今日は、朝から大変ショッキングなニュースが飛び込んできました。
イスラム国が、WEB配信動画を使って後藤健二さんを処刑したことを公開しました。
テロリストに拘束され、武器を突きつけられて脅される、その恐怖たるや、想像を絶します。
テロリストは、後藤さんを脅して、自分たちに有利な映像をもっと撮ろうとしたと思います。
シリアに入国する前「なにが起きても自分の責任である」と語った自らの言葉通り、後藤さんはジャーナリストとしての信念と強い精神力で、毅然とした、誇り高い態度を貫いた、それゆえの処刑だったように思えます。
後藤さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
極悪非道、冷酷無情なテロリスト集団に激しい憤りを感じるとともに、改めて以下のように思いました。
まず、「テロに屈しないこと」と「人質の人命を尊重する」ことは、対局にある、通常の場合は二者択一を迫られる考え方であるということです。
日本国憲法はその全文で『われら(日本国民)は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。』と謳っています。
「テロリストと戦う国際社会と協調、協力していくこと」は憲法の精神に則った我が国の基本方針であり、ということは、日本人はイスラム国につかまったら、まず殺されるということになります。
二つ目は、テロリストに捕まることは、国を始め周囲の人や周辺諸国をも巻き込み、大変大きな問題になるということ。
それゆえ、個人の感情や心情だけで行動してはいけないということです。
後藤さんのようなジャーナリストに限らず、ビジネスでも、そして国際ボランティアでも、使命感に燃え、現地に入りたいという衝動を感じることは、ままあることなのでしょう。
要はいかにその気持ちを自制するか、です。
イスラム国をこの世界から完全に消滅させるまで、きっと長い闘いになるのだと思います。
日本も、テロと戦う国際社会と協調して、日本らしい支援を継続していかねばならない、改めてそう強く思いました。
イスラム国が、WEB配信動画を使って後藤健二さんを処刑したことを公開しました。
テロリストに拘束され、武器を突きつけられて脅される、その恐怖たるや、想像を絶します。
テロリストは、後藤さんを脅して、自分たちに有利な映像をもっと撮ろうとしたと思います。
シリアに入国する前「なにが起きても自分の責任である」と語った自らの言葉通り、後藤さんはジャーナリストとしての信念と強い精神力で、毅然とした、誇り高い態度を貫いた、それゆえの処刑だったように思えます。
後藤さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
極悪非道、冷酷無情なテロリスト集団に激しい憤りを感じるとともに、改めて以下のように思いました。
まず、「テロに屈しないこと」と「人質の人命を尊重する」ことは、対局にある、通常の場合は二者択一を迫られる考え方であるということです。
日本国憲法はその全文で『われら(日本国民)は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。』と謳っています。
「テロリストと戦う国際社会と協調、協力していくこと」は憲法の精神に則った我が国の基本方針であり、ということは、日本人はイスラム国につかまったら、まず殺されるということになります。
二つ目は、テロリストに捕まることは、国を始め周囲の人や周辺諸国をも巻き込み、大変大きな問題になるということ。
それゆえ、個人の感情や心情だけで行動してはいけないということです。
後藤さんのようなジャーナリストに限らず、ビジネスでも、そして国際ボランティアでも、使命感に燃え、現地に入りたいという衝動を感じることは、ままあることなのでしょう。
要はいかにその気持ちを自制するか、です。
イスラム国をこの世界から完全に消滅させるまで、きっと長い闘いになるのだと思います。
日本も、テロと戦う国際社会と協調して、日本らしい支援を継続していかねばならない、改めてそう強く思いました。
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