ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

多部未華子と三角縁神獣鏡

2008-03-14 23:26:09 | 歴史
友人のぱんくろうさんのリクエストにより、昨日の話をもう少し深堀りしてみたいと思います。

多部未華子と言えば「鹿男あをによし」、鹿男と言えば、「サンカク」。
「きつねの使い番」柴本幸から、「鹿の運び番」玉木宏経由「鹿の使い番」多部未華子に渡り、富士山噴火を回避するための「しずめの儀式」に使われるはずだったのに、ねずみから情報を得た児玉清に奪われてしまった、通称「サンカク」=三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)。

3世紀の中国の「魏」王朝から倭国の王と認められていたのが、邪馬台国の女王・卑弥呼、魏志倭人伝には「鬼道を用いてよく人を惑わす」とあります。
この邪馬台国が日本のどこにあったかが未だにわからず、北九州派と畿内派に分かれて論争が続いているというのは有名な話。

この邪馬台国の所在地の決め手となりそうなものが3つあります。

一つ目は卑弥呼の墓。
魏志倭人伝には「大きな墓をつくって100人が殉葬された。」とあります。
3世紀ごろに築造された古墳を片っ端から発掘して、人骨がたくさん出てきたのが卑弥呼の墓、と言えそうですが、残念ながら畿内の大きな古墳は、そのほとんどが天皇陵か陵墓参考地として宮内庁に管理されており、発掘調査が出来ません。

二つ目は印璽。
卑弥呼は、魏の皇帝から「親魏倭王」と書かれた金印を賜っているはず。
金ですから錆びずにこの国のどこかに埋っているはずです。

三つ目は銅鏡。
魏の皇帝は、卑弥呼に銅鏡百枚を賜わり、「これらすべてを汝の国内の者たちに示し、わが国家が汝をいとおしく思っていることを知らしめよ。」 と檄を飛ばしたとあります。
景初3年という、魏王が鏡を送った年の魏の年号が刻印されている鏡が、この三角縁神獣鏡、これこそ卑弥呼の鏡ではないか、と言うことになりました。
ところがこの鏡、100枚どころか日本全国で500枚近く出土しちゃってます。
「鹿男あをによし」でもロケ地になってた「黒塚古墳」という比較的小規模な古墳からも33枚も出土、どうも卑弥呼の鏡と言うほどのありがたみが感じられません。

なにせ日本ではまだ文字がなかった時代の話、墓、金印、鏡、どれか本物が見つからない限り、邪馬台国の場所は謎のまま、ということです。
卑弥呼の鏡、リチャード教頭が欲しがるはずですね。

多部未華子が発掘調査に加わったら、なんか「あったー♪」みたいな感じで卑弥呼の金印をひょこっと見つけちゃいそう、そんな不思議な雰囲気のする女優さんです、、、って、なんのこっちゃ。
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ぱんくろう様 (RASCAL)
2008-03-15 00:04:18
どう?
頭痛くなった?
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邪馬台国とフリスビー? (ぱんくろう)
2008-03-15 02:51:40
薬をのみました(笑)。
で、ちょっと質問です。
なんで、フリスビーの写真を貼ってあるのでしょうか?
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フリスビー? (RASCAL)
2008-03-15 10:30:25
ぱん様
そうそう、このフリスビーでね。
奈良公園のMY鹿にキャッチさせて遊ぶんですよ。。。って、何でやねん!何でワシが鹿と遊ばないかんねん!

写真は、三角縁神獣鏡の裏面です。
表面は平ら、縁が三角形で、裏面に神獣の文様があるのでこの名があります。
鏡といっても、顔を映すのではなく、祭事、呪術に使用されていたのでしょう。
卑弥呼は中国の当て字、銅鏡で光を反射させ、衆を惑わす日巫女、日御子(ヒミコ)の姿が目に浮かぶようです。

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