感があり、ここ数日は朝のお散歩も難儀になってきました。そんな状態で10キロを歩き通すことはできません。急遽、来週参加する予定だった京都府ウォーキング協会の2月例会は断念することにしました。残念!。先日の診察でステロイドの投薬量が減りましたので、今後の推移を見定めながら4月以降のプログラムから参加できればと思っています。それだけではありません。実は来月半ばに北フランスを旅行する予定でしたが、こちらも泣く泣くキャンセル。改めて「足の健康」の大切さを思う日々が続いています。

 でも、頭も手足も異常なし!。私の「好奇心」は一向に衰えません(笑)。当面、右足にサポータを着け、万が一に備えて折り畳み式の杖をリュックに忍ばせてのお出かけです。
 今週も、いつもどおり京都に出かけました。大阪では阪大中之島センターで懐徳堂古典講座「象徴劇としての能~『杜若』のすべて」(講師:天野文雄先生/全3回)を受講。受講後の15日には大槻能楽堂で「杜若」を鑑賞するプログラムです。また、来週からは女性能楽師・山下あさのさんが講師を務める「わかりやすい能と古典文学」も始まります。(写真は大槻能楽堂の絵葉書から)
 『春』を前に来年度の行動計画も着々と進んでいます。昨年末に申し込んでいた京都府立植物園の見学講座(全6回)が、抽せんの結果、参加できることになりました。この春からは京都講座(一般教養、水彩画、謡曲)、植物園講座、ウォーキングと、これまで以上に京都が身近になります。右足を労わりながら、もうしばらく楽しいシニアライフを過ごしたいと思っています。
 
 それはそうと、先日、京都の地下鉄に乗っていたら、扉の窓にこんなステッカーが貼ってありました。放置自転車への注意喚起です。絵が楽しい。英文併記なのは外国人に向けたアピールでもあるのでしょう。満員電車の中でほっこりする時間が流れました。
 そう言えば去年、カタール航空に乗ったときに流れていた機内の注意喚起も、あれ?と思わせるものでした。「〇〇をしてはいけません」「こうしてください」式の案内ではなく、乗務員と乗客がにこやかにスムーズに動作をしながら空の旅を楽しんでいる動画が流れていました。「伝え方」って、いろいろあるんですねえ。私も、もっと勉強しなければ。

 今日はここ大阪も凍えるほど寒いのに、窓辺には明るい陽の光が差しています。心の中はもう春?
リタイア後に大阪で培ったシニア仲間15名の会では「桜を見る会」の企画が動き始めました。3月下旬から4月初旬の間で日程調整をしたところ、なんと無傷だったのは1日だけでした。シニアの皆さんは寒さにもめげず本当にお元気です。

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もう一度歩いてみたい ~ お四国病?

2025-01-31 10:55:02 | 四国遍路

 先週、インフルエンザ明けの講座仲間と、快気祝いという口実で河原町の居酒屋で一献傾けました。その帰り、京都BAL地下の丸善京都本店に立ち寄り、気になっていた黛まどかさんの新刊「私の同行二人~人生の四国遍路」(新潮新書)を連れて帰りました。

 「波が引くたびにごろごろと大きな音を立て昔の遍路を彷彿とさせる。国道が整備された今はごろた石の浜を歩くことも波に攫われることもないが、太平洋に剥き出しになった一本道は、風雨の日や暑さ寒さの厳しい日は歩くのに難儀だ」(「私の同行二人」から抜粋)

