平和の反対語ってなんだろうと考えると、少なくとも戦争ではないなと思う。
平和が、人々が安心、安全に暮らせる状態をいうのであれば、そうでない状態、人々の生命、財産、人権、人としての矜持、正義、そういったものが脅かされ、安定した社会生活がおくれない状態、あえて言えば無秩序とか、混沌とかかな。
何もしなくても平和な状態が維持、継続できればそれにこしたことはないのですが、現実はなかなかそうはいかない。皆が協力して、自分の事だけではなく全体の事を考え、努力をしていかねばならない。
日本国憲法の前文には、まさにそのようなことが書いてあります。
『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。』
『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。』
『日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』
まあ、アメリカに押し付けられた憲法だけに、欧米的な価値観が色濃く出た文章ではありますが、それでも日本国憲法です。国政は、この憲法の原則を反映したものでなければなりません。
この思想を体現した国際組織が、我々が国際連合、国連とよんでいるものです。
正式名称は「United Nations」、直訳すれば「連合国」。第二次世界大戦で、同盟を結んで日独伊のファシズム国家との戦争を勝ち抜き、民主主義を守った国々、その同盟の発展形が今の国連というわけです。
湾岸戦争など有事の際には、国連軍を結成される、平和を維持するために軍事同盟が必要というのは、おそらくは世界の常識なのでしょう。
ひるがえって、今世間を騒がせている安保法制ですが、誤解を恐れずに言えば、中国を牽制するための、米国と中国の周辺諸国による軍事同盟の一翼を、日本が担うための法律なのでしょう。
今や世界の超大国の中国、「文明の衝突」のハンチントン先生が「中国教」と呼ぶほど、世界のどの国とも似ていない、中華思想という特異なアイデンティティを持つ国でもあります。
そして今その中国に、露骨に領土、領海を広げようとする動きがある。それを牽制するために、周辺諸国と米国が軍事的なアライアンスを組むのは、至極当然のなりゆきのように思います。
歴史的に見て、中国の周辺諸国は、中国の専制、圧迫に苦しみ、隷従してきました。その中で唯一日本だけが、聖徳太子の昔から独立を維持し、有事の際も互角以上に渡り合ってきました。
国力を考えても、やはり、米国を除けば、このアライアンスの中核的な役割を果たすのは日本しかないのかなと思います。
憲法の精神の通り、自国の事のみに専念せず、国際社会で名誉ある地位を占めたいと思うのであれば、もはや「だってやりたくないもん」とは言えない。そのことをまず国民に理解してもらう必要があります。
でも、それにしては、安保法制の本質、目的ではなく、後方支援の定義とか範囲とか、核兵器輸送は可能かとかの枝葉末節の法理論や、戦争反対の感情論ばかりがクローズアップされています。
もっと直球で目的、本質の議論してしまった方が国民の理解を得やすいように思うのだけど、、、。
平和が、人々が安心、安全に暮らせる状態をいうのであれば、そうでない状態、人々の生命、財産、人権、人としての矜持、正義、そういったものが脅かされ、安定した社会生活がおくれない状態、あえて言えば無秩序とか、混沌とかかな。
何もしなくても平和な状態が維持、継続できればそれにこしたことはないのですが、現実はなかなかそうはいかない。皆が協力して、自分の事だけではなく全体の事を考え、努力をしていかねばならない。
日本国憲法の前文には、まさにそのようなことが書いてあります。
『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。』
『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。』
『日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』
まあ、アメリカに押し付けられた憲法だけに、欧米的な価値観が色濃く出た文章ではありますが、それでも日本国憲法です。国政は、この憲法の原則を反映したものでなければなりません。
この思想を体現した国際組織が、我々が国際連合、国連とよんでいるものです。
正式名称は「United Nations」、直訳すれば「連合国」。第二次世界大戦で、同盟を結んで日独伊のファシズム国家との戦争を勝ち抜き、民主主義を守った国々、その同盟の発展形が今の国連というわけです。
湾岸戦争など有事の際には、国連軍を結成される、平和を維持するために軍事同盟が必要というのは、おそらくは世界の常識なのでしょう。
ひるがえって、今世間を騒がせている安保法制ですが、誤解を恐れずに言えば、中国を牽制するための、米国と中国の周辺諸国による軍事同盟の一翼を、日本が担うための法律なのでしょう。
今や世界の超大国の中国、「文明の衝突」のハンチントン先生が「中国教」と呼ぶほど、世界のどの国とも似ていない、中華思想という特異なアイデンティティを持つ国でもあります。
そして今その中国に、露骨に領土、領海を広げようとする動きがある。それを牽制するために、周辺諸国と米国が軍事的なアライアンスを組むのは、至極当然のなりゆきのように思います。
歴史的に見て、中国の周辺諸国は、中国の専制、圧迫に苦しみ、隷従してきました。その中で唯一日本だけが、聖徳太子の昔から独立を維持し、有事の際も互角以上に渡り合ってきました。
国力を考えても、やはり、米国を除けば、このアライアンスの中核的な役割を果たすのは日本しかないのかなと思います。
憲法の精神の通り、自国の事のみに専念せず、国際社会で名誉ある地位を占めたいと思うのであれば、もはや「だってやりたくないもん」とは言えない。そのことをまず国民に理解してもらう必要があります。
でも、それにしては、安保法制の本質、目的ではなく、後方支援の定義とか範囲とか、核兵器輸送は可能かとかの枝葉末節の法理論や、戦争反対の感情論ばかりがクローズアップされています。
もっと直球で目的、本質の議論してしまった方が国民の理解を得やすいように思うのだけど、、、。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます