心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

暑い夏に方丈記を読む

2009-08-16 10:20:09 | Weblog
 12日から16日までの5日間、お盆休みをいただいています。でも、5日間というのは長いようで短いものです。あっという間に終わってしまいます。それでも、急き立てられるようなことはないので、案外、健康的な生活をすることができました。夜は、11時には床につく。朝は5時前には目が覚める。愛犬ゴンタとお散歩をする。昼間と違って早朝散歩は爽快でもある。6時前には、いちどパソコンに向かってごそごそするのもいい。夏蝉の声を聞きながら、ベッドに横たわって読みかけの本をぺらぺらめくるのもいい。誰も咎めはしない。
 ところで、59歳を迎えた今夏、一冊の本を読んでいます。先日、大阪・梅田の旭屋書店で時間待ちをしていたときに手にした「方丈記」です。といっても古文など何十年も読んだことがないので、「すらすら読める」という副題付き、中野孝次さんの解説です。でも何故いま「方丈記」なのかって?
 1900年に英国から帰国した南方熊楠は、必ずしも肉親から歓迎を受けたわけではありません。実家のある和歌山での生活もそこそこに那智の山中に独り籠ることになります。そこで熊楠は、菌類など生物の採集と論文の執筆に明け暮れ、さらに「方丈記」の翻訳に取り組みます。そのあたりのことが鶴見和子曼荼羅のなかに登場します。ロンドンという世界都市から一転して熊野の山奥に独りで暮らすことになった熊楠が、いったい何を思い、何を考えたのか。なぜ「方丈記」なのか。少しその気持ちに近づいてみたい。そう思っていました。そしてもうひとつ。書店で立ち読みをしていて、鴨長明が「方丈記」を記したのが58歳のときであったことを知りました。これも、本を手にする大きな動機づけになりました。時代環境はまったく異なりますが、私とほぼ同年齢の長明が、世の中をどのように見つめたのか。
 そんな次第で読み始めましたが、ルビ付き原文と丁寧な解説付きとはいえ、ふだん読み慣れない古文のこと。言葉のひとつひとつに今とは異なる意味合いがあり、子供が使っていた古語辞典を引っ張り出しました。でも、あまり小さなことにこだわりすぎると、前後の文脈がみえなくなりますので、まずはさらりと通読することにしました。半分まで読み進んで、なんとなく見えてきたことは、長明の時代を見つめる視点。誇張を嫌い、個々具体的な事実を事実として書き綴っていく真摯な視点です。このあたりに、熊楠との共通点を思いました。それはまた、ハイカラな言葉で埋め尽くされた昨今の流行本の脆弱性を思うことにもなりました。
 
 ところで、休みの半ばには、次男君が半年ぶりのご帰還でありました。長女一家も孫君を連れてやってきています。こうした賑やかなひとときも、夏の風物詩のひとつなのかもしれません。次男君も聞けば素敵なお相手に出会えたようです。いずれ期が熟せば私の子育ても完璧に終わります。時は、どんどんと流れていきます。
 そうそう、孫君は亀五郎夫妻に興味を示しました。楽しそうに餌を与えてくれます。衛生上、直接触らせるわけにもいかないので、急遽、亀五郎夫妻の遊び場をつくってやりました。飼育箱のなかよりも、もっと見えやすくなりました。亀五郎夫妻も、夏の暑さにも負けず、元気に歩き回ります。それを孫君が「亀さん、亀さん」と呼びながら嬉しそうに見ています。
 来週は、両親のお墓参りにでかけますので、ブログ更新は週の半ばになりそうです。
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