 以前歩いて結願した四国八十八カ所の風景が活き活きと蘇ってきます。このあたりは通称ゴロゴロ海岸といわれ、黒潮がうち寄せる波の音と、引く波に石がまきこまれて鳴り響く音があたりに響きわたるのです。 当時のブログは、こう記しています。「遠くに幾つもの岬が重なる山の麓を走る国道55号線。海岸に打ち寄せる波の音をBGM替わりに、ただひたすら歩き続けた3日間でしたが、高知県東洋町の野根を過ぎたあたりで、妙な音の変化に耳を澄ませました。ざあぁと打ち寄せる波の音のあとに、ゴロゴロォ~という音があたりに響き渡ります」(「修業の道場」土佐の国へ ~ 海辺の道をひたすら歩く」2018年3月15日)
 歩いたのは3月上旬の頃でした。黛さんが「漆黒の海に一筋の金色の道を描いて煌々と輝いていた」という秋のお月さんをご覧になった民宿「徳増」で、私は美しい夕陽を写真に収めました。なんと、夕食には地元料理マンボウのお刺身をいただきました(◎_◎;)。
もう一度歩いてみたい!。そんな思いがこみ上げてきますが...。
 黛さんは八十八カ所+別格二十霊場で1600キロを踏破されましたが、今の私には、もう一度1200キロを歩き通す体力は
ありません(-_-;)。
 そこで思いついたのが、リタイア直後に参加していた京都府ウォーキング協会でした。培った「歩く力」がその後の歩き遍路に繋がったわけですが、さあてどうなんでしょう。試しに来月、2月例会に参加することにしました。テーマは「京で信念を貫いた女たち①~祇園下河原の芸妓・村山たか女」です。京都駅前から五条楽園、宮川町舞練場、祇園甲部歌舞練場、先斗町歌舞練場など、村山たか女が生きた花街を巡り、最後は京都御苑までの10キロを歩きます。
 ただし、リュウマチ性多発筋痛症のためステロイド薬を投薬中の身なので、最近足の骨が弱くなっています。最後まで歩き通すことができるかどうか不安(笑)。
 毎日お散歩を欠かさず、気の向くままに読書をしたり、草花と戯れたり、レコードを聴いたり、水彩画を描いたり、はたまたYouTubeでお能を楽しんだりしていますが(もちろん家事お手伝いも)、週に何日かふらっと出かけては、あっちに行ったりこっちに行ったり。これも私の健康法なんでしょう。きっと。
 と言いつつ、炬燵に入ってミカンを食べながら旅行会社から届いたツアー案内「ヨーロッパ聖地巡礼の旅『サンティアゴ巡礼~フランス人の道』」に見入る私でありました(笑)。

<余録>参勤交代と『旅』
 きのう、国際日本文化センター名誉教授の笠谷和比古先生から「参勤交代の歴史的意義~旅の実態」についてお話しを伺いました。参勤交代と言えば、時代劇で見るお殿様の江戸詣での場面が浮かんできますが、先生は、平戸藩6万石 松浦家藩主の日記資料(1676年と1800年)を例に、海路陸路ルート、宿泊地をお示しになりながら、お殿様が行く先々で藩主、名士、学者、知人、友人等との交流を深め、かつ各地の名所旧跡や民の暮らしぶりを見聞する機会にもなっていたと説きます。江戸時代の全国的な経済的発展、情報文化の発展に少なからず貢献していたことが伺えます。
 私はこれまで、当時の農民、町人は藩に縛られ他国(藩)への旅が制限されていたと思っていたのですが、先生のお話しでは(一部の例外的な藩を除いて)比較的自由に行き来できていたとも言います。生まれ育った所とは違う風景、自然、空気感、人との出会いが、旅する人の心を刺激し豊かにしたのだろうと思います。近年「浪速の知の巨人」と称される町人学者にして本草家の名声高い木村蒹葭堂の存在など知る由もありませんでした。
 明治新政府が誕生したからと言って、ガラガラポンとわずか数日のうちに人の心が変わり、近代日本が誕生したわけではありません。人の歩みは、輻輳的に、しかし着実に、そしてダイナミックに流れていくのだろうと思います。その原動力になったのが「旅」、つまり「歩く」ことではなかったか。 思えば遍路道のいくつかは昔の街道でもありました。そして、昔のお遍路さんは「重病を抱えた人、障害のある人、経済的に困窮している人、故郷にはいられない人」が多く悲しい時代でもありました。
山深い遍路の道端に行き倒れたお遍路さんを弔む小さな墓石やお地蔵さんがひっそり佇んでいたことを思い出します。
 しかし、今では老若男女、海外からも多くの方々が何かを求めて歩いています。

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心穏やかに春を待つ。

2025-01-24 10:27:23 | Weblog

 大寒というのに何となく暖かい日が続いています。街を歩いていたらご近所の塀から蝋梅の花が顔を覗かせていました。公園の裏山では山茶花が今は盛り。来週から少し寒くなりそうですが、春を待ち遠しく思う今日この頃です。
 そんな陽気に誘われて、先日、京阪百貨店の「関西らん展」に行ってきました。今年は東京ドームの「世界らん展」に行けそうにないので、地元で開催の「らん展」で済ませました。丹精込めて育てた表彰株のほか、いろんな洋らんの即売会や栽培指導コーナー、多肉植物や観葉植物の販売コーナーもあって、あっと言う間に時間が経ってしまいました。
 因みに、ブログ「心の風景」のハンドルネーム ran-coffeebreakの「ran」は、洋ランを育てていた頃に名づけたものでした。香しいカトレアの花を愛で、挽きたてのコーヒーをいただきながらほっとひと息。そんな思いを込めたネーミングです(笑)。

 話は変わりますが、先日、朝日新聞記事下広告の新刊案内に、集英社新書「捨てる生き方」が載っていました。年商100億円を超えるIT企業のCEOを務めながら、インド旅行中に佐々井秀嶺上人のもとで突然得度して資産や社会的地位、名声を捨てた小野龍光さんと、立教大学教授を退官後、都会生活を離れ総合診療医として北海道穂別でのへき地医療の道を選んだ精神科医・香山リカさんとの対談です。

 小野龍光さんは初めてでしたが、香山リカさんと言えば、現代精神病理学の視点から西田幾多郎論を展開した『善の研究――実在と自己』という本を、ずいぶん昔に読んだことがありました。名の知れたお二人が何をきっかけにギアチェンジされたのか、そのお気持ちを知りたくて、さっそく朝一番にAmazonに注文しました。
 なんと、発注したその日の夕方遅くに届きました😱。早過ぎませんか?。プレミアム会員なので送料無料ですが、そんなに急いでどこに行く??。なんとなく生きにくさを感じてしまいました。

 いずれにしても、着いたその日に読みました。ふと、「Well-being」という言葉が浮かんできました。ただいま心の中で熟成中ですので、とりあえず目次だけを記させていただきます。

プロローグ 龍光さんはなぜすべてを捨て得たのだろうか(香山リカ)
第1章 すべてを捨ててなぜ私は仏門をくぐったのか
第2章 あるがままに生きるということ
第3章 現代人をつらくしている執着や欲について
第4章 とらわれを捨てれば、けっこう楽に生きられる
第5章 森羅万象の共生を考える~人は利他を生きられるか
エピローグ 限られた時間をどう生きたいか、問い直してみる(小野龍光)


<余談>大阪名物!1枚100円の卵入りお好み焼き。

 余談をひとつ。21日、久しぶりに天王寺の一心寺にお参りに行ってきました。帰りがけにジャカランダの樹を見上げると葉が茂っていました。夏になると美しい青紫の花が咲きます。その株元で3年ほど前に拾った種から育てた我が家のジャカランダも、落葉することなく寒い冬を耐えています。
 その帰りに四天王寺の弘法市を覗いてきました。骨董店、がらくた屋、赤飯や御餅を売る店、古着屋、園芸.......。今年初めての「お初弘法」ということもあっていつになく賑わっていました。SNS効果なのかアジアだけでなく欧米のお客さんも目立ちました。この日連れて帰ったのは、紛い物のお面や額縁、お皿にグラスなど。額縁には早速先日描いたばかりの水彩画を入れてみました(笑)。
 境内では「大阪名物 玉子入り 1枚百円」のお好み焼き屋さんに長い行列ができていました。玉子やキャベツが値上がりしているご時勢なのに、ず~っと「1枚100円」で頑張っています。鶴橋の風月さんほど贅沢ではありませんが、鰹節もタレもたっぷりかかってこの値段。30分ほど並んで2枚をぺろりと平らげました。それでも200円です(笑)

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