先週の日曜日は「ルノワール+ルノワール」展を観た後、久しぶりに平安神宮をお参りしました。ついでに、これもずいぶん久しぶりですが、神苑内を散歩しました。南神苑から入り、花菖蒲が美しい西神苑を歩いて、そのあと今にも開花しそうな蓮の群生を眺めながら東神苑に入ると、いかにも京都らしい庭園風景が広がります。少し歩きつかれたので、栖鳳池にある泰平閣(橋殿)でひと休み。そこで、気になっていた「草枕」の最後の数頁を読み終えました。
最後の場面になって、...「先生、わたくしの画をかいて下さいな」と那美さんが注文する」...。この小説の底流に流れる謎めいた那美さんの存在が、ぐっと迫ってきます。そして、...「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声で云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。...これが草枕の最終章です。
妙な余韻を感じながら、通り過ぎる外人さんたちの姿を追っていると、急に目の前を舞妓さんが通り越して、向いの席に腰かけました。付人らしき方が熱心に写真を撮影していらっしゃる。私も、とっさにカメラをかまえました。写り具合を確認していると、なぜか時代を越えた風景に思え、そのうちに舞妓さんの姿が那美さんの姿と重なって見えてきました。掲載した写真がそれです。白黒に補正をしたら余計な色が消え良い雰囲気に仕上がりました。
草枕を読み終えた数日後、私は「”草枕”変奏曲~夏目漱石とグレン・グールド」(横田庄一郎著)という本を注文しました。昨日届きました。表紙をめくって、口絵を開くと、なんと先週紹介したミレイの「オフィーリア」の絵が載っていました。短編30章の中にはオフィーリアに関するものが3篇ありました。草枕、漱石、グールド。この三者のなかで、オフィーリアがひとつの共通項として在る。オフィーリアを介して音楽と文学の世界が在る。そんな思いを強くしました。
湿っぽい空気が漂っています。私の机には、ルノワール作「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」の小さな陶板が飾ってあります。雨音を感じながら、きょうはグレン・グールドのLPレコードから、エリザベート・シュワルツコップと唯一の共演となったR.シュトラウス「オフィーリアの3つの歌作品67」を取り出しました。それを聴きながらのブログ更新となりました。グールド、草枕、漱石。そしてオフィーリア。不思議な出会いです。湿っぽい梅雨の季節に、なぜか似合うテーマでした。来週の土曜日は、老体に鞭打って職場のボート競技に出場します。大川にわが身を浮かべる思いで汗をかくことにいたしましょう。
最後の場面になって、...「先生、わたくしの画をかいて下さいな」と那美さんが注文する」...。この小説の底流に流れる謎めいた那美さんの存在が、ぐっと迫ってきます。そして、...「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声で云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。...これが草枕の最終章です。
妙な余韻を感じながら、通り過ぎる外人さんたちの姿を追っていると、急に目の前を舞妓さんが通り越して、向いの席に腰かけました。付人らしき方が熱心に写真を撮影していらっしゃる。私も、とっさにカメラをかまえました。写り具合を確認していると、なぜか時代を越えた風景に思え、そのうちに舞妓さんの姿が那美さんの姿と重なって見えてきました。掲載した写真がそれです。白黒に補正をしたら余計な色が消え良い雰囲気に仕上がりました。
草枕を読み終えた数日後、私は「”草枕”変奏曲~夏目漱石とグレン・グールド」(横田庄一郎著)という本を注文しました。昨日届きました。表紙をめくって、口絵を開くと、なんと先週紹介したミレイの「オフィーリア」の絵が載っていました。短編30章の中にはオフィーリアに関するものが3篇ありました。草枕、漱石、グールド。この三者のなかで、オフィーリアがひとつの共通項として在る。オフィーリアを介して音楽と文学の世界が在る。そんな思いを強くしました。
湿っぽい空気が漂っています。私の机には、ルノワール作「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」の小さな陶板が飾ってあります。雨音を感じながら、きょうはグレン・グールドのLPレコードから、エリザベート・シュワルツコップと唯一の共演となったR.シュトラウス「オフィーリアの3つの歌作品67」を取り出しました。それを聴きながらのブログ更新となりました。グールド、草枕、漱石。そしてオフィーリア。不思議な出会いです。湿っぽい梅雨の季節に、なぜか似合うテーマでした。来週の土曜日は、老体に鞭打って職場のボート競技に出場します。大川にわが身を浮かべる思いで汗をかくことにいたしましょう。
